迷宮生活7日目その四
今ならあの夢に出てきた剣士の気持ちも分かる。あの夢は多分俺の妄想なんだろうが、ああいう風に厳しい事態に陥っても諦めずに戦う。そういう精神は今の俺にとって重要だ。
危機に際して恐怖を感じるのは正常だ。だが、決して過剰すぎてはいけない。今俺が置かれている状況は、文化や道徳が成り立つほど次元が高くない。もっと原始的な、そう、生死だけが問われる世界だ。
ならば、今の俺に必要なことは常に、そして素早く最善を見出し行動する判断力だ。そして、すべきこと。それはこの大猪どもの突進を躱し続け、力尽きる前に扉の向こうへ逃げのびることだ。
「ブルル・・・」
金猪の大将が深く、そして低いうなり声を上げると、扉の前に展開していた大猪がゆっくりと一歩を踏み出した。
ドコドッ!ドコドッ!っと馬の蹄の音を何倍も低く、そして力強い足音を立てて大猪が地面を駆けだした。俺は冷静に猪軍団の動きを見切る。真っ直ぐ突っ込んでくるものがおよそ10頭少し、左右にも同じだけの個体が分かれて進んでくる。三方に分かれた大猪の群れは驚くほど統制が取れている。これもあの巨猪の力だろうか?
「正面左右に逃げ場はないな。下がるのはもっとダメ。躱せねー!!」
一体一体がバイソンよりも一回りも二回りも大きい大猪は、木々や岩をものともせず、遮るもの全てを跳ね飛ばしながら一直線にこちらに突っ込んでくる。こうなっては木の裏や岩陰に隠れるのは自殺行為だ。面で攻めてくる大猪は躱しようがない。
だが、躱さなければならないのだ。
ぶつかるまで後1秒、俺は一秒が永遠に感じられるほど冴えた頭で辺りを見る。
普通に考えて無理な時、なにか活路は無いかと模索しなければならない。その活路という宝石は大抵、価値無しと思って見過ごしている物の中に隠れている物なのだ。
大猪が俺から見て僅か10メートルにまで迫った。俺はスローに見える世界にあってなお、恐ろしい速度を持つ大猪の一体に向かって駆けた。大猪が進む直線上にある一本の倒木に足をかけた俺は、さっと身をかがめた。この辺りは昨夜、巨熊が大暴れした場所だ。倒木なんぞいくらでもある。
次の瞬間、俺は突っ込んできた金の砲弾の上にいた。倒木はシーソーのようになっていたのだ。大猪は俺が乗ったシーソーの倒木の反対側に乗り上げ、一方の俺はその瞬間に全身の力で飛び上がった。金猪はゴウと風切音を立てて俺の真下を通りぬけてゆく。
金毛の大猪がうまく乗り上げてくれるかはほとんど賭けだったが、活路はそれしかなかった。例えどれだけ不利でも、どこまでも冷静に、そして諦めず少しでも有利な方に賭ける。それが、俺がこの樹海で過ごした一週間の間に学んだことだ。
結果、俺は見事賭けに勝利した。弧を描いた俺は宙を舞い、着地した。
「次は!」
さっと身構えた俺は次の突進に備える。今が戦いなのではない。一瞬一瞬が既に戦いなのだ。
次々と俺に向かってくる大猪どもを、ある時はその腹の下を抉り込むように滑り、ある時はその巨大な牙を白羽取りの要領で受け止めて支点にし、乗り上げた大猪の背を転がった。
幸か不幸か、それとも災い転じて福となすというのだろうか。人生万事塞翁が馬とはよく言ったもので、巨熊に装備品のほとんどを砕かれたおかげて、俺はずいぶん身軽になっていた。
だが、一瞬一瞬の判断ミス、動きの隙が命取りになる。大猪の牙は俺の命を刈り取ろうと常に突進を続けてくる。
初め三方に分かれた大猪の群れは、俺を中心に内側の十数匹は反時計回りに、外側の十数匹は時計回りに走り、俺を取り囲んでいる。内側の円と外側の円から絶妙のタイミングで大猪達が飛び出し、常に10匹と少しが俺に向かって絶え間なく突っ込んできている。
「ふっく!すっげえな!」
