春は過ぐとも
春の嵐山でデートした帰りの新幹線、富士山を眺めていた隣の青年が突然、溶けるように死んだ。
先日、春の京都で親友の里菜と3年ぶりの再会を果たした。
「うわぁー、久っさしぶりー!」
眼の前が開け渡月橋が見えた。青空の下、嵐山の中腹に白い山桜がもこもこといくつも咲いているのが見える。3年ぶりの渡月橋、桂川の水も青空を映しさらさらと流れている。
「卒業旅行以来だねー」
と言って、ちょっと顔を赤らめる里菜のその頬も青空を映し桜色にみえる。里菜、綾部里菜は一緒に「リケジョ」を目指し受験を頑張った親友…だ。出席番号が隣でいつも一緒にいたのと、私の名前、綾地莉緒と名前が紛らわしくてクラスメートからは
「ほんと、あやりりたち仲良しだよねー」
って、二人まとめて「あやりり」って呼ばれてた。
3年前。大学受験が終わり、私の進学先が東京の大学に決まった頃、里菜がちょっと話があるの言ってきた。
「ありがとー。急に呼び出してごめんねー」
「ううん。なになに?卒業パーティーの話?」
「ちょっと違くて…引っ越しするじゃん?」
「うん、ちょっと会いにくくなるね」
里菜は念願叶って京都の大学に行くことになったんだけど、私は東京、離ればなれになる。
「うん、寂しい…っていうか里菜がいなくなると心細いな―」
「私も、すぐ横にいなくなるの寂しいなー」
「春なのにねー…春だからかぁ…」
「…でね、本題なんだけど…」
「うん」
「ねぇ、二人だけで卒業旅行しない?」
「え、う、うん。する!」
「一杯頑張ったし、少しは羽伸ばしたいよねー!」
「うん、そうしよ!どこか行きたいとこある?国内?外国?」
「えーとね、あのね、外国も気になるけど、あの…京都ってどうかな?これから私が住む町を紹介したいなーって…っていうか、もう、住むとこも決まったんだ」
「わぁ、春の京都好き。新居おめでとー。素早いね―。でも、地元みたいになるとこで良いの?」
「私、京都での生活の初めての思い出が莉緒だと良いなぁ…なんて…」
「もう、愛いやつ。里菜は可愛いねー。分かった。二人で旅行楽しみ。計画立てよ―!」
「私んち起点にすれば宿代かかんないし…引っ越しの片づけまだ終わってないけど、おふとんとか大丈夫だから着替えとかだけ送って!」
そして京都。二人の卒業旅行。嵐山の駅を出るなり腕を組んでくる里菜。女子校にはよくあることかも知れないけど、里菜はいつも甘えてきて、私はそれが可愛くて仕方ない。
「私ね、嵐山の山桜が好きなの、子供の頃に連れてきてもらって、山が桜で真っ白に見えて幻想的で、それで、まだそんなに咲いてないかも知れないけど、でも観光客が多すぎじゃなくて、ちょっと落ち着いてていいでしょ?」
「なんだか母校の名前っぽい場所だねー」
渡月橋から中の島の公園をくるりと回りながら二人の写真を何枚も撮ってまた渡月橋を渡る。船着き場の方へ向かい、その奥の嵐山羅漢の先にあった湯豆腐屋さんに入った。綺麗なお庭を眺めつつ、熱々の湯豆腐を頂きながら、高校の思い出や、誰が誰を好きだったとか、そんな他愛の無い話をする。こういうの、ほんっと幸せなひととき。
店を出て天龍寺を巡り、なんとなく人混みを避けながら、裏の細道を若々しい緑の紅葉の路を抜けながら歩く。里菜の後れ毛が木漏れ日に時折きらきらと光り、その白い首筋に同性ながらちょっとどきっとする。竹林の小径を抜けて少し登ると目の前が開け亀山の公園についた。ところどころに百人一首の短歌が刻まれている大きな石碑が飾ってある。ちょっと人の少ない外れの藤棚に、空いてるベンチを見つけて一休み。
「いっぱい歩いたね―!」
「うん、これぞ百人一首の世界って感じだねー」
「やっぱ、表と違って人も景色もおっとりしてるー」
「ねー、あ、あっちの展望台!行こー!」
「はは、でも里菜はおっとりしてないんだ」
まばらに桜が咲いている公園を抜けて展望台へ行く。
「わぁ、綺麗…」
