最終話 呆気ないもの
古き良き時代……か。俺の眼前に広がるのは廃墟の屋敷だ。
迷路みたいな細い道が続くなか、中心にはキョウトの富裕層が暮らす高層ビルやマンションが集まっている。
スマホのレンズを廃墟の屋敷に向ければ、シャッター音なしに写真が保存されていく。
「それで久しぶりの故郷はどう?」
画面には、真っ白な背景に黒ペンで落書きしたような眉、目、口、がにこやかに感情を表す。
『はい! なんだか新鮮で、いつもとは違う世界に見えます。懐かしいのも少し、あるかと』
「それじゃ……ま、ゆっくり行くか」
『はい!』
無邪気な声だ。
俺は電動クルーザーバイクを走らせた。細い迷路のような道も難なく入る。
ゲートというのはない。シズオカが特別頑丈だっただけか……企業があれだけ入っていればそうなるのか? それとも俺が知らないだけで、トーキョーのA地区とかにはあるのかも。
人通りは他の町より多いだろう。クルーザーバイクで通っても誰も見向きもしない。自動車が何台か走っている。
『マールツァイト! しーちゃん、修斗君、長い旅だったね』
突然空中をふわふわと浮いている丸いドローンが俺の目の前に現れた。俺は右手と右足でブレーキ。
「ドクターF」
運転中に危な!
『こんなところからすまんね。今キョウトの総合病院の入り口にいるからそこで合流しようじゃないか……しーちゃん、準備はいいかい?』
『はい! 少し、怖いような気がしますが、早く両親に会いたいですし、今度は真守さんと一緒に人間のまま旅を続けたいです!』
「……あぁ」
そう、俺は呟いた。
『そうかそうか、しーちゃん、とても楽しい旅ができたようで何より。そして、今まで迷惑をかけて、改めてすまなかった。そじゃ、また後でな、修斗君』
「はい」
病院までの道すがら、スマホにいる彼女は見える景色をいくつも撮影している。
キョウトに来るまでどれくらい撮影したんだろう。何万枚どころじゃない気がする。
総合病院、赤い十字架が目印の真っ白な建物が見えてきた。その入り口に、白衣を着たハリネズミのような髪型をしたドクターFが手を振って待っていた。
その隣には、眼鏡の奥に相手を凍えさせるような目つきをした笹川さんも、いる。
クルーザーバイクを駐車場に停めて、スマホをホルダーから手に取って、ドクターFのところへ。
「こうして実際に顔を合わせるのは久し振りだねぇ。もうあれからなんだ、三ヶ月か……あっという間だ。予定よりも早く見つかったのは修斗君のおかげ、感謝しかない!」
ドクターFと笹川さんが揃って頭を下げてきた。
「いえ……」
それしか出てこない。
「しーちゃん。今すぐ、君を肉体に戻す処置を行うよ。修斗君、スマホを」
俺はスマホの画面の中で微笑む彼女を見つめた。
『真守さんのおかげで、私、辛いことも悲しいことも、苦しいことも乗り越えられました。真守さんがいなかったら、私はきっと永遠にネットの中を彷徨ったまま、記憶も、感情もないままでした。本当に、ありがとうございます』
「別にいいよ、礼なんて」
『その中で私、気付いちゃったことがあります』
「あー、なに?」
画面で落書きが微笑んでいる。
『目が覚めたら、直接真守さんに言いたいんです』
なんだよ、今すぐここで言ってくれよ……。
俺は肩をすくめ、小さく頷いた後、ドクターFにガラクタスマホを渡す。
「それじゃ縁ちゃん、よろしく。修斗君と話してから向かうよ」
「分かりました。それでは失礼します」
スマホがドクターFから笹川さんへ手に渡り、会釈した笹川さんは病院の中へ。
俺は思わず背中に手を伸ばしそうになる。すぐに手を引き戻し、空の手を拳に変えた。
「修斗君……記憶が消える可能性は……高いと言ったが、君たちがここに来るまでの間にも実験と研究を重ねてきた。ネットに隔離した意識を肉体に戻す処置に問題なし、ネットにいた時の記憶が残ることも、一〇〇パーセントないと確定した」
希望のないことをサラっと言ってくれる。
感情が一回り二回りして、俺は小さく鼻で笑った。
「だが、おかげで彼女はきっと今の状態から抜け出せるだろう。全て修斗君のおかげだ。さぁ、しーちゃんが目を覚ますのを、見届けようじゃないか」
「……いや、俺はこのまま、もう……出発します。スマホは、まぁ別に、ガラクタなんで」
「なーにを言っとる修斗君。そんな急がなくてもいいじゃないか、記憶を失っても訳を言えば、しーちゃんも喜ぶだろう。せっかく友達になれたのだ、一言挨拶でも」
挨拶って、全て元通りの彼女に? ずっとここに俺がいるわけじゃないんだ。
「……すみません」
「まぁ君がそう決めたのなら、無理強いはせんよ。だが報酬を渡さんとな、SCで待っていておくれ。頼むよ」
「……はい」
キョウトのサービスセンターに、俺は立ち寄った。
「いらっしゃいませ真守様。ドクターFからお話は伺っております。どうぞこちらでお寛ぎくださいませ」
「ども……」
自動ドアを潜り抜け、スーツ姿の店員に迎え入れられ、奥の応接間へ案内される。
ローテーブルを挟んで並ぶソファと、昔のキョウトの街並みが極薄液晶に映し出され、壁に飾られていた。
「それでは失礼します」
店員は頭を深々と下げて出ていく。
ドクターFの言ってることなんて無視して、報酬なんかどうでもいいからさっさと旅に出ればいいのに、何を期待しているのだろう。
あとで直接言いたいだって? なにを……俺に言いたかったんだ?
胸が抉れる、吐きたい、気持ち悪い。不快だ。この感情がどうにも不快すぎて、いっそ感情そのものを捨てたいぐらい。
ソファに腰掛け、俺はただ漠然と応接間を眺めていた……――。
「修斗君、修斗君!」
近くでうるさい声が聞こえて、俺はハッ、と我に返った。
ハリネズミの髪型をしたドクターFが向かい合うようにソファに座っている。
「随分、ぼぉーッとしていたね。もう夜だ。さすがに泊まった方がいいぞい」
「え、もうそんな時間?」
寝ていたわけじゃないのに、いつの間にか、夜になっていたのか。ドクターFはローテーブルに見慣れたスマホを置く。それも二つ。
俺は片方に手を伸ばした。
液晶画面に映るのは、インストールされたアプリと元々ダウンロードされている青い背景。
「無事にしーちゃんは肉体に戻れたよ。すぐに目を覚ましたが、よほど疲れていたのだろう、また眠ってな、病院で休んどる」
なんか、あっさり過ぎて気が抜けるな。
「このスマホは……」
もう片方に目を向けた。
薄型で透明に近い外装で、触れてみるとまるでガラスみたいに繊細な質感。
「それは私、そう、ドクターFが君の為に用意した最新型スマホだよ」
自慢げに自らを指すドクターF。
ふーん、そんな感想が出そうになる。
「……ども」
堪えて、多分マシな言葉を呟いた。
「もう一度訊くが出発する前に、しーちゃんと会わなくていいのかい?」
「俺のこと覚えて、ないんですよね?」
ドクターFは無慈悲に頷く。
「修斗君、これから先、行く宛はあるかい?」
「特には」
「それならば」
ドクターFの言葉を黙って聞き続けた……――。