ギリギリのところで大猪の突進を躱し続ける俺は、戦慄を感じるよりもまず真っ先に賞賛の言葉を口にしていた。
俺に微塵も逃げ出す隙を見せない二つの円と、少しでも隙を見せれば俺を貫くその円から繰り出される砲弾。完璧なフォーメーションは必死に耐える俺に、この金猪の群れの知能の高さと結束の強さをまざまざと見せつけていた。
あの巨大な金猪の主は、さながらオーケストラの指揮者のように円の外側から全てを俯瞰し、流れるように群れを操る。俺に向けられた必殺の陣形は、まるでそれ自体が一個の生命のように俺をからめ捕り、押しつぶそうとしていた。
だが、俺だってそう簡単にはやられない。いくらこの陣形が完璧であっても、相手が生物である限り完全はない。俺はどうあがいてもこの円を抜けることは出来ないだろうが、避け続けることは出来る。地形と大猪の呼吸を読む。俺はそれだけに徹していた。
「何回も顔を合わせた口だ。友達みたいなもんさ!」
俺の鼻先を大猪の牙が掠め、突進してきた猪と一瞬目が合う。俺は身を捩って大猪の突進を受け流した。傍から見れば俺は楽しそうに金猪の群れと戯れ、踊っているようにすら見えるかもしれない。
踊る踊る踊る。
輝く猪の王の指揮の下破壊の歌を奏でる大猪の群れの中で、俺は死の旋律に乗って踊り、逆に場そのものを支配する。
そしてギリギリの寸暇の中を潜り抜け続ける俺は、この円をじりじりと引き摺ってゆく。そう、昨夜巨熊に殺された大猪の死骸の方へ。
砲弾飛び交う中で、俺は一瞬猪の王の目を見た。
「あれには天地がひっくり返っても勝てんな。」
王の王たる威厳が、そこら辺の馬の骨の俺をすくませていた。王の目には何の感情もない。ただ、理路整然とした論理の中で俺を殺そうとしているのが分かった。
だが、なぜそこまでする必要がある?
俺を殺そうと思えば、大猪を一体差し向けるだけでも十分すぎるほどだ。なぜ40体以上の眷属を従えてまで俺に拘る?なぜ、あの山のような赤い龍や、巨大な闇色の熊と敵対してまで俺を狙う?
いや、止そう。
俺を殺すことにはそういうメリットがある、あるいはそういう本能があるのだと仮定した方がいいだろう。
今まで理由なく俺を狙って来たのは、猪軍団、赤い龍、虹色の大鷲、そして闇色の巨熊だ。一方の大狼や、大蜂は襲ってはこなかった。両者の差は・・・大きさとか強さか?
「ごふっ!」
リズムに乗って避け続けていた俺は、全く想定していなかった方からの突進を受けた。さっと立て直す俺だったが、完全に立て直しきるまでにいいものを何発かもらってしまった。俺の注意が散漫だったわけではない。大猪の攻撃のリズムが変わったのだ。
「飛んだ大間抜けだ。俺としたことが、策に溺れたか・・・」
大猪の円のリズムが変わったのは単純なことだ。大猪が何かをしたせいではない、完全に俺のせいだ。足らない頭で考えた策など、生兵法は怪我の元だと良く言うではないか。
変化は常に良い方向に進むとは限らない。改革と言いながら改悪に進むように、俺の稚拙な策は裏目に出てしまった。
俺が動けば、包囲の円陣も追って来る。ならば円の軌道にあの死体を割り込ませれば、リズムが狂い、大猪達の動きに隙が生まれるのでは?と考えていた。我ながら単純な思考だったと呆れる。
「甘かったな。」
俺は大猪の攻撃リズムに乗って避けていたのに、自分からそのリズムを崩す結果になってしまうとは。つくづく救いようがない。
だが、自分を責めていたって事態が好転するわけでもない。せっかくリスクを手にして得たこのカード。吉と出るか凶と出るかは俺次第だ。ものにして見せなければ。
巨猪は俺の動きを見透かすように静かな視線を投げかけてくる。仲間の死体があれば突っ込んで来にくいはず。しかし、これも既に読まれているのだろうか?