対岸の嵐山に丸く、白く、ほのかに紅く、山桜が咲いている。途中にあった権中納言匡房の歌がまさにぴったりだ。
たかさこの尾上の桜咲きにけり 外山の霞立たすもあらなむ
「本当に綺麗…また一緒にこの景色見れるといいなぁ…」
「大丈夫だよー、また来るし…」
二人並んでいつの間にか指を絡めて繋いでた手に気づいた。
「こっちきて!他のカップルに負けずにくっついて写真取るよ―!」
照れ隠しのようにそのまま手を引っ張って端まで行って、里菜の細い腰に手を回してぐいっと引き寄せ
「撮るよ―!こっちー!」 (パシャパシャパシャ)
「ポーズかえてもう一回!」(パシャパシャパシャ)
「そろそろ行こっかー?」
「だねー、ちょっと肌寒くなってきたし」
丘を下り桂川沿いにまた渡月橋の方へ向かう。途中で里菜が少し立ち止まり、また短歌の刻まれた石碑を見ている。
かくとたにえやはいふきのさしも草 さしも知らしなもゆる思ひを
「短歌のいっぱいあるねー。何個くらいあるんだろ?やっぱ101?」
「流石にそんなには無くない?岩だらけになっちゃうよー」
渡月橋と嵐山に別れを告げて嵐電に乗る。おっとりとした風景はちょっと江ノ電みたいだね、なんて言いながら京都の町を横切り、終点で降りて駅横のスーパーでお祝いのシャンパンを買って里菜の新居に向かった。
「いらっしゃーい」
「おじゃましまーす」
「いい部屋だねー。学校まで近いの?」
「バスでちょっと、と、少し歩く」
「ま、少しは歩かなきゃねー」
「だよねー。夕ご飯簡単なので良ければ作るから、ちょっと休んでてー」
今日撮った写真を見たりしながら話していいるうちに里菜が手際よくご飯を作ってくれた。
「お昼に贅沢したからねー。夕ご飯はこれくらいかな?」
シーザーサラダとラザニアとグリルチキン、サラダのパプリカが綺麗だ。
「ダイエット、ダイエット。でも簡単とか言ってラザニアまで作るの凄い。好き好き。はい、お祝いのシャンパン」
「今日は一杯歩いたから平気平気。莉緒もイタリアン好きだもんねー、仕込んでたの。わーい、ありがとう!」
「それじゃ、進学と新居を祝って、かんぱーい!」
「莉緒もおめでとうー!かんぱーい!」
「ごちそうさまー」
「ごちそうさまー」
「ふわぁ…ちょっと酔ったかもー」
「シャンパンありがとうー、美味しかったー!こっちこっち」
「えい!」
ベッドに手招きされて、里菜の横に座ったら押し倒された。並んで二人見つめ合う。ちょっと顔が近くなる。里菜の長いまつ毛と少し潤んだ瞳が美しい。
「莉緒、今日はありがとう。嬉しかった」
「えー、何押し倒してから改まってるのー、でも、私も。ありがとう」
「学校変わっちゃうけど、これからも仲良くしてね」
「もちろんだよ…ん」
「…」
里菜にキスされた。びっくりしたけど、そんな嫌じゃなくて…っていうかなんか自然で、不思議な気持ちだった。
「ご、ごめん…」
「ううん、平気…ちょっと不安なんだよね?」
「…うん」
「いいこいいこ…」
新生活の不安が交じる里菜が可愛らしくて、また、里菜の細い腰に手を回して抱き寄せ、艶々に濡れた桜色の唇をぼんやりと見ながらその綺麗な髪を私は撫で続けた。
「…ねぇ、里菜って大学でどんなことしたいの?分野とか研究とか」
「ライフサイエンス?幹細胞とか遺伝子導入とか…生命の秘密に少しでも良いから迫りたい!」
「おー!なんか凄いね。格好良い!」
「莉緒は?」
「んー、私はバイオケミカル?ミクロなデザインのmRNAワクチンとか治療薬とかやりたい!」
「わぁ、面白い!分野はちょっと違うけど似てるねー!」
「やっぱり、あやりりコンビって感じかな―」
「がんばろー!」
「おー!…ん」
また、キスされた。か、可愛いなぁ。
「あ、お風呂、溜めるね!」
かわりばんこにお風呂に入って春の埃とお化粧を洗い流し、髪を乾かした。パジャマがわりの部屋着に着替え、そして、なんとなく一緒のベッドで寝ることになった。
「隣で寝るの修学旅行以来かなー」
「かなー。でも今日は二人だけだね」
