表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
怪奇Drip  作者: 因島あおい
4/21

#03『幸せに運ぶ白い糸』

 










 「あ〜、今日も疲れたな。クソ上司が……」


 負の感情に(こぼ)れた独り言が秋口の澄んだ空気を悪くする。


 とは言っても時間は夜10時。こんな遅い時間に人通りはなく、男の愚痴を聞くのは雑草の中に潜む小さな虫だけだった。


 上司の無理難題に振り回され、やっと帰路につけた。これでもいつもより早く帰れた方だと楽観的になっている自分に対しても、更に苛立(いらだ)ちが積もってくる。


 そんな理不尽が当たり前になりつつある毎日に、(あきら)は少し嫌気がさしていた。しかし、折角掴んだ就職先を手放すわけにもいかず、どっち付かずな自分に途方に暮れている。


 「はぁ……」


 空気の抜けた自転車をゆるりと漕ぎ、暗い線路道を帰っている。


 疲れもあり、思うように前に進まない。


 ギィギィと悲鳴をあげる自転車。


 それを曲がった背中で必死に漕ぐ俺。


 その姿を嘲笑うかのように、対向の車のライトが俺を照らす。


 眩しい。


 視界が一瞬真っ白になる。


 その瞬間、その真っ白のなかで何かゆらゆらと動くものがあった。


 ん?


 思わず自転車を止める。


 車もいなくなり、辺りはシーンと静まり返っていた。


 なんだ? なにかあったか?


 一瞬、なにか……


 この通りは街灯もない。だからか暗がりがただただ広がっているだけだ


 う〜ん。


 ま、いいか。


 そんなモヤモヤした気持ちで、また自転車にまたがった。











 「はぁ……」


 昨日と同じ、いやそれ以上に悪い帰路。


 「だからお前はダメなんだよ!」


 上司の罵声が頭の中で木霊する。


 時間は夜0時になろうとしていた。


 俺は上司の呪いの言葉を振りほどくように力一杯ペダルを漕いだが、空気の抜けた自転車では大して効果がない。


 なかなか前に進まない。


 「どうしてもっとうまくできない!」


 もう嫌だ。俺の何がいけないって言うんだ。


 そんな憎悪のような悪意のような、ドロドロした感情がぶり返す。


 いつもと同じ夜道が今日は余計暗く、重々しく感じる。


 クソ、クソ、クソ。


 そんな悪態をついてももちろん気分が良くなることはなく、余計に不満が溜まっていくばかりだ。


 イライラしながら自転車を漕ぐ。


 突然。


 ライトが前から後ろに流れていった。


 「!」


 ト、トラックか……


 イライラしていて周りが見えていなかったのか、前から来るトラックがまったく見えていなかった。


 危ない、危ない。


 トラックはそんなこと知る由もなく、どんどん遠ざかる。


 反射的に過ぎ去っていくトラックを目で追っていた。


 瞬間。


 トラックが通った横。


 何かが光った。


 一瞬だったが、昨日よりはっきり見えた。


 一体なんなんだ?


 イライラしているせいか、無性に気になってしまった。


 自転車を邪魔にならないように停め、携帯電話のライトでそこら辺りを照らす。


 「ん?」


 はじめはよく分からなかったが、よく見てみると道路の真ん中に一本光る何かが見えた。


 車が来ないか周囲に注意しながらそれに近づく。


 「……いと?」


 糸のようなそれはゆらゆらと揺れ、地面から生えているようだった。


 細く白く、風にゆらりと漂っている。


 ライトを照らしても上の方は暗くてよく見えない。


 「なんでこんなものが地面から?」


 わからない。


 おそるおそる人差し指でそれに触れてみても、手応えなく、ただただ揺れているだけだ。


 なんなんだこれ?


 俺はその糸を手のひらにとって観察することした。


 ライトで当てても、それはただの弛んだ糸にしか見えない。


 蜘蛛の糸か? それが偶然地面に張りついて、風で揺れているだけ?


