旧友
「何注文する?」
「じゃあ、クリームグラタンがいい」
「了解」
俺たちは今、隣町のファミレスにいる。
なんでかというと、こんなことがあったからだ。
***
「たっくん……大丈夫?」
「だ、だ、だ、大丈夫だとも」
家の駐輪場に自転車を置きながら、俺は佳世に答えるが、その息は絶え絶えで、滴り落ちる汗で影が埋まりそうだ。
だって……仕方無いだろ。朝は涼しかったのに、なんで夕方になっても気温が下がらないんだよ……。
おかげで体力が奪われて登校よりも倍くらい体力を使ったし、坂は佳世が危ないからと降りて押したんだが、自転車ってのはどうしても使う時には便利で押すとこんなに負担が掛かるんだ。
そんなこんなでやっと帰って来れた我が家。冷やされた部屋で遊ぶ自分を想像しながら、玄関のドアを開けようとするが、俺の敏感な鼻がいち早く危機を察知した。
「たっくん、これって……」
どうやら、佳世も勘づいたらしい。
「ああ、そうだ。……お袋が料理をしている」
俺と佳世の顔から血色が失われていく。佳世はあの時直接口をつけたわけじゃにが、どうやら匂いだけでも相当参っているらしい。
鍵を静かに開け、中の音に耳を傾ける。声からしてお袋と親父がいるのが分かるが、その会話の内容は異様なものだった。
『今日は腕によりを掛けてダーリンの好きなものを作ってあげるからね』
『ワーーーーイ』
『前のシチューが少し残っているから、これで肉じゃがを作るね』
『ウン。ハニーノゴハンハナンデモオイシイカラ、ナンデモイイヨ』
『まあ、ハニーなんて恥ずかしいじゃない!』
『はっ! 俺はなんでここに!? す、鈴音、お前何作って……』
バッッッッッッッッッキュン!!!
……………………。
『な〜〜に? よく聞こえなかったんだけど?』
「ウウン。ナニモイッテナイヨ」
「そうよね」
——緊急事態だ。
親父が片言だということはまあ、置いておこう。シチューからなぜに肉じゃがが作れるのかも……この際置いておこう。
そう、俺が今注目しなければならないのは、お袋が新しい危険物質を作り出していることだ!
「……撤退だ。ここは既に異界になってしまった。人間が住む世界じゃない」
「待って。お父さんは助けないの?」
「馬鹿野郎! こういう時はお父さんと呼ぶな! 生贄と言え!」
「その言葉だけで豚箱行けそうだね」
「生贄はかつて、人間では太刀打ちできない神——、自然の怒りを収める為に設けられたシステム。俺たちは今、あいつにはどう足掻いても勝てないんだよ! それには誰かを奴に捧げなければいけないんだ!」
「うわぁ……たっくん鬼畜〜〜」
「よし、じゃあ隣町のファミレスでも行くか」
神がこちらに気づかぬうちにさっさと扉を閉め、自転車にまたがる。
『ギャアアアアアアアアァァァァァァァーー!!!』
ボンッ!!
家から悲鳴と爆発音が上がるが、俺と佳世は何もなかったかのように、夕焼けが沈みかけた薄暗い道を進む。
親父よ、どうか死んでくれるな。
***
「……たっくんのお父さん大丈夫かな?」
「死んだらそれまでの男だったてことだろ」
一応、お袋には外で食べてくるようにメールしたから、帰ってあの危険物を食べさせてくることはないだろう。
今は、生贄が十分にその役割を果たしてくれる事を期待する。
「本当に身内に容赦ないよね……。それにしても、こんな新しいお店ができたんだね」
「まあ、三年ぐらい前だけどな」
全国チェーンの有名な店だが、こんな辺境の地によく建てたもんだ。何度か来たことはあるが、そこそこの値段がする為、こういった緊急事態に避難する場所として利用するぐらいしかしない。
今は変な時間帯のためか、客は俺達以外いなかった。
「そういえばこの機械なんなの?」
佳世はメニュー表の隣に置いてある半球状のボタンに興味を示す。
「……押してみ」
面白半分に促すと、佳世は少し躊躇いながらも、ボタンを押した。
ピンポ〜〜ン!
