バベルの子ら
「Excuse me.」
歩いていた足を止めて声に振り返ると金髪の長い、青い瞳の女性がこちらを見ていた。
「Could you tell me the way? I'm lost now.」
困ったように眉根を下げて肩をすくめる女性。それを真紀子は金魚のように口をパクパクとさせて見返す。
え、え、今なんて? く、くじゅうって苦渋? 違う、もう一回って、ぱ、ぱぱぱぱーどん??
頭の中ではしっかりと、もう一度言っていただけますかできればもう少しゆっくりわかりやすい言葉でお願いします、と言いたいことははっきりしているのにそれが全く口から出てこない。空気を求める魚のようにパクパク動くだけだ。
何か言わなきゃでも言葉が出てこないどうしようどうしようぱぱぱぱーどんはだめなんだっけ失礼なんだっけどうなんだっけ。
焦った思考は加速して頭の中は真っ白に染まっていく。
「のののう! そ、そそそーりー!! ごめんなさいごめんなさい!!」
かろうじて出てきたNoとSorryだけを置き去りに真紀子は金髪の女性に勢いよく頭を下げてそのまま全力で走って逃げた。謝罪からの離脱が異常に早い。
「Oh,wait! Please help me! You can save me!!」
金髪の女性は手を伸ばすがすでに真紀子は通りの向こうに姿を消していた。
行き先を失った伸ばしたその手を引っ込め、ため息をひとつ。今度はその手の平を空へ向け開いてからぐっと握り、ゆっくりと開く。
すると、ちょうど手の平に乗るように腰掛けた、小さな妖精のような大きさの黒髪の少女が現れた。よく見るとその顔は先ほど謝罪後すぐに走って消えた真紀子と同じ。いや、落ち着いた表情の中に少しの落胆の色があり、先ほどの口をパクパクさせていた真紀子とは印象が異なる。それはホログラムのように全身が透けて見えた。
金髪の女性は手の平に座る小さな真紀子に言った。
「全く失敗かしらね、真紀子? 昔のあなたはとても言葉に捕らわれているままだわ。NoとSorryは言えるのになぜ他の知っているはずの言葉がだめなのかしら。……まあ言語統一された、私たちの今 でさえ解き放たれたとは言えないかもしれないけど」
金髪の女性は未来から来た未来人。統一された地球語を母国語、英語を第二言語、日本語を第三言語としている。
地球にいる人類のほとんどが同じ言語を持っていても争いはなくならないものね。
バベルの塔の呪いはみながそう思うより随分と根深い。