かの侯爵家夫妻の言葉に、夜会は静まり返った
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「……」
「まあ旦那様。このローストビーフ、とっても柔らかいですわ。口の中でとろけますの」
「…………そうか」
夜会中の視線が、とある侯爵夫妻に集まっている。特に憐憫が侯爵夫人に向けられていた。
視線にはついとも気を止めずローストビーフを堪能する侯爵夫人――スフィアを、夫のローレンスは無言で見つめ続けている。
ここはお喋りなことで有名なアムス国。令嬢もよく喋れば令息もよく喋り、平民もよく喋る。とりあえず煩い国であった。
お祭りともなればそれは顕著になり、喉ケアのために蜂蜜水が無料で配られるほどだ。
対して、隣国のイーシュア国は無言が美徳とされていた。令嬢は静かに笑い令息は視線を交錯させ、平民も阿吽の呼吸。
国王が民に向け言葉を話す機会もあるが、大体長くても三行ほどで終わる。カンペを持ち歩く必要はない。それはどうなのかと無口な国王も心の中で考えたが、民は国王の言葉に心を震わし、静かに泣いているので良しとした。どっこいどっこいである。
ちなみにアムス国もカンペは作らない主義だ。喋れば次々に喋りたいことがでてくる。そのため国王の話すことは大抵どうでも良いことなのだが、喋りながら話を聞く民たちによって拡大解釈され、「なんて素晴らしい話なんだ……!」涙ダバダバである。
外遊に来たイーシュアの国王はそれを見て、久方ぶりに言葉を発した。カオス、と。
アムス国とイーシュア国は水と油。黒と白。甘味と辛味。交じり合わず生きてきたが、流石にそれでは駄目だと両家は話し合った。……一方的にアムス国が話していたが。
「うふふ、ごきげんようローレンス様。お名前とても素敵ですわ。ですがね、わたくし結婚する人を旦那様と呼ぶのが夢でしたの。なぜかと思われますか? それはですね、お母様がお父様をそうお呼びになるからですわ」
「…………」
「というわけで、旦那様と呼んでもよろしいですか? この結婚は王命、わたくしたちの結婚は確実なのですし」
「………………………………好きに、呼べ」
「まああ! 声まで素敵なのですね!」
そうして決まったのが政略結婚。
抜擢されたのは、アムス国の中では比較的お喋りではなくおっとりとした性格のスフィアと、お喋り攻撃にも耐えきれるようにと忍耐力がある騎士で、侯爵家の次男でもあるローレンス。
スフィアは侯爵家の一人娘なため必然的にローレンスがアムス国に婿入りした。
ちなみに、イーシュア国に対するアムス国の評価は軒並み『怖い。お喋りし過ぎたら射抜かれそう』。
そのため夜会では、いつかスフィアが可哀想な目に遭うかもしれないと貴族たちはチラチラコソコソしながら観察している。情に厚い野次馬が多いのだ。
そんな周りの反応に気づいているのかいないのか、侯爵家夫妻は――というよりもスフィアは軽食を楽しんでいる。スフィアの頬についたクリームをローレンスが取れば、彼女の頬がポポポと赤くなった。
二人を眺めていた令嬢の一人が、プルプルと震えた。
「どうしましょうどうしましょう。私イーシュア国の方々に嫌われてしまうかもだわ。だってお喋りとっても苦手なんでしょう? スフィア様と結婚なさった侯爵様にも、この間話しすぎてしまったもの」
「僕もだよ。なにも聞かれてないのに、色々なことを喋ってしまった。もっと国のことを知ってほしくて国の慣習なんかを沢山喋ってしまったんだ。きっととても迷惑したはずだよ」
「これでは近々開催される両国の間で開催されるお祭りでも、うざがられてしまうわ。どうしましょう、嫌われるのは悲しいわ」
一息で話し終えれば、隣にいた令息もしょんぼりとした。
数珠つなぎのように「私も隣国の人に会えたのが嬉しくて侯爵様に色々……」「俺も……」「私も……きっととっても迷惑だったわよね。だけど止まらないの」夜会中の人間が、自分のお喋りを反省した。
話しかけている時、ローレンスの隣にいるスフィアが相槌を打ってくれるため、彼自身が真面目に聞いてなくても困らなかったと思うが、イーシュア国の人にとってお喋りはきっと楽しくない。
難しい。どうしたら良いのか。今度イーシュア国の文化を知るための会でも開くか。
あーでもないこーでもないと話していると、ローレンスが急に跪いた。
皆の視線が今一度侯爵家夫妻に集まる。
ローレンスの挙動を固唾を呑んで見守る。静まり返った会場は、後にも先にもこれだけだった。
「………………スフィア」
「なんですか」
静かに、小さな声でローレンスは言葉を紡ぐ。
従者がやって来て、一輪の水色の花がローレンスに渡され、それを跪いたまま彼はスフィアに捧げた。
透き通った花弁はとても美しく、誰もが見惚れてしまう。茎に結ばれたリボンは、ローレンスの瞳と同じ黄色だった。
「……………………………………これを、君に」
「え、っと? なんでしょうかローレンス様。ローレンス様〜?」
