Devil's weapon
「はい、海鮮パスタとクリームグラタン」
「どうも」
目の前に注文した二品を麗姉が置き、俺はその内のクリームグラタンを佳世に渡す。
「よくそんなに食べられるわね」
「高校生だからな。そういえば、麗姉はいつ帰ってきたんだ?」
「6月下旬ぐらい。今は実家暮らし」
「なんで帰ってきたんだよ? あっちの方は何かと便利だし、バイトもしやすいだろ?」
「…………」
「なんでそこで無反応?」
「…………」
「まさか、良からぬことして警察から逃げてるとか……」
「——ち、違うわよ! なんで、そんな妄想するわけ!?」
「狼狽えるのがより怪しいわ〜。麗姉がしそうなことといったら、……やっぱり下着ドロ?」
「なんで、女の私がそんなことするのよ!」
「もてないことに腹を立てて、つい夜中、意中の男の下着を……」
「してないから! そんなことしてないから!」
「じゃあ、なんで帰ってきたの?」
「…………」
「もしもし、坂本。お前の姉ちゃんが下着ドロしたって……」
「あわわ! 電話するな!」
「じゃあ、言ってよ」
「……寂しかったの」
「寂しかった?」
「大学で友達もできなかったし、どこ行っても会う人みんな他人行儀だし。だから、寂しくって帰ってきたの!」
「…………」
……うん。なんか聞いちゃいけないことを聞いたような気がする。
どう反応していいかわかんねえよ……。
「ちょ、黙ってないでなんとか言ってよ! 私が惨めみたいじゃない!」
「……すみませんでした。悪ふざけが過ぎました。反省してます」
「今はむしろ謝らないで!」
「……たっくん、またですか?」
佳世の方からグサリと音がする。
見てみると、グラタンを食べる為に持っていたスプーンがテーブルに突き刺さっていた。
顔にはさっきよりも殺気が強まった笑顔を貼り付けている。
「ス、スプーンってそんなに刺さるもんだったんだな。俺ビックリしたわ」
「ええ、私も驚いているわ。これがたっくんの体を刺さないこと願ってる」
…………。
こ、こえ〜〜。
マジで怖い。あれを本当に刺す気はないよね? 洒落にならないよ。
「あっ、いらっしゃいませ〜」
麗姉は新しく入ってきた客を出迎えに、俺たちのテーブルから離れていく。
「と、とにかく食べようぜ。なっ!」
「ストロベリーサンデー追加よろしく」
「……はい」
そんなに食えるのかと、突っ込みたかったが、俺もそこまで愚かじゃない。
500円で助かる命なら、喜んで払う。
***
「もう! たっくん、昔はそうじゃなかったのに」
「すいませんでした。だから、怒るか食べるかどっちかにしてくれません?」
生クリームを口に運びながら、佳世は俺にさっきから同じような内容の説教をしてくる。
「誤魔化さない!」
「はいはい」
「返事は一回!」
「はい」
でも、おちょくったのは悪かったが、そんなに怒ることだったか?
