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穏やかな朝

作者: 晴間あめ

わたしは常、ちっぽけなことを考えている。

これはわたしの穏やかな朝を切り取った、ささやかなエッセイである。



ゴールデンウィーク一日目の朝は、静かに優しく始まった。


昨日はいつもより早く寝たため、良質な睡眠をとりつつ、アラームに頼らず自然と起きることができた。


休みの日に予定がないとお昼過ぎまで、最近はおやつの時間まで寝ているわたしとっては充分過ぎるほど今日は早起きだ。


ちなみにわたしの"良質な睡眠"の判断基準は"目が覚めた時にすっきりしているかどうか"である。


親はまだ寝ている。なんだかそれだけで優越感だ。


わたしは満足すると階下へ足を運び、いつもより丁寧に洗顔と保湿をし、コンタクトをつけた。


普段の朝はとにかく忙しく、最低限のケアで済ませてしまう。だから休みの日に、自分のために好きなだけ時間を費やせるこの瞬間がすごく幸せなのだ。


一番ではないが、それでもかなり上位だろう。



しばらくして母が降りてくると、朝の言葉を交わし、わたしは自室へ行き、メルカリに出品する準備を始めた。


するとリビングから、ごごごごごご、と凄まじい音が聞こえてきた。


コーヒーサーバーだ。


コーヒー好きの父と母が、最近購入したのだ。


とにかく小洒落ている機械である。豆を入れると自動で挽いてくれて、コーヒーができあがる、という代物だ。


"豆を挽いて抽出した液体"というだけで、普通のコーヒーより一味も二味も美味しく感じる。


とは言いつつ、わたしは味の違いが分からない上に、普段あまりコーヒーを飲まない。


それはなぜか。苦いからだ。


もう子供でもいい。味の違いが分からないまま大人になってもいいかな、と今のところは思っている。


ただ、会社では毎月コーヒー代を払っているため、毎日ではないが、気が向いたらたまに飲む。


飲めないことはないのだ。砂糖とミルクをたっぷり入れれば普通に美味しい。


母に「砂糖二杯は体に悪いから一杯にしなさい!」と言われてからは、砂糖一杯で留めているが。


少し苦いが、たまにはこういう刺激も必要なのかもしれない。


他の先輩たちは毎日、朝とおやつの時間に必ずと言っていいほどコーヒーを飲んでいるが、わたしはそれをルーティーンにしたくない。


他の人は、好きならそれでいいだろう。ただ自分は、コーヒーが好きか否かを抜きにしても、コーヒーを飲まないと満足できない体になってしまいそうな気がして嫌なのだ。栄養ドリンクも同じような理由であまり飲まない。


これはわたしの、変なこだわりだ。


そのため、会社でコーヒーを飲む原動力となっているのは「コーヒー代がもったいないから少しは飲もうかな」というちっぽけな感情のみである。


そうは言っても、家では"とにかく小洒落ている機械"で母がわたしの分の豆も挽いてくれるので、もちろんありがたくいただく。



先ほどからしていた、ごごごごごご、という音が止まった。


そろそろ朝ごはんができるのだろう。


わたしを呼ぶ声がした。リビングへ向かう。


母が作ってくれた朝ごはんは今日も美味しそうだった。半分にカットしたトーストにポテトサラダのようなものを乗せたなんだかお洒落なものと、他にもいろいろなものと、わたしの分のコーヒーもあった。


家族みんなが椅子に座り、食事は始まる。


トーストは見た目通り、いや、見た目以上に美味しかった。しかしこれに限らず母のつくる料理はいつもどんな時も美味しいので、少しのことでは驚かなくなってしまった。なんて贅沢なのだろう。感謝の気持ちだけは忘れないことにする。



ふとテーブルの真ん中にあるサラダに目をやると、見落としてしまいそうなくらい小さなプチトマトを発見した。


プチトマトと言えばその名の通り、プチなトマトだ。小さいことで、その意味を成している。


だが、今わたし達の食卓にあるプチトマトは、誰もが予想しないであろう、極端に小さいトマトだったのだ。その大きさ、ぱっと見一センチ。大きさ以外は至って普通で、赤々とした美味しそうなトマトだ。


しかし、このようなプチトマトがギネス記録に載らずして、平凡な家庭の食卓にあるものだろうか?


その小ささが理由でお買い得品となり、スーパーの野菜コーナーに並んでいたのだろうか?はたまた、味や品質には問題ないためパックにふんだんに詰められ通常の値段で販売されていたのだろうか?


プチトマトに視線を運んだわずか十数秒で様々な思考がわたしの頭の中を駆け巡ったが、敢えては言葉にせず「このプチトマト、ちっちゃいね」とだけ、声に出した。


わたしは思った。


一見「小さい」で片付けられてしまいそうなこのプチトマト、"スモールライトで小さくされてしまった本当は手のひらサイズのトマト"だとしたら、なんだか面白いな。


そんなことは有り得ないのだが、"もしも"の話だ。


父に話すと「考えたことなかったな」と言われた。


考えないか、普通。


けど、わたしはわたしの感性が結構好きだ。



プチトマトの味を噛み締めながらテレビを眺めていると、ニュースで都会の映像が流れた。


「これ、東京?」


問いかけると、父が、そうであることと、この映像がスクランブル交差点であることを教えてくれた。


名前は聞いたことがある。とにかく人が多くて、なんかこう、スクランブルなのだろう。


スクランブルエッグのスクランブルとは、何か関係があるのだろうか。


そんなことを考えていたら「スクランブル」がなんなのか気になってきた。


父に問いかけると、分かりやすい答えが返ってきた。


普通の交差点ではどちらか一方で車が走る時間があるのに対し、その交差点では車が走らない人だけが交差するように歩くことができる時間がある、というものだ。


しかも、一時間に一回とかではなく、二 三分に一回、そのような時間があるという。


わたしは衝撃を受けた。


シンプル且つ大胆。なんてことだ。


すごいな、都会。さすがだな、都会。


都会への興味がさらに膨らんだ。そして、いつかこの目でみようとも思った。わくわくがやまない。


だが、わたしの現時点の目標は「スクランブル交差点をこの目で見ること」ではなく「可愛くなること」なので、これから自室へ行き、まつげ美容液を塗ろうと思う。


ゴールデンウィークは、始まったばかりだ。

いつにも増して平凡なエッセイとなりました。オチはなくとも自分のエッセイを書けるのは自分だけなので、大切にしようと思います。最後まで読んでくれてありがとう。ゴールデンウィークが休みの人もそうでない人も、いつもよりちょっと素敵な毎日を送れますように。

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