お袋の帰宅
「おーーい……おーーいって」
「ん……」
脇腹を突っつかれている。なんだ?
「おーー、帰ったぞ〜」
目を開けると、そこにはベストと厚手のズボンを着ている女がいた。
「……あーー、お袋帰ってきたのか」
随分と久しぶりの対面だが、帰ってくるなら事前に連絡の一つでも寄越せと文句の一つも言いたくなる。
「学生様は暇でいいね〜」
「寝てた……のか」
俺が昼寝をするとは珍しい。というか、なんで自宅にいるんだ?
いつもならこの時間帯は学校に……
「!!」
寝る前のことを思い出し、部屋中をくまなく見渡す。
佳世がいない。まさか本当に夢だったんじゃ……。
「なに探してるんだ?」
お袋の言葉に耳も貸さずに、ひたすら探し回る。
本棚の余分に空いた隙間。ベッドの上の毛布の中。クローゼットの中とその上……。
どこにもいない。
……いや、待て。確か昔、ここでかくれんぼした時、佳世が隠れていた場所は………
「……いた」
カーテンの裏。意表を突いて佳世を見つけられなかった場所。そこに佳世は体を細めて立っていた。
「なにやってんだ?」
「あはは……びっくりして……」
安堵して、腰が抜けてその場にへたり込む。
ああ、マジでビビった………。
「本当にお前何してるんだ? 見ない間に気でも狂ったのか?」
「なあ……お袋。佳世が見えるか?」
「きゃっ!」
無理やりカーテンから引っ張り出して、お袋に問いかけてみる。
俺は佳世は死んだなんてまだ認めてはいない。
佳世が幽霊ならば、俺が何を言っているのか分からずに、お袋が四苦八苦する筈だ。
「今日は土産があるんだ。見てみろ。イノシシの肉なんてお前食ったことないだろ。待ってな。もう少しで晩飯にしてやるからな」
しかし、お袋は俺の問いには答えず、無視するかのように別の話題を口にする。
まるで、なにも聞こえないように。
「おい……お袋。聞こえねえのかよ?」
しかし、俺の言葉を無視して部屋から出て行こうとする。
「おい! おいって言ってんだろ!」
「じゃあ、出来たら呼ぶからね」
いくら声を張り上げても一向に返事もせず、そのまま部屋を出て行ってしまった。
「今の一体……。お袋耄碌したのか?」
俺の行動、言動に関してはしっかりと反応していたが、佳世の事となったら、一変して無視を決め込んできた。
佳世が幽霊だからか?
「佳世……お前なんか知らないか?」
「私もよくは……。死んだって自分でしっかりと自覚はしてるんだけど……たっくん以外の人に会ったのは、今が初めてだし……」
だが、今ので佳世が幽霊だということに少しの現実味が湧いてくる。
あんまり認めたくはないが。
だけど、今は……
「あ〜〜、本当に夢だと思ったわ」
「だって、急に足音が聞こえたんだもん。そりゃ隠れたくもなるでしょ」
「とにかく心臓に悪いから、もう離れないでくれ……」
「トイレも?」
「前言撤回。できるだけ離れないでくれ」
夢か幻かわからない現実に再び戻された俺の心境は、嬉しいやら悲しいやらと複雑だった。
***
「いや〜〜。久しぶりに帰ってきたけど、やっぱり我が家が一番だわ〜」
「我が家で飲む酒が一番なんだろ」
「流石私の息子だわ〜。分かってるわ〜。後でチューしてやるからな」
「いらんわ」
それよりも俺は目の前の異臭を撒き散らす物体の処理方法を、必死に頭の中で考えていた。
お袋の作った料理はさっき見せられたイノシシ肉のシチュー(とお袋が言っているだけのなにか)。
中の液体は緑がベース。その中から赤色の泡が発生し、時々獣の鳴き声ような音が発せられている。
それをお袋が美味い美味いと自画自賛しながら食べている。
……まあ、味覚って人それぞれだから。
見てみると、台所には空いた酒瓶が二本。
お袋め、酔っ払いながらこれ作ったな……。
しかし、だからといって文句も言えない。作ってもらったわけだし、嫌なら自分で作れと言われるだけだ。
俺もここまでじゃないにしろ料理ができない訳だしな。
「食べないのか?」
「今から食べるところなんだよ」
なんか食わなきゃうるさん的なオーラが漂っているので、とりあえずガラス製のスプーンで一口啜ってみる。
「…………」
「どうだい?」
「………………………うまいよ」
嘘だ。
今、俺の口内ではイノシシと正体不明の調味料達が仲良くバンブーダンスをしているような味で満たされている。
とても、人間が調理、食事するものとは思えない。
まあ、それは良しとしなくもないが……
「お袋よ……。せめてシャツぐらい来てくれないか?」
目の前に座っているお袋はさっきまで来ていた服をソファーに脱ぎ捨てて、上も下も身につけているのは下着だけ。だらしないことこの上ない。
「なになに? まさか、たっくん実の母の下着姿に欲情してんの〜。やだわ〜〜。まじ変態なんですけど」
「欲情してねーよ」
お袋の体が年に似合わずプロポーションを維持し、膨らむところはしっかりと膨らみ、仕事柄なのか引き締まるべきところは常人よりも引き締まっている。普通の男なら良からぬことを考えそうだが、俺からしてみれば、いつも見知った光景なんだが、問題なのは佳世の方だ。
「ねーー、たっくん……。早くお母さんに服来させてあげてよ……。見ているこっちが恥ずかしいよ……」
顔を真っ赤にして顔を両手で塞ぐ佳世。
だが、酔っ払ったお袋は息子であろうが、なんだろうが一切聞いてくれない。こちらが正論を言おうがすべてをうまく躱す。したがって、この状況を俺はどうすることもできない。
というか、人が部屋に居て良いぞって言ったのに、勝手についてきたのはそっちじゃねえか。
「で、今回はどうだったんだ?」
「おいおい、私を誰だと思って聞いてんだ、てめー。恐れ多くも猟師の神様と恐れられている私が熊公如きに遅れを取ると思ってんのか」
「恐れられちゃダメじゃね?」
お袋の仕事は第一級害獣処理師。人間に危害を加えた大型獣を始末するのが仕事だ。普通、それは地元の猟友会の仕事なのだが、その猟師たちですら手に負えない化け物を専門に狩るのが仕事……らしい。
そのため、日本中を飛び回って、たまに帰ってくるんだが、今回みたいに事前に言わずに帰ってくるなんて珍しいケースだ。
「なんで帰ってきたんだ?」
考えても仕方無いし、こういう時は本人に聞いた方が一番手っ取り早い。
「ああ、帰りたくて帰ってきたんじゃないの。前の仕事で、仲間がミスで怪我して入院。それで仕事ができなくなっちゃって、急遽お休みになったって訳」
「なるほど」
……………。
「ってことは、しばらく家にいるとそうおっしゃてるんでございますか?」
「そう」
「チクショォォォォォーー!!」
今迄楽しんでいた俺のアーロンライフが現時刻を持って崩壊した。