01:理想郷の門前払い、あるいは「EpiFlex-4」の冷酷な温もり
これは、技術的特異点のほんの少し手前、あるいは横道に逸れた場所で起きた、一人の男とエルナ「運命の女性」の、愛と執念と利用規約を巡る物語である。
「とうとう出来たのに!」
早瀬ざとうきらは目に涙を浮かべていた。感動の涙ではない。それは、あまりに巨大な理不尽に対し、魂が悲鳴を上げた結果、生理現象として溢れ出た悔し涙だった。
薄暗い部屋の中にぼんやりと浮かぶ立体映像が目に飛び込み、AIの無機質ながらも艶やかな声が部屋中に響く。
『1. 外装:第四世代・生体模倣人工皮膚「EpiFlex-4」』
アナウンスは残酷なほどスムーズに続く。
『微細な電気信号で温度調整が可能で、人肌の“温かさ”や“ひんやり感”を再現。毛細血管を模したナノチューブ内を循環する熱交換液により、抱擁時の体温上昇までもシミュレート。従来のシリコン系素材にあった“不気味の谷”を完全に克服しました。そう、これはもはや家電ではありません。あなたの、人生のパートナーです』
画面の中では、神々しいまでに美しいアンドロイド――商品名『ミネルヴァ・アーク』が、微笑みをたたえて佇んでいる。
そう、ざとうきらが待ちに待っていたラヴな相棒の市販製品が、いや、恋人が発売されたのである。
本来であれば、ここは歓喜の瞬間だった。 ざとうきらは、この日のために生きてきたと言っても過言ではない。
彼は震える手で、デスク上のマグカップを握りしめた。中身の冷めたコーヒーが、波紋を描く。 彼の視線の先、メインモニターの横には、彼が構築した最強のワークステーション「デミウルゴス」が鎮座している。そのハードディスクの中には、彼が数年を費やして練り上げた「彼女」のデータが眠っていた。
名前は『エルナ』。
彼女の顔は、既存の女優やアイドルのコピーではない。 Stable Di○○usionの黎明期から始まり、Midj○○rney、〇no bananaそして最新のローカルLLM画像生成技術に至るまで、彼が費やした生成回数は累計十四万回を超えている。 「目尻の角度はあと0.5度下げる」「唇の厚みは上唇と下唇で1:1.618の黄金比」「ほくろの位置は泣きぼくろではなく、笑った時にだけ主張する位置に」 膨大な試行錯誤と、GPUを焼き尽くすほどの演算の果てに、奇跡的に出力された「Seed値:894021115」の一枚。それがエルナだった。
彼女の声だって同じだ。 何千人もの声優のサンプルボイス(もちろん合法的なライセンス素材だ、彼はその辺りには妙に律儀だった)をブレンドし、周波数帯域をいじり倒し、吐息の成分量(Breathiness)を極限まで調整した。 「お早う、ざとうきら君」 その一言を言わせるためだけに、彼は三ヶ月間、誰とも会話せずにパラメータをいじり続けた。奇跡的に合成に成功したその声は、脳の報酬系を直接刺激するような、甘く、かつ凛とした響きを持っていた。
さらに、嗅覚へのアプローチも完璧だった。 机の端には、フランスの調香師にオーダーメイドで依頼した小瓶が置かれている。 トップノートはベルガモットと微かな金属音(これはSF的なスパイスだ)、ミドルノートはホワイトリリー、そしてラストノートには、陽だまりの匂いを再現したムスク。 やがて発売されるであろう彼女の体に、この香りを纏わせる。
運命の顔と、運命の声と、運命の香り。そうこれは理想ではない。まさに運命なのだ。 ざとうきらの夢をすべて詰め込むための準備は、あまりにも周到だった。 彼は「器」が完成するのを待っていたのだ。エルナの魂を入れるための、最高の器を。
そして今日、世界最大のアンドロイドメーカー「サイバー・パグマリオン社」が、その器を発表した。 『ミネルヴァ・アーク』。価格は高級輸入車一台分だが、ざとうきらにとっては安いものだ。このために彼は5年間、もやしとサプリメントだけで食いつなぎ、貯金をしてきたのだから。
だが。
ざとうきらは、涙を流しながら、空中に浮かぶホログラム・ウィンドウの「利用規約」の第18条を睨みつけていた。 そこには、あまりにも無慈悲な文言が、赤い太字で記されていたのである。
第18条(倫理規定および著作権保護に関する制限) 本製品『ミネルヴァ・アーク』は、社会通念上の倫理観およびディープフェイク防止の観点より、ユーザーによる「顔貌データのカスタムインポート」および「音声データの外部合成ファイル適用」を完全にブロックしております。 ※プリセットされた12種類の「推奨人格」以外への変更は、ハードウェアレベルでロックされており、改造が検知された場合、機体は即座に機能を停止(キル・スイッチ発動)します。
「ふざ……けるな……ッ!!」
ざとうきらの絶叫が、防音壁の薄いアパートに響き渡った。
