#01『招待状』
「よし、間に合った! あぶねぇ!」
一樹は閉まるドアを背に安堵の表情を浮かべた。
まだ6月というのに雨もなく気温は高い。スーツ姿の一樹にとってこれほど悪い組み合わせはなかった。
肩で息をしながら、ハンカチで汗を拭う。
整えた髪も乱れ、ネクタイも歪んでいる。
まぁ、あれだけ走れば無理もない。
なんて誰への言い訳でもない言葉を吐き捨てる。
友人に話せば「お前らしい」と、そんな一言で片付けられるであろうこんなシチュエーションも、社会人3年目の僕にとっては上司に起こられる種でしかない。
「変わってないなぁ、僕……」
溜め息がふいに零れる。
いけない、いけない、こんな暗いかんじじゃ。なんたって今日はめでたい日なのだ。
大学の同級生が結婚する。
卒業してから会ってなかったが、大学時代はよく遊んでいた。そんなあいつもとうとう結婚するのだ。
先月初旬、その手紙が届き、その知らせを知ったときは驚きと嬉しさが込み上げてきた。
それに参加する為に朝からこんな格好で新幹線に乗り込んでいる訳だ。
受付や余興といったそんな大役もなかったため、ゆっくり支度をしていたのがまずかった。クリーニングに出していたスーツを取りにいったり、祝儀袋に名入れをしていたり、なんだかんだと時間がかかってしまい、その結果この様だ。自分でも悲しくなる。
昔から段取りの悪さは変わらない。
やはり、そんな言い訳で終わってしまう。
「トイレで髪だけ綺麗にしようか」
目的の駅に到着するまであと60分もある。
ま、余裕だろう。
またそんな楽観的な、と自分に対し悪態つきながら僕はトイレの開閉ボタンを押した。
新幹線のトイレってやつに、たぶん初めて入った。
すごかった。そんな一言に尽きる。
車いす用の広い方に入ったのもあるが、自動でふたが開くし、鏡も洗面台もしっかり完備されており、なにより広かった。
適当にスーツを掛けて身だしなみを整えるには十分な空間だった。
時計を見ると、到着まであと40分。
自由席の車両を覗いてみれば、ほぼ満席だった。
「ほぼ」と言うのは、3人掛けの席の真ん中だけはチラホラ開いているというもので、僕はあの席が嫌いだった。
通路側の人に断りを入れて、その場に座るというのが嫌というのもあるが、それ以上に『真ん中』というのが嫌いだった。
理由はない。ただ、なんとなく。
みんなそうじゃないか?
まぁ、兎にも角にも僕は座ることを諦めた。
列車の連結部分で、ぼんやり外を眺めている。
あいつはどんな人と結婚するんだろうな。
他に誰が呼ばれてるんだろうか。
なんかマナーの本とか読んできた方がよかったかな?
そんな不毛なことを考えていると、ふと。
見知った看板が窓の外から見えた。
僕と今日結婚する友人が出会った大学のある町だ。
懐かしい。社会人になってから帰ってきていない。
余談だが、今日の式場はこの町ではない。新幹線の駅が隣町にしかないから今日は素通りするだけだ。もし明日時間があれば行ってみようかな。今日呼ばれている人にもよるが、話してみよう。
ちょっと楽しみが増えた。そんな気分だ。
「それにしても……」
外の流れる風景に、少し違和感を感じる。
マンション、増えたな。
都市部へのアクセスもしやすく、立地も良かったからか、僕が大学生のときもいろんな場所で建築中の文字が並んでいたが、5年も経てば、かなりのものが建築されていた。
「どんどん町が広がるのはいいことだけど、なんか寂しいな」
そんなぼやき。
時計を確認し、もう少しゆっくりできると外を見る。
ふと。
乱立している新しめのマンションの最上階の通路。
一瞬、何か見えた。
かろうじて認識できたそれは、赤色。
なんだろう、妙に気になる。
とは言っても、今更気にしたところでどうしようもない。
通り過ぎた風景は戻ってこない。
ま、いいか。別に。
そう思った……が。
「え?」
猛スピードで流れる風景の中に聳えるマンション。
その最上階にまた赤いものが見えた。
距離があったせいか、今度はしっかりそれが見えた。
それは赤いワンピースを着たボブカットの女性だった。
でも、おかしい。
当たり前だ。僕は新幹線に乗っている。
風景がループするなんてあり得ない。
僕はそのあり得ない状況にすっかり平常心を失っていた。
錯乱する頭が行き着いた答えは「きっと勘違いだ」という説得力のない楽観的なものだった。
しかし
「……!」
今度は一瞬。
まただ。
また赤い女性が見えた。
でも今度はさっきと様子が少し違った。
いま……
いや、きっと見間違いだ。
そんなわけ……
「!」
全身から気持ち悪い汗が吹き出す。
ど、どういうことだ?