「…ちょっと寒い」
「うん…」
肌を寄せ合い、また、なんとなく指を繋いで、そのまま眠りに落ちた。
翌朝からは何事もなかったかのように町巡り。バスに乗って大学の近くで降りてぐるりと案内してもらった。
「もう少し京都観光っぽい事もしよっかー」
「わーい。するー!」
加茂大橋まで戻って電車に乗って三条で降りてカップルだらけの鴨川沿いを散歩、着物コスの観光客も沢山いる祗園を抜けて八坂神社へ。
「まだ夜でも月夜でも無いけどみんな美しいねー」
「えー、なにそれ。与謝野里菜子って感じー?」
「えへへー漱石も交ざってるかもー?」
里菜が腕を組んで来る。円山公園の垂れ桜はまだつぼみ。桜のソフトクリームを買って、ねねの道から足を伸ばして南に下り清水へ。清水寺の舞台から見ると京の都のありとあらゆるところに桜が咲いている。
「綺麗だね―」
「綺麗だねー。ソメイヨシノも良いけど私はやっぱり嵐山の白い山桜が好きだな―」
「色とか一重とか遺伝子どれくらい違うんだろうね―?」
「えー、そこー!?」
「ごめんー」
「嵐山で沢を渡る風に揺れる、仄かな、仄かに色づいて凛とした山桜が好きなの…」
「里菜は詩人だねー、あ、もしかして?恋は人を詩人にするってやつ?なんてね」
里菜が無言で組んでる腕をぎゅっと引き寄せ、ひとこと呟いた。
「ばか…」
「…里菜」
少し傾いた陽の光に照らされて光る里菜の髪の毛と桜色の頬がどの桜にも優って美しく輝いて見えた。
そんな思い出の京都。私たちは少し成長したけど、3年ぶりに訪れる嵐山も公園も前と同じままだ。揺れる川面に思い出が反射する。互いに勉強とか色々忙しくてスケジュールが合わず、3年間全然会えなかったけどSNSやメッセージや電話のおかげでそんなに会ってないような感じがしない。渡月橋の前を右に行き、前に来た公園の展望台をまた訪れた。
「風景は懐かしいけど、里菜はそんなに懐かしい感じしないなー。でもちょっと可愛い系から綺麗系に変わったかな―」
「えー、なにそれ、もう少し再会を喜んでよ―!でも、私も同じ感じ。莉緒もちょっと大人っぽくなったね」
「お褒め頂きありがとう…会いたかった―!」
「私もー!会いたかったー!」
3年ぶりの再会を喜び人目も憚らずに抱き合う二人。
「やっぱラインなんかじゃ、この温もりも感触も伝わらないもんね…」
里菜がちょっと涙ぐんでる。
「里菜頑張ってるよね。いいこいいこ」
「…ありがとう」
「今日はゆっくりお散歩したいな…」
思い出の公園を散歩しながら、里菜がこの1年くらいの大学での話をしてくれた。2年の学生実験の指導をしてくれた院生が自分の進みたい分野の研究室の人だったのがきっかけで、その研究室に入り浸るようになって実験の準備とか調べ物とか手伝うようになったらしい。研究室の冷蔵庫に培地とコンビニスイーツが一緒に入ってる話とか、エタノールの大瓶が割れて全員退避になった時に防爆液体掃除機っていうのがあるのを知ったとか、つまづいて遠心分離機にぶつかって1回分の遠心分離をダメにした話とか、最近だと、実験動物をお世話してた子が、モルちゃん1とかはっつぁん2とかって名前をつけて可愛がってて、実験前日に可哀想になってウイルスに罹患させてる子を連れて逃げて大騒ぎになった話とか、色々な研究室ネタを話してくれる。
「大学残るの?」
「今手伝ってる研究室って企業が出資してくれてて、そこにも研究所があってそっちにも枠があるって言ってくれてる。就職してお給料もらいながら共同研究しながら論文書くなんて夢みたい、もし入れれば」
「そっかぁ、そういうのもあるのねー」
「すっごくちゃんと頑張らなきゃだめだけど、ライフサイエンス頑張りたいな―」
「ライフサイエンスって例えばどういうの?」
「iPS細胞とウイルスベクターを使った遺伝子導入の融合で機能性細胞のプログラミングとか」
「なんだか凄い。スパコンで分子シミュレートしまくりの薬学よりぶっ飛んでる感じがあるー」
