8 真実の愛
光の粒子が収束していく。
まばゆい白さが晴れると、そこには肌を刺すような冷たい風が吹いていた。
遊園地ではない。
あの狭いマンションの一室でもない。
そこは、小高い丘の上にある墓地だった。
頭上には、突き抜けるような秋の青空が広がっている。
俺は、自分が透き通った存在になっていることを自覚しながら、目の前の光景に釘付けになった。
新しい墓石の前に、車椅子に乗った一人の女性がいる。
喪服に身を包み、手を合わせ祈りを捧げるかのように俯いている。
美咲だ。
俺がループの中で見てきた、あどけない笑顔の彼女ではない。
その顔には、愛する人を失った深い悲しみと、それでも前に進もうとする強い意志が刻まれていた。
現実の世界では、あれからどれだけの時が流れたのだろう。
俺が自分の未練という檻の中で足掻いている間、彼女はずっと一人で、この残酷な現実と戦っていたのだ。
「……優くん」
美咲が、墓石に向かって静かに語りかける。
その声は震えていたが、芯の通った響きを持っていた。
「今日ね、夢を見たの」
彼女は愛おしそうに、冷たい石の表面を指先で撫でた。
「優くんが何度も何度も、私を助けようとしてくれてる夢。……ううん、夢じゃないよね。優くん、ずっと苦しんでたんだよね。私のために」
届いていた。
俺の数百回に及ぶ孤独な戦いは、決して無駄じゃなかった。
彼女の祈りが、あの閉ざされた箱庭に干渉し、俺を解放してくれたのだ。
「ごめんな……美咲」
俺は手を伸ばし、彼女の肩に触れようとした。
だが、俺の手は虚しく彼女の体をすり抜けてしまう。
体温を感じることはできない。
けれど、俺の想いに反応したのか、美咲がふと顔を上げ、あたりの空気を探るように見回した。
「……そこに、いるの?」
彼女の瞳が、透明な俺を真っ直ぐに捉える。
見えているはずがない。なのに、彼女は確信に満ちた表情で、俺がいるはずの空間に向かって微笑んだ。
「ありがとう。最後まで守ろうとしてくれて。……私ね、もう大丈夫だよ」
美咲は胸の前で手を合わせ、深く頭を下げた。
その動作に合わせて、左手が陽光を反射してきらりと光った。
俺は息を呑んだ。
彼女の左手の薬指。そこに嵌められているのは、シンプルな銀色のリング。
あれは、俺が最期の日にポケットに入れていたものだ。
そして最後のループで俺が未練を絶ちきるため、彼女の指に嵌めた指輪だ。
おそらく遺品の中から美咲の手に渡ったのだろう。
どんな形であれ、俺の想いは美咲の心に届いてくれたのだ。
そして美咲はそれを嵌めてくれている。すなわち死者との婚約。
それは、彼女にとって重い鎖になるかもしれない。
けれど今の彼女にとっては、それが前を向くための唯一の鎧なのかもしれない。
「これ、私にって事でいいんだよね。……プロポーズの言葉、聞きたかったなあ。きっと優くんの事だから、噛み噛みでムード台無しにしちゃうんだろうなあ」
そう言うとぷはっといつもの笑顔が垣間見えた。
「優くんがくれたこの指輪と一緒に、私、生きていくね。優くんの分まで、たくさん笑って、たくさん泣いて……精一杯生きるから」
大粒の涙が、彼女の頬を伝って地面に落ちる。
それは悲しみの涙ではなく、決意の雫だった。
「だから……安心して、行ってらっしゃい」
その言葉が、合図だった。
俺の身体が、重力から解き放たれるのを感じた。
未練という名の重りはもうない。
心にあるのは、空よりも澄み切った幸福感だけ。
プロポーズの言葉は、直接言えなかった。
けれど、想いは確かに繋がった。
死さえも分かつことのできない絆が、ここにある。
「……行ってきます」
俺は最愛の妻に向かって、最高の笑顔を向けた。
声は風になり、彼女の髪を優しく揺らした。
美咲が、涙に濡れた顔で、空を見上げて笑う。
まるで、風になった俺が見えたかのように。
「愛してるよ、ずっと」
彼女の愛の言葉を背に受けて、俺は光の中へと溶けていく。
終わらない一日は、終わりを告げた。
けれど、俺たちの物語は終わらない。
彼女が生き続ける限り、俺は彼女の中で生き続けるのだから。
――ありがとう、美咲。
俺の意識は、高く、どこまでも高い秋の青空へと吸い込まれ、やがて完全な光となった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
……どうでしたか?
自分は自分で書いておきながら、確認のために読み返しただけで泣きました。
泣ける作品が書きたい。そう思って書いたのですが、皆さんの心には届いたでしょうか?
二人とも生き残るハッピーエンドではありませんが、これはこれでひとつの綺麗な終わり方、トゥルーエンドですよね。
愛する人と過ごす時間は限られています。
悔いのない人生を送ることは難しいですが、送ろうとする努力を少しでもしていれば、多少は報われると思いますよ。
では長々と話して、余韻を邪魔しては悪いのでそろそろ失礼します。
最後までお付き合いありがとうございました!