訳がわからない。
そもそも決まって同じ格好の女性が見えるもの奇妙だ。
いや、それ以上に。
その女性が
僕に手を降っていたのだ。
時速200 km以上で進むこの乗り物の小窓にむかって。
いや、そんなわけはない。なにより、僕に向けられたわけがない。こっちから外側はまだ見えるが、あんな遠くのマンションからこの窓の僕の姿が見えるわけがない。
きっとマンションの下とかに知り合いがいて、その人に振っているんだ。
「そうだ、そうに決まってる!」
自分に言い聞かせた。
そして決めた。
もう窓の外は見ない。
そうだ、もう一度式の場所を確認しよう。
そう思い僕は、その招待状をポケットから取り出した。
刹那。
僕は小さな違和感を感じた。
新幹線が減速している気がしたのだ。
そんなわけはない。だって、目的の駅の到着まであと20分もあるのだ。
ギィィィィィィィィィイイイ
気にすればするほど、新幹線の微かなブレーキ音が聞こえる。
どういうことだ? なんなんだ?
恐怖から急に足から力が抜け、僕はその場に座り込んだ。
その拍子に、手から結婚式の招待状が零れ、宙に舞う。
それが僕の目の前に広がって落ちた。
『おかえりなさい』
赤い文字。
僕の目に飛び込んできたその言葉。
僕は真っ白になった。
なにもかもが分からなくなった。
あれ?
新幹線が完全に止まった。
僕って、誰の結婚式に行くんだったっけ?
背中でドアの開く音。
自分の意志に反して動く視線。
飛び込んでくる赤色。
衝撃で混濁する意識。
最後に脳に響いたのは、たった一声だった。
「おかえりなさい」
「手紙やメールってどう思います?」
縁あおいは唐突にカウンターに座る男に声をかけた。
男もまさかの問いかけに何も答えられないでいた。
「だって、これじゃあ誰からのメッセージかなんて分からないじゃないですか」
今どき珍しいガラケーというやつだった。
画面には、20文字くらいのアルファベットの羅列があった。
確かにこれじゃあ誰からのメールか分からない。
「でも、こういう時ってメッセージの中に差出人が書いてあるんじゃないですか?」
男がなんとか出した答えに対し、縁はガラケーをパタンッと閉じ、何事もなかったかのように豆を挽きはじめた。
ゴリゴリゴリッ
男はその反応に呆気にとられている。
しばらく沈黙が続いていると、男の携帯が鳴った。
どうやら男の友人からのメールが来たようだ。
男はすぐに携帯取り、返事を送信した。
「いまのは誰からですか?」
縁は無表情のまま聞く。
少し不満そうに、男は答えた。
「大学の友人です。よくメールをするんです」
それを聞くと、縁はうっすら笑みを浮かべ、言った。
「そのアドレスは一体いつからその友人の名前になっているんですか?」
その瞬間、また男の携帯が鳴った。
しばらく鳴ったそれは、何かを諦めたかのように静かに鳴ることを止めた。
帰ってきた静寂はどこか不気味で落ち着きがない。
「きっと『友人』ですよ、早く返してあげてください」
縁のその問いかけに、男は何も答えなれなかった。