「21世紀だなーって感じ。うちの研究室は資金援助で角膜の再生研究させてもらってて、私も手伝ってる」
「でも、みんな優秀で心が折れそうになったりもするのー」
「里菜なら大丈夫だよー。心の支えは任せろ…なんてね」
「ありがとう。昔も今もいつもありがとう、私、莉緒がいたから頑張れてるような気がする」
「あ、そうだ、実はね、今日はちょっとお洒落なところ予約してるのー」
「え、なに?晩ごはん?」
「うん、ワインと鴨肉が美味しいお店」
「おー、フレンチ?その全然京都っぽくないところが地元民ぽくて良いわ―、楽しみ―」
「いっぱい歩いたし、タクっちゃう?」
「うん、タクる。今日もいっぱい歩いたね」
観光客に紛れてしばらくタクシーを待ち、混んでいる市街地を抜けて四条河原町辺りで下ろしてもらった。鴨川辺りを散歩しながら、
「あのお店、日本最古のエレベーターがあるんだよー」
とか地元っぽい観光案内をしてくれる。四条大橋を渡りながら
「相変わらず、カップルが鈴なりだねー」
「春なのに熱いよねー」
「あ、お店は祗園だよ」
「わぁ、思い出の祗園へ!」
「じゃ、改めて、再会を祝して!」
「かんぱーい!」
「かんぱーい!」
オードブルの写真を撮ったりお話したり、キャンドルのような明かりの下の里菜は大人びて見える。
「鴨料理オレンジソースが合ってて美味しいー」
「良かった。美味しいねー」
「ワインも美味しい。ブルゴーニュ?やっぱ鴨には赤ワイン。あれ?そういえば。この鴨と鴨川とか上賀茂とか関係あるのかなー?」
「あ、ヤバ、地元なのにそれ知らないかも―」
「かもー!もう、里菜には地元なんだね」
「京都弁は全然だけどねー、大好きな町だよー」
「ねぇ、この後どうする?」
「あ、レストランの予約出来て嬉しくなってて、抜けてた、どうしよ?今からだと…」
「あのね!今日泊まるとこって、ちょっと贅沢なホテルとってて…」
「うん」
「…実はね、2名で取ってるの。あの、もし良ければ、一緒にお泊りどうかなー?」
「莉緒、確信犯だね、ありがとー。もちろんOKだよ、嬉しいー!」
「良かったー。断られたらってどきどきだった」
「私が莉緒を大好きなのもずっと変わってないよ…」
「やーん、照れる、隣に人いるし!」
「大丈夫大丈夫、隣もカップルだし」
(も…なんだ)
嬉しいのと里菜が可愛いので萌死にしそう。
まだ宵の口の祗園を出て四条通りでタクシーに乗り八坂神社と知恩院の前を通って小高い丘のホテルに着いた。
超ゴージャス。家庭教師とかのアルバイトで貯めたお金を全部つぎ込むような贅沢。
(だって久々の里菜と二人の時間なんだもん)
ちょっと腰が引けるのを背筋を伸ばしてチェックインした。なんとなく二人とも無言でエレベーターの時間がもどかしく感じる。お部屋に入って手洗いうがい、ジャケットをかけるのまたももどかしい。
「里菜ー」
「莉緒ー」
里菜にキスしながら抱きしめる。里菜の華奢な腰はそのままだ。
「ん…」
「ん…」
そのまま里菜をベッドに押し倒した。二人の胸のブラがぶつかり合ってちょっと抱きしめるのを邪魔された気がした。
「会いたかったー」
「さっきまで会ってたのに?」
「もう、いじわる」
「ワイン美味しくて…ちょっと酔ってるかも」
「私も…里菜に…酔ってるかも…」
「ん…」
「ん…」
「ね、シャワー浴びよ…」
「うん」
「お部屋も綺麗で広いけど、お風呂も広いね―」
「なんか、全部がゆったりでゴージャス」
「莉緒もなんかゴージャス、前からだけどセクシーになったね。どきどきする」
「里菜も華奢なのにおっぱい大きくなったねー。私もどきどきする」
シャワーで濡れたまま里菜を抱き寄せた。背中とお尻に手を回しながらキスをする。柔らかくてぬるぬるの唇とすべすべで張りのあるお尻の感触と全てが愛おしい。里菜をそっと撫でてると応えるように腰とおしりに手を回された。
「ねぇ…」
「うん…」
お布団の中で抱き合いながら募ってた思いを語ったり、時折将来の夢を語ったりしながら夜は更けていく。