俺は静かにこちらを見つめる巨猪から目を放し、再び避けることに専念した。
「はっ、はっ、はっ!」
俺の息が上がってきた。疲れとダメージがじわじわと響いてくる。判断力もガタガタになっている。今や俺が翻弄していたはずの、大猪の群れの動きに付いて行くのが精いっぱいだ。
いや、もしかしたら、翻弄していたと感じていたことすら錯覚かもしれない。猪の王に、それこそ踊らされていただけなのかもしれない。終始淡々としている巨猪の姿を見ると、そう思えてしまうのだ。
目の前に大猪が迫る。だが、思うように足が動かない。躱しきれないと判断した俺は、藁にも縋る思いで大狼が食い散らかした死体の陰に隠れた。
その時、初めて巨大な猪が声を上げた。
「ぐぁ・・・」
今まで辛うじて保っていた余裕が根こそぎ持って行かれた。衝撃に俺は無理やり息を吐かされ、痛みに思わず目を閉じる。あまりの痛みに思考が鈍る。俺は良く回らない頭で、何かに激突したのだと理解した。
数体の猪が死体に構わず俺に突進してきたのだった。俺は死体の陰に隠れたつもりだったが、死体は盾になるどころか、俺にとって致命的な死角になった。
大猪の突進に気付くのが遅れた俺は、死体ごと宙に跳ね飛ばされた。巨猪は俺よりさらに先を見ていたらしい。俺が死体を盾にするだろうことは、織り込み済みどころか俺を追いこむ仕掛けだったのだ。痛い目をして手に入れたカードは、完全に裏目出でていた。
「が、ぐぅ・・」
ダン!ダン!と地面をバウンドし、石と鎧が擦れるざらざらという音を立てて俺は地面に投げ出された。あちこちが痛むが、鎧と兜、そしてマントの御陰で何とか血まみれにならずに済んでいる。そうは言っても、限界は確実に近づいてくる。
だが、大猪は俺の都合などお構いなしだ。
俺は必死に地面を転がり、大猪の蹄を躱し、何とか立ち上がる。そしてまたぼろ雑巾のように跳ね飛ばされ、地を這い、立ち上がる。俺は確実にボロボロになって行ったが、次第に大猪の息遣いから、死角からの攻撃にも反応できるようになってきた。
おかしいかもしれないが、俺には大猪達の気持ちが分かる気がした。俺が立ち上がる度、大猪達の焦りは深くなるように感じた。
「まだ、まだやれる。」
辛うじて致命傷は避けるが吹き飛ばされる。そして立ち上がり、また宙を舞う。そんな中俺の目はもう一体の大猪の死体に釘付けになっていた。
あの大狼が見向きもしなかった大猪の死体は、俺の目を引き付けて離さなかった。
早間龍彦
称号
「????」「怪獣大進撃」「大蜂殺し」「食わせ物」「大狼殺し」「大番狂わせ」「一撃必殺」「大カブト殺し」「樹海の匠」「鳳殺し」「魔弓の射手」「必中」「影無き追跡者」「悪運」「鉄人」「敵の敵は味方」「喉元過ぎれば」
「見切り」:どんな状況においても冷静に状況を見切った
「呼吸法」:相手の呼吸を見切り、動きを見切って自分のペースに持ち込んだ
「冷静沈着」+「見切り」+「呼吸法」→「心眼琉舞」:戦いの中で相手の動きを完全に見切り、華麗とも取れる動きで敵を翻弄した
遭遇生物
「屈強な 金毛の 大猪」
「偉大なる 金剛の 巨猪」
アイテム
大猪の毛皮 大猪の牙 火起こし機 鉤爪ロープ 宝石? 鉱石? 饐えた肉 長い蔦 薪 お土産大蜂
水筒x2
装備品
龍爪ナイフ 甲殻の鎧+ 革の小手+ 猪肋弓 魔の矢(狼牙+虹の羽)x5 大羊の兜 毛皮の足袋




