第26話 寂しさに埋もれないように
真っ黒な電動クルーザーバイクをサービスセンターの近くに寄せて、重い気分で降りた。
『笹川さん、でしたね』
「あぁ、悪い人じゃないと思うんだけどな」
あの冷たい目つきと硬い表情筋が浮かび上がる。
『悪い人ではない気がします。気にかけてくれる方だったような……気がします』
曖昧な記憶の中で思い浮かぶ笹川さんの情報を、スマホの中にいる彼女は呟いた。
「そうであってほしい」
俺はスマホを手に持ち、渋々とサービスセンターの入り口で待つ笹川さんのもとへ。
「こんにちは、真守修斗さん。分裂の回収は順調でしょうか?」
微笑むわけでもなく笹川さんは棘のある口調で訊ねてくる。
「ど、ども。なんとか」
『こんにちわ、笹川さん』
「しーちゃんも元気そうで、ドクターFが貴方からの連絡を待っています」
入れ、と俺を誘導する笹川さんの背中に、恐る恐るついていく。
客が利用するパソコンコーナーではなく、スタッフしか入れない部屋へ案内された。巨大なモニターが壁に置かれている。
『おぉー修斗君、元気そうで安心安心、しーちゃんの進行状況もどうかな?』
モニターの画面にはイスに腰掛けるドクターFが表示されている。
ハリネズミのような髪型で俺よりも背が低いドクターFはニコニコと笑う。
「ども、なんとか回収できてます」
『こんにちはドクターF。真守さんのおかげで順調です』
『うんうん、いいことだ。それでしーちゃん、何か思い出せたかい?』
彼女は、分裂の回収により自分が人間だということ、親がいて何不自由なく暮らしてきたことを思い出した、と説明した。
俺は何も言わず、彼女の説明を聞く。
ドクターFは腕を組み、何度か軽く頷くと、
『思っていたより分裂の回収は早く済みそうだの。かるーく、二人に伝えておこう』
真面目な顔つきで画面を見つめる。
『しーちゃんの体は今、キョウトの病院で眠っておる。いわゆる植物状態といったところか。事故でな、すぐに病院へ搬送されたまではよかったが、医療物資の不足、しかも届くのは二、三日後、そんなの待っていたら死んでしまうだろう?』
俺は黙って頷く。
『そこでこの私が呼ばれ、まだ実験中だった意識をネットに繋げて隔離するという、麻酔なくオペが可能なものを、ご両親が藁でもすがる思いで頼んだ』
「意識をネットに飛ばすって、なにその未来的な技術」
俯くドクターFは肩を縮ませる。
『まだ世界にも発表しておらん極秘技術さ。今もご両親は毎日病院に通い、いつか目覚めることを願っておる。それもあと少し』
「い、いやでも、はっきりどこにあるか分からないのに、今までは運よく見つけられただけで、次はもっとかかるかもしれないし」
ドクターFは、安心しなさい、と頷く。。
『その点は安心してくれい。ささ、スマホをパソコンに繋げておくれ。君達が分裂回収をしている間に便利なアプリを開発したんでね』
俺はコードをパソコンに繋げ、スマホにも差し込んだ。
すると、スマホの画面は真っ暗になる。インストールをしている表示もなく、この感じは分裂に繋げた時とそっくりで、少し不安になってしまう。
『あーあーしーちゃん、しーちゃん!』
ドクターFはマイクテストの要領で声をかけた。
インストール中だからか、返事はない。
『よし、しーちゃんには聞こえてないな。修斗君』
「はい?」
優しそうな眼差しを送るドクターF。
『実はね、分裂回収とは別のこともお願いしたくて……もっちろん報酬は弾もう!』
変なことじゃなければいいが……。
「えーと、どんな内容、です?」
『しーちゃんの思い出作りを手伝ってあげてほしい』
は? 俺は顔の皮膚が少しだけ歪んだ。片眉だけ上に引っ張られる。
『まぁそんな顔になるのは無理もない。絶対とは言えぬが、しーちゃんの意識が肉体に戻るとスマホの中にいた時の記憶が消える可能性が高いのだ』
俺はまるで自分のことのように愕然としてしまう。
「えっ!? それじゃあ、なにも意味なんて」
『ある。記憶と思い出というのは別だからね、修斗君と旅をして、話をして過ごすことに意味がすごーくある。以前のまま肉体に戻ったところでまた同じことを繰り返すだろう。下手をすれば本当にしーちゃんは死んでしまう』
また繰り返す? 事故だったのに?
『君との思い出が、彼女の支えとなる。例え君のことを忘れてもね。とはいえ実験中だから、もしかするとこの先変わるかもしれんよ。このことはしーちゃんには内緒で頼んだ』
「ちょっと待って、事故って、同じことになるってどういう意味です?」
ドクターFは画面から目を逸らして、苦く顔を歪めて唸る。
『……直接見たわけじゃないのでな、ハッキリ言えんが……報告書によると、自ら飛び降りたとか。精神的孤独からの視野狭窄が原因では、と』
スマホは眩しい真っ白な光を放ちだす。
『新しいアプリは、しーちゃんの分裂の記憶をもとにネット構築した物で、近くなると分裂の存在を知らせてくれる便利な物。それを活用して回収を頼んだよ修斗君』
ドクターFが映っていたモニターは一面灰色の壁紙だけとなり、通話が終わったことを知らせる。
『アプリがインストールされたみたいです。真守さん、これで順調に他の分裂を探せますね』
明るい彼女の声が聞こえ、俺はホッとしている。それと、虚しさもある。
「……あぁ」
どう声をかけたらいいのか分からず、スマホの画面に俺は微笑んでみせた。
『真守さん、どうされました? なんだか寂しそうですよ』
スマホの中に浮かび上がる線で作った落書きみたいな眉と目、口。
俺が不安になったらダメだろうに、しっかりしろ。
「んなわけないだろ。ほら、終わったんだからさっさと行くぞ」
『はい。次はどこの町に行きましょう、色んな人に会えるのがとても楽しみです!』
「はいはい、喋りすぎんなよ」
俺はスマホを手に取り、彼女の話に相槌を打った……。