「…のど乾いたね」
「うん、お水ー」
「なんだかいっぱい汗かいちゃった」
「ふたりとも汗きらきらだねー」
「やーん、ちょっと恥ずかしい」
「ねぇ、こっち、夜景綺麗」
「わぁ、京都の町ってやっぱり四角いねー」
「あの辺りが私の大学で、そのちょっと先が私のお家」
「大学…あと1年で卒業かぁ」
「早いねー」
「研究室とか卒論とか就活?進学?」
「まだ決めてないけど、研究続けたいな―」
「研究する人生かぁ…凄いなぁ…ねぇ、結婚とかそういうのは?」
「莉緒…今それ聞く?」
「ごめん、里菜、あの…あのね…」
「なぁに?」
「私、里菜が好きなの。里菜が研究ばっかりになっても男の人好きになっても私のこと忘れないで…」
「莉緒、私も莉緒が好き。今は好きな人は莉緒だけでいいの。だから私のことも忘れないで…」
「里菜、愛してる…」
「私も、愛してる…」
夜景が涙に滲み目を閉じた。ひときわ激しく唇が重なりあった。そしてまた、里菜と私は大きなベッドの中でお互いの気持を確かめながら、いつしか眠りについた。
(…シャワーの音?)
かにかくに祗園は恋し寝るときも枕の下を水の流るる
夢現に吉井勇の歌が頭をよぎる
「あ?起こしちゃった?」
「ううん、大丈夫、おはよー」
「また喉が乾いて目が覚めて…それで、あの、昨日あのまま寝ちゃったから…」
「あ、そだね、えへへ、じゃあ私も浴びるー」
「ねえ、今日帰るの?」
「うん、明日はミーティングなのでちょっと準備したい…けど…もっと一緒に居たいよー」
「今度は私がいくよー。シーとか連れてって―」
「いいね、制服着ちゃう?」
「う、厳しくない?」
「平気平気、ダイエット、ダイエット」
どちらからともなくぎゅってハグして軽いキスして身体を拭いて、お化粧とお着替え開始。チェックアウトしたらゴージャスなホテルともお別れ。タクシーに乗った。
「凄く素敵なホテルだったね―。ありがとうー。はいこれ半分」
「いいよー、私の勝手なわがままだもん」
「じゃあ、これだけはもらって」
「ありがとう、わがままに付き合ってもらったのに」
「莉緒、大好き」
「里菜、私も大好き」
烏丸口で降りたら、近くのカフェで新幹線の時間まで軽くブランチ。名残を惜しみつつちょっとお土産を買って上りの新幹線のホームに来た。
「また会おうね―」
「また連絡するねー」
「またねー、頑張ろー。身体大事にねー」
「はーい。そっちも色々気をつけてねー」
後ろ髪を引かれつつ、車窓から里菜に手を振り、直後に「またねー、大好き!」ってメッセージを送った。
「すいませーん」
「はーい」
ちょっと遅れて男性客がやってきて荷物棚に荷物を置いて隣の窓側の席に座った。5歳くらい年上に見えるスーツが似合うダンディな青年だ。そこはかとない育ちの良さを感じて、ちょっと気後れした私は黙ってスマホをいじってた。
社内販売の声。
「あ、コーヒー下さい」
「あ、コーヒー下さい」
隣の男性とハモってしまった。
「あ、生八ツ橋付きのにしてください」
「お、そういうのがあるんですね。じゃあ、私も!」
って男性が言って、こっちを向いてニコッと笑った。いきなり子供っぽい笑顔がチャーミングだ。それがきっかけで、なんとなくおしゃべりを初めた。
「どちらまでなんですか?」
「新横浜で乗り換えですー」
「あ、じゃあ私と同じですね、あ、穂高って言います」
「私、綾地です」
「生八ツ橋って他にもあるんですね」
とその男性…穂高さんが言う。
「そうなんですー。ラムネのとかもあるんですよ」
「え、ラムネ?そんなのあるんですか?気になります!」
きらきらとした瞳がめちゃくちゃチャーミング。きっとモテるんだろうな。
「あ、さっき自家用に買ったのがあるの、おひとつ如何?」
とラムネの生八ツ橋を見せた。
「うわぁ、お会いしたばかりなのに恐縮です。もしよろしければ是非!」
「じゃ、お二つどうぞ、一人で食べるにはちょっと多くて」