 わからない、わからない。


 俺はそれをなんとなく掴み、


 引っ張ってみた。


 刹那。


 グンッ、とした強い衝撃と共に


 俺の身体は空を飛んだ。

















 「車に轢き飛ばされたんスかね?」


 矢崎があっけらかんとそう言い放った。


 朝、通行人から通報があり現場に駆けつけるとそこには血の池があった。


 その中央には男性物のスーツと、人だったものの残骸。


 検視によると死因は脳挫傷と内臓破裂と出血多量。いや、ここまでひどいと死因などもはや関係ないか。


 兎に角、そこにはまるで空から人が一直線に落とされたがごとく、辺り一面に血やら肉やらが散らばっていたのだ。


 「まったく奇妙だ」


 「検視の意見じゃあ、時速100㎞超えのダンプに轢き飛ばされてもこうはならないらしいッス。可能性があるとすれば……」


 高層ビルの20階くらいから真っ逆さまに落ちたぐらい。


 それが検視の見解だった。


 しかし、ここは単なる道路で両脇は森と線路。そんな飛び降りる場所はない。


 「グライダーとかから手を離したんスかね?」


 阿呆(あほう)が。


 「ふむ……」


 規制線のむこうからマスコミの嬉しそうな声が聴こえる。


 嗚呼、朝から面倒だな。

















 解放された。


 自分だったものをぼーっと眺めて、


 なんか、気持ち悪いな。


 そんなことを思った。


 さて、今から何をしようか。


 青い空を見上げながら、俺は途方に暮れていた。

















 「歩いていて突然、顔に蜘蛛の糸みたいなものが当たったことはないですか?そして気持ちが悪いからこう……」


 そう言って、(よすが)あおいは大げさに顔の前に何かを掴む仕草をした。


 見えない何かと格闘するような、その姿は少し滑稽で不気味だった。


 「して、払ったことはありませんか?」


 カウンターに座る男は、またか、という表情を浮かべゆっくり珈琲を啜る。


 一息ついて男は言った。


 「蜘蛛が移動したあとの糸ですよね? 確か……糸でパラシュートみたいなものを作って飛んで……バルーニングって言うんでしたっけ? その残った糸が空中を漂っていて、人の顔や身体に当たるっていう」


 男は淡々と冷静に答えた。


 そんなことは知っていると言わんばかりに縁は続ける。


 「そう、ほとんどは子蜘蛛のバルーニングの糸です。それが気持ち悪いから手で払うことも正解です」


 今日は他にもお客がいるようだったが、カウンターに座るのはいつものその男だけだった。周りのお客は二人の会話に気づいている様子はなく、ただ静かに座っている。


 「ですが、絶対にそれを掴んではいけません。もし仮に、万が一掴んだとしても、引っ張ってはダメです。たまに本物がありますから」


 強い口調で縁は言う。表情は無表情のまま変わらないが、声の凄みはいつものそれとは少し違った。


 「本物?」


 その言葉に男は違和感を覚えた。


 蜘蛛の糸に本物も偽物もないだろう。仮にあったとしても本物が危ないという意味が分からない。糸自体に毒でもあるとでもいうんだろうか?


 「はい。本物です」


 縁は続ける。


 まるで学校の先生が生徒を諭すように、正解に導くように、丁寧な口調で静かに言った。


 「神様が気まぐれに下ろした救いの糸です。もっとも……」


 冷徹に、続ける。


 「救ってくれるのは『魂』だけですけどね」


 そう言い終わると、縁は豆を挽く作業に戻った。


 ゴリゴリゴリッという音が店内にまた流れ、いつもの風景になる。


 張りつめた空気が嫌になったのか、男は着ていたスーツの上着を脱ぎ、椅子に丁寧に掛ける


 そのまま男は珈琲を一口、口に含んだ。


 その瞬間、男の顔が(しか)む。


 珈琲が思いの外苦かったのか


 それとも何か具合が悪いのか。


 少し重たい複雑な空気が珈琲の香りとともに店内に広がっていった。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