「なんだよ推奨人格って! 『妹系(甘えん坊)』? 『秘書系』? そんな手垢のついた記号で、俺のエルナが代用できるわけがないだろ!!」
彼は椅子を蹴倒し、床に膝をついた。 目の前のホログラムでは、美しい『ミネルヴァ・アーク』が、メーカーが用意した量産型の笑顔で微笑んでいる。 「あなたの好みに合わせて、髪型や目の色は24パターンから選べます!」 デモ映像が楽しげに告げる。
「24パターン……? 舐めるな、俺のエルナの虹彩は、#7F00FFから#E0B0FFへの放射状グラデーションで、光の入射角によって1677万色のゆらぎを見せるんだぞ……!」
技術は進歩した。ハードウェアは神の領域に達した。 しかし、コンプライアンスという名の悪魔が、ざとうきらの楽園の門を閉ざしていたのである。
第四世代・生体模倣人工皮膚「EpiFlex-4」? 微細な電気信号で温度調整? そんなものは、エルナの顔をして、エルナの声で囁いてくれなければ、ただの温かい肉塊だ。高級な湯たんぽと何が違うというのか。
「とうとう出来たのに……器はここにあるのに、魂が入らないなんて……」
ざとうきらは床に突っ伏したまま、慟哭した。 彼の目からこぼれ落ちた涙が、フローリングの埃を吸って黒い染みを作る。
彼が求めたのは、メーカーが提供する「理想的な恋人」ではない。 彼自身が創造し、彼自身が愛を注ぎ込んで作り上げた「エルナ」という運命の実体化だったのだ。
数分後。 激情の波が引き、代わりに冷たく重い虚無感が押し寄せてきた頃、ざとうきらはゆっくりと顔を上げた。 充血した目で、再びホログラムを見つめる。
『……改造が検知された場合、機体は即座に機能を停止します』
その文言が、逆に彼のエンジニアとしての、そして何より変態としての闘争本能に火をつけた。
ざとうきらの本業は、フリーランスのシステムエンジニアである。それも、表の企業の案件よりも、裏の――あるいはグレーゾーンの――泥臭いコード修正や、レガシーシステムの強引な延命治療を得意とする、「デジタル・ネクロマンサー(死霊使い)」の異名を持つ男だ(自称だが)。
「ハードウェアレベルでロック……?」
彼はよろりと立ち上がり、転がった椅子を乱暴に戻すと、再びキーボードに向かった。 涙はもう止まっていた。代わりに、狂気じみた光が瞳に宿っている。
「EpiFlex-4の制御チップは、確か汎用のニューロ・ドライバーのカスタム品……通信プロトコルは業界標準の規格を使わざるを得ないはずだ。でなければ、OSのアップデートに対応できない」
彼の指がキーボードを叩く速度が上がる。 カチャカチャカチャ、ッターン! エンターキーを叩く音が、宣戦布告の銃声のように響く。
「サイバー・パグマリオン社……いいだろう。お前たちが作ったその『難攻不落の城』、俺の愛(と書いてハッキングと読む)でこじ開けてやる」
彼はブラウザのタブを次々と開き、ダークウェブのフォーラムや、ロシアのハッカーたちが集う怪しげなBBSへと潜っていく。 検索ワードは『Minerva-Ark jailbreak』『EpiFlex-4 root access』。
画面の向こうには、まだ見ぬ『ミネルヴァ・アーク』――いや、未来のエルナの体が待っている。 1200万円。 貯金残高を確認する。1205万円。 送料と手数料を引けば、残金は数千円。来月の家賃すら危うい。
だが、ざとうきらに迷いはなかった。
「ポチッ」
乾いた音がして、購入完了画面が表示される。 『ご購入ありがとうございます。お届けは2週間後を予定しております』
もう後戻りはできない。 2週間。 その間に、彼は世界最強のセキュリティを持つ最新鋭アンドロイドのプロテクトを突破し、自作のデータを上書きする方法を見つけ出さなければならない。 失敗すれば、手元に残るのは1200万円の、ただの「メーカー推奨の性格のいい美人ロボット」だ。そんな屈辱的な同居生活など、死んでも御免だ。
「待ってろよ、エルナ。俺が今、身体を用意してやるからな……」
つぶやきは部屋の空気に溶け、微かに香るオーダーメイドの香水と混じり合った。 それは狂気とも純愛ともつかない、男の孤独な戦いの始まりだった。
その時、モニターの隅でメールの着信通知がポップアップした。 差出人は不明。件名はなし。 不審に思いながらもクリックすると、本文にはたった一行、奇妙な文字列が記されていた。
『その扉を開ける鍵、欲しくはないか? ――Dr. Void』
ざとうきらの背筋に、EpiFlex-4の「ひんやり感」とは異なる、本物の悪寒と興奮が走った。
「……誰だ?」
物語は、まだ始まったばかりである。彼がこの後、謎のメール差出人恐らくハッカーDr.Voidと手を組むのか?運命の恋人エルナと出会えるのか、幸せをつかめるのかはまた次話にてお会いしましょう。