コーヒーの蓋をひっくり返して置き皿代わりにし生八ツ橋をおすそ分け。
「うわ、不思議!ラムネだ!」
少年のように美味しそうに食べるのも可愛らしい。
でも少しお話ししたら、その可愛らしい見た目と裏腹にバイオテクノロジーに投資している実業家とのこと。なんか凄い。新横浜で乗り換えて横浜の研究所にちょっと寄るらしい。親友がバイオ関係なんですって、話を振ったもののどこの研究所とか投資先ととかははぐらかされて、バイオ関係も守秘義務とか厳しいんだろうなぁって勝手に納得した。
富士山が左に見え始めたころ
「富士山だね」
とちょっと遠い目をして、あたり前のことを言う。
「静岡、横浜まであとちょっとですね。…ちょっと失礼します」
さっこのコーヒーのせい?ちょっとお手洗いに立ってついでにリップを塗って戻ってくると
穂高さんが|窓に凭たれてうとうとしている。コーヒー飲んだのに眠れるのってやっぱ実業家って大変なんだろうなぁ…とそのままに。私はまたスマホでニュースとか見てた。
♪ジングルとともにアナウンスが流れる。
『まもなく新横浜です。横浜線と地下鉄線はお乗り換えです…』
(昔は「Be ambitous」で、今は「会いに行こう」…里菜と私にぴったりだわ)
なんてちょっと思いながら、
「穂高さん、もうすぐ新横浜ですよ!」
声をかけても返事がない。肩を揺すろうとしたら、ぐにゃっとした感触とともにスーツごとずるりと穂高さんが椅子から滑り落ちた。
「穂高さん?」
動かない…スーツに染みがついて…意識を失ってる…じゃなくて死んでる!?
「きゃあーーー…」
「どうされました!?」
ちょっと気が遠くなりかけた私に、近くの誰かが声をかけてくれた。
「あ、あ、あ、さっきまで、元気だった人が…」
ガクガクになってパニクる私。他の誰かがSOSボタンを押してくれた。
ふと我に返ると私は救急隊員や警官と一緒に救急病院の待合室にいた。警官に名前とか連絡先とか聞かれてると別の警官がやってきた。
「残念ですが、ご一緒だった男性は先程死亡が確認されました。この男性とはお知り合いですか?」
「穂高さん…京都で新幹線の席が隣で、知り合ったばかりです」
「死因に何か心当たりはありませんか?」
「ごめんなさい、一緒にコーヒー飲んでお話しただけなので…でも全然そんな感じはありませんでした」
「失礼ですが、綾地さん、穂高さんに何か飲ませませんでしたか?」
「え?何?私、疑われてるんですか?京都土産に買った生八ツ橋を半分こしました」
「あ、やっぱり生八ツ橋ですよね。検死中ですが胃に内容物があったので確認です」
「車内販売のコーヒーも生八ツ橋セットでした。穂高さん、どうして亡くなったんですか?」
「分からないので検死中なんですが、口外することはできません、でも不思議で…もう身体が死後数日経ったかのような感じになってきてるんです、あ、内緒です」
結局、ショックを受けて何がなんだかわからないまま長い間待たされたり質問されたりして、随分と時間が経ってからパトカーで自宅まで送り届けてもらい、また、何かお聞きすることがあるかも知れませんと言われて放免された。翌日また警察から連絡があったけれど、私にやましいところも心当たりもあるわけなく、今のところ無関係とされたみたいだ。ショックからやっと立ち直った頃、ネットニュースで青年実業家でバイオ関係の投資家の穂高直樹(39)が移動中に心不全で急死とのニュースが流れてきた。
「あんなにきらきらと少年みたいだったのに39歳だったんだ…20代後半くらいだと思ってた…」
バイオという言葉にふと思い出して里菜に電話した。
「里菜、色々ありすぎて、なんの連絡もしてなくてごめん。あのね…」
と起こったことを手短に話した。
「莉緒、あのニュースの当事者だったの!?」
「あのって、知ってたの?」
「ここから全部秘密、良い?」
「うん、約束する」
「穂高さん、うちの研究室の内緒のスポンサーだったの…」