何が佳世の地雷だったんだ。
怒りながら食べたためか、佳世はマンゴーパフェとストロベリーサンデーを10分ぐらいで終わらせてしまう。
「じゃあ、帰るか」
「えーー、もう少し食休みしてこうよ」
「……幽霊に食休みとか必要なの?」
「いや、むしろたっくんの方が必要なんじゃないの?」
……そうだな。
思えば、このまま動き出したら確実に消化していないパスタが腹の中を暴れ出しかねない。
「でも、何すんだ? 暇つぶしになるもんなんて持ってないぞ」
「持ってるじゃん。そのバッグの中に」
「?」
別にケータイもトランプも持ってきてないが、佳世に促されるままに、バッグのチャックを開ける。
筆箱、制汗剤、財布……。
「……佳世様。もしかしてコレでございますか?」
「そう、それ」
……これか。
現在、俺の手にはこの世の天国を一瞬にして地獄に叩き落とす兵器が握られている。
『夏休みの宿題』
…………。
見なかったことにしよう。
「こらこら。戻さないの」
宿題を鞄に中に戻そうとすると、佳世が注意してくる。
しかし、なんとしてでもやりたくない俺は刹那の間にあらゆる手段を考え、その一つを実行に移す。
まず、テーブルに置かれている佳世の手に俺の手を重ねる。
「っ……! たっくん!?」
「佳世」
「はい!!」
できるだけ顔を近づかせて、名前を甘く囁く。
「いいか。ここにはなんて書いてある?」
「『夏休みの宿題』」
「そう。これは夏休みにする宿題だ。しかし、今日は一学期の最終日。つまり、まだ夏休みには入っていないんだよ」
「はあ……」
「これからやる機会なんていくらでもある。だから……」
「やりなさい」
……………。
「佳世」
「二度は効かないよ」
……………。
「やだやだ、やりたくない! なんで今やるんだよ! まだ一ヶ月と一週間も残ってんのに!」
「たっくん、小学生の時にやってなくて何度も叱られたじゃん。やるって信用がないよ」
「やるし。いつかやるし」
「今やったほうが後が楽になるし、私も手伝うから。やろう、ねっ?」
「…………」
そう言われたらやるしかないじゃんか……。
渋々戻した宿題と筆箱をテーブルに置き、佳世が俺の隣に座る。
「さあ、頑張ろう。おーー!」
「おーー……」
隣の天使が今、地獄の門を開けた。
***
「すごいじゃん、たっくん! やろうと思えばできるんだね」
「…………」
それじゃ俺が馬鹿だって言っているみたいじゃないかと、抗議したかったが、頭から煙が出てきている俺にはなんの反応ができない。
この勉強会、俺は長くとも30分で終わると思っていた。
だが、佳世はそんなつもりは微塵もなかったらしく、その6倍の3時間も俺に宿題をやらせた。
途中、もう無理とか死んじゃうとか言って逃れようとしたが、佳世の励ましに時間を伸ばしに伸ばされ、気づいたら最終ページまで終わらせてしまっていた。
その代償に俺の体はボロボロ。肩と背中のコリ。知恵熱による発熱。それに付随しての頭痛。いつもならこの冊子に触るだけでも拒否反応を示す俺が長時間もこれに立ち向かってこの程度の被害で済んだのは奇跡に近い。
というか、佳世が隣でめちゃくちゃうるさかった。
途中から、そうじゃないとかこうでしょとか言ってきて余計に混乱したわ。
せめて、自分のペースでやらせてくれよ……。
「じゃあ、帰ろうか。もうやる事はやったし」
「いや……、コーラ持ってくる」
「それで何杯目?」
「仕方ないだろ! もう、知恵熱で熱くて、熱くて!」
「わ、わかったから。そんなに言葉を荒げないで……」
自分の為にしてくれている手前、俺は佳世に何も言えない。
だが、それでも腹が立つ。
やると決めてから急遽注文したドリンクバーのコップを持って、ドリンクコーナーに向かう。
「あんた、それで何杯目?」
さっきまで忙しく動いていたが、客が減ってまた暇になった麗姉が佳世と同じことを言ってくる。
最初は感心した様子でこちらを眺めていたが、現在早く帰れよと目が訴えてきていた。
「こんなに冷房効いているのに、冷えた飲み物ばかり飲んでたら、お腹壊すわよ」
「コレでやめるよ」
コップを設置して、ボタンを押し、コーラを注いでいく。
「それいえば、麗姉いつ上がるの?」
「9時だけど……だから?」
「いや、送ろうかなって」
「! ——いいわよ、別に」
「いやいや、こんな暑い時期に変な奴が出てくるんだよ」
「まさにあんたがそうじゃないの?」
「俺、Dカップないと……」
「捻りつぶすわよ」
「麗姉が可愛いから心配なんです、はい」
「じゃあ、悪いけどあともうちょっと待ってて」
パタパタと音を立てながら戻っていく麗姉はなぜか微笑んでいた。逆に遠くの佳世は恨めしそうにこちらを睨みつけている。
なんだよ。昔、女の子には優しくしなさいって言ったのは、佳世の方だぞ。
少し気を使っただけなのに、なんでそんなに怒ってんだよ……。