困ったのはスフィアだ。花を貰えるのは嬉しいが、彼はただ花を渡したかった訳ではないはずだ。だがいかんせんその理由にとんと見当がつかない。
ローレンスに困ったという視線を送るが、彼には花を捧げるまでが限界だったのか黙り込んでしまっている。
静まり返った会場。
最初に声を上げたのは、二人のご令嬢だった。手を取り合ってキャッキャとはしゃいでいる。
「それはあれですわよね、『花語らい』ですわよね!」
「夜会で花を捧げて、想いが通じたのなら花を受け取って貰うという、あの!」
「「そしてその花について語らい、仲を更に深められるロマンチックなアムス国独自の告白方法ですわ!」」
合点がいったのか、会場がわっと沸いた。
夢見る乙女、もとい令嬢や夫人がキャーッと歓声を上げる。
リアリストでそういうことに疎いスフィアは「あらまあ!」と嬉しそうにローレンスから花を受け取る。
会場が拍手でいっぱいになった。
立ち上がったローレンスは、スフィアの腰を抱く。
「…………俺は、最初この国に来るのが不安だった。口下手だからだ」
騎士だから肺が鍛えられている彼の声は、お喋りで満ちた会場の中でもよく通った。
皆、そうだよねぇ……と泣きそうな顔になっている。
「……………………だが」
おっと、否定形。雲行きが変わってきたぞ。
いつもより小声で誰かが実況する。皆の目にはキラキラが戻ってきた。
「……………………皆さんは、俺が無言でも沢山話しかけてくれ、とても嬉しかった。花語らいも、皆さんから聞いたものだ。他にも、沢山。これからも、色々なことを話したい。……どうも、ありがとう」
感動でさっきの数倍大きな拍手の音が鳴る。
――こんなに長く、喋れるんだ!!
そう思いながら、むしろ口に出しながら、皆はローレンスとスフィアを祝福した。
喋りかけられたのが嬉しいと知って、少しだけ泣いた。
ローレンスと喋れるのが嬉しくて、謁見の場で一時間も話してしまい、彼に嫌われたのではと怯えていた国王も嬉しくて泣いた。
温かい拍手に恥じらうローレンスを、スフィアは柔らかい目で見つめる。
イーシュア国の民は確かに無口だ。だけど大切なことはちゃんと話してくれるし、話も全部聞いてくれる。
最初はこの結婚が不安でしょうがなかった彼女を支えてくれたのは、間違いなくローレンスだ。刺繍を刺して渡せば大層喜んでくれるし、好きな食べ物を聞けば答えてくれる。
生理が重くて苦しい時は、なにをしてほしいかと聞かれ、背中をずっと擦ってほしいと言えば本当にそうしてくれた。最近では、生理が始まり報告をすると、執務仕事の手を止め代わりに毛布を持ち、側にいてくれる。
恥ずかしかったのか段々顔が赤くなっている愛しい旦那様をそっと見上げた。
「愛してますわ、旦那様」
「………………………………俺も、スフィアを愛している」
ほら。スフィアは彼のこういう所が堪らなく好きなのだ。
両国の間で開催されたお祭り。結果から言えば大成功を収めた。
そもそもとしてイーシュア国の民は、一人で完結する趣味を選ぶ傾向にある。つまりは、本を読むのが好きな民が多かった。
そんな彼らにとって、喋り過ぎるが故に喋るのが上手なアムス国の民の話は非常に興味深かった。アムス国の民も、興味深くこちらの話を聞いてくれ相槌も時たま打ってくれるイーシュア国の民とのお喋りが楽しかった。
お互いの間にできていた偏見も剥がれ落ち、お祭りはどんどん栄えていく。
無口なイーシュア国にはない、歌って踊るミュージカルは大盛況。
本の製本技術が進んだイーシュア国だからこそ出来る本の市は、アムス国の民も喜んだ。
夜は更けていく。いつまで経ってもアムス国民の笑いは尽きなく、そこに少しだけイーシュア国民が混じり、お祭りはまだまだ続いていく。
――両国は仲を深めていき、最初の両国を繋ぐ架け橋となった二人がこの世を去った時には、一方の国は人の相槌を待つ忍耐を身に付け、もう一方の国は少しだけお喋りになった。
「いつまでもこんな世が続いていくといいな」
「そうですわね」
「……そんな世界で、また君と出会えたら嬉しい」
「っわたくしもですわ!」
そんな国を、すっかりお喋りになった旦那様と話しながらスフィアは見守る。
話は尽きず、ゆっくりゆっくり天上へと昇っていった。
◇◇◇
「……あの、なんでしょうか」
「いや、ごめん。君がすっごく可愛くてびっくりしたんだ! 天使? 天使かな? 金髪も綺麗だし、青い瞳も僕の好きな色だよ! 結婚してください!」
「……!??」
六年後。大きな樹の下でアムス国の少年がイーシュア国の少女に告白し、二人は指切りげんまんをした。
なお、二人はスフィアとローレンスの生まれ変わりである。
結婚式の日に前世を思い出したスフィア――改めシシリアは、今日も今日とてお喋りな旦那様に思わず笑ってしまうのだった。
その笑顔をローレンス――改めフィラスが見逃さなかったのは言うまでもない。
一位ありがとうございます。活動報告に記念SSを投稿しました。よろしくお願いします。
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