「え、どういうこと?」
「うちの再生医療の…臨床実験までなんてまだ遠い未来なのに…フライングで角膜再生の被験者になることが投資の条件だったの。穂高さん、遺伝性の角膜混濁で目が見えなくなって、もう一度綺麗な風景が見たいって、全ての責任は自分が負うからって、私財まで投げ売って研究に投資してくれてたの」
「それで、うまくいったのね。電車の中で穂高さんが、富士山が綺麗って言ってたの、そういうことだったのね」
「うん、研究中の手法で奇跡的に幹細胞から角膜細胞を再生できたの。一見は」
「一見?」
「うん、ここからは推測だし私達に関わることだし、もっと秘密、約束できる?」
「うん、もう一度約束する」
「うちの研究中の手法が、スパコンで計算した遺伝子情報からウイルスベクターを幹細胞に使って細胞の機能をプログラミングしてその細胞を培養して移植するような感じで、ここまで分かる?」
「うん、なんとなく」
「それでウイルスを使うので特別な施設が必要でそういうところで研究してたのが…前に話した実験動物の持ち逃げ事件覚えてる?」
「ウイルス漏れたの!?」
「ちょっと違って、コンタミ、薬学でも言うよね」
「うん」
「コンタミがあって設計したウイルスベクターに意図しない変異が発生した可能性があって」
「うん」
「それが私達のグループでやってたアポトーシスの引き金因子の研究のやつで」
「意味ちょっとわかんない」
「アポトーシスは知ってるよね」
「うん、細胞の自然死、じゃなくて関連性」
「秘密の治験なので資料も実験データもは全部焼却済みで追試できないし、想像でしかないんだけど、穂高さんに移植した細胞が、何かのトリガーで全身の細胞にアポトーシスの命令を出したのかも知れなくて、それは、もしかすると私達のグループのウイルスベクターが関係するかもしれなくて、もしかすると、持ち逃げ事件のときに可能性は低いけど、私も暴露してたかも知れなくて…」
「それやばくない?ウイルスって大丈夫なの?」
「うん、幸いにして健常者には影響はほとんどなくて、あったとしても軽い風邪くらいなんだけど…」
「けど、なに?」
「感染力は高めなの。京都で私達…愛し合ったでしょ。その時、もしかすると莉緒に変異したやつとかが感染ったかも知れなくて。ごめん、私、罹患してる可能性なんて考えてもなかったの」
「いいよ、私達、あやりりだもん。運命共同体だよね」
「ありがとう。ごめんね。それで、もしかしてその変異株があったとして、運命の悪戯で莉緒の隣に座った穂高さんに…」
「感染ったかも…ってことなのね…ちょっとショック…。運命の悪戯かぁ…あのとき次の日にミーティングがあるって言ってたでしょ」
「うん」
「急遽、中止になって良かったって思ってたけど、横浜のライフサイエンス関係の研究所って、もしかして私が行く予定だったとこと同じだったのかも知れないの」
「だとしたら少し必然だったのかもね…」
「あの時、もしかしてラムネの生八ツ橋をあげたりしなければ…だったのかなぁ、でも穂高さんの笑顔がチャーミングで男の子みたいだったから…」
「あ、それ、穂高さん、再生医療の治験開始からちょっとづつ若々しくなってきて、これ良いサイドイフェクトかもって安易に喜んでたの…」
「ねぇ、私達、穂高さんの命を奪ったことになるの?」
「…わかんない、気が遠くなるような偶然といくつものもしかしてが重ならないと…」
「運命の悪戯かぁ…」
「そういうことにするしか無いね…」
「二人一緒にお墓の中まで持って行く話だね…分からないまま」
「だね…。二人、ずっと一緒だといいなー」
「きっとずっと一緒だよ、私達あやりりだもん、未来に向けて頑張ろうー」
「いっぱいあるね、頑張ること…卒業のこと、研究のこと、そして…」
「私達のこと?大丈夫大丈夫、愛してるよ」
「ありがとう、私も、ずっと」
気持ちが言葉にならずいつしか涙となって頬を伝った。
ゆく春も淋しからずやその頬に空色映える君といるから