「うわわ……!」
「やっぱり、そうなるんだな」
ここの音は他のやつよりも数段大きい。
大丈夫だ、佳世。最初来た時、俺もびびったから。
「うう〜……。たっくんのいじわる」
「ごめんごめん」
「食後のマンゴーパフェ追加ね。それで許してあげる」
やらなきゃよかった。
予想だにしない出費に俺が後悔していると、奥の方からウェイトレスが出てくる。
「ご注文承りま……、ん?」
「へ?」
「た……達海! な、なんであんたここにいんのよ!!」
「……どちら様?」
「どちら様って……」
「……?」
「——ご注文を承ります」
「おい」
今のやり取りを見逃すほど俺は大人じゃない。そういえば顔を見てみると、誰かに面影があるような、ないような……。
「私はお客様とは縁もゆかりもないただのウェイトレスです。だから、早く注文しやがれよ」
「……喧嘩売ってんのか」
「お客様、それはパワハラとして訴えることもできますが、しないでやるから、帰るか飯食うかどっちかにしやがってください」
「口の悪いウェイトレスだな! そんなんじゃ嫁の貰い手もないんじゃないか?」
「よ、余計な御世話よ!」
あれ? こんな会話前にもしたことがあるような……。
「焦った時の喧嘩口調に、そのまな板のようなぺったんこ……まさか、麗姉か?」
「っ……そうだよ、麗奈だよ! あとまな板って言うな、お前!」
目の前の麗姉は指摘されたまな板を恥ずかしそうに、腕で隠しながら、顔を真っ赤に染める。
「うう……。一番ばれたくない奴にバレるなんて……」
「えーーと……、たっくん、この人誰?」
「ああ、佳世はお初だったな。この姉ちゃんは坂本麗奈。坂本の姉貴だよ」
「ええ! 坂本くんってお姉さんがいたんだ。そういえば、顔つきが似ているね」
「あと、兄ちゃんがいるんだが、今は確か大阪の方の大学に行っているはず……」
そうだ、目の前の麗姉も東京の大学に行ったはずだ。確か、俺が中1の頃に行ったから、もう卒業したのか。ってことは……
「もしかして、麗姉、就職しっぱ……」
「それ以上言うなーーーー!!」
「ぶっ!」
どうやら、地雷を踏んだらしく、麗姉は注文を受ける時に持ってくる電卓みたいな機械を頭に投げつけてきた。めちゃくちゃ痛い。
「わ、私だって……大学で必死にサークルや合コン頑張ったんだよ」
「麗姉……。大学は何しに行くところか知ってる?」
「別にいいのよ、勉強なんて。それよりもあんだけ頑張ったのに彼氏の一人もできないなんて……」
嘆いているが、これは麗姉が十全悪い。麗姉はある程度の知り合いになると、今までよそよそしかった態度が一変し、砕けた口調で話しかけてくる。
要するに相手と自分の心の距離を十分に理解することが麗姉には難しいらしい。
慣れない奴からすると、結構怖い。
「大学デビューの為に今までしなかった化粧を一生懸命勉強したし、ダサかった私服も流行に敏感になったのに……。なんで、付き合えないのか、本当に……意味がわからない」
ちなみに本人に自覚はなく、外見に問題があると思っているらしい。そう思っている時点で最早、リングにすら入れてすらいない。
「いや、でも麗姉だって最初気づかなかったよ。すげー綺麗になってるしさ」
「!! ……そ、そう?」
思った以上に反応があるな。
そう思った時、ふと、俺の中の悪魔が目を覚まし、こう告げてくる。
もっと、おちょくろうぜと。
「それにしてもなんで、麗姉に彼氏できなかったんかね?」
「そうよね! 絶対おかしいわよね!」
自分から声をかけないくせに彼氏とかいうのもないが、今はとにかく無視する。
「料理もできるし、掃除もマメにするし……」
「うんうん」
「見せられない男同士のエッチな漫画もちゃんと押入れの奥に隠してあったし」
「うんうん。……って、なんで知ってんのよ!」
麗姉、そういうのは出て行く前にちゃんと捨てなきゃダメなんだぜ。誰かさんが部屋に入ってトレジャーハントする可能性があるんだから。
「下着も大人向けの派手派手なやつとか、スケスケのものとか持ってるし」
「あんた、さては私の部屋入ったわね! ホントやめてよ! こんなところで話さないで!」
「……今日は黒ですか」
「!!」
正解なのか、麗姉はウェイトレスの服にしては短すぎるスカートを両手で抑えつける。
そうなると、後ろが危なくなるような気がするが、そんなことに気づいている様子はない。
「……見えた?」
「何が?」
「……し、下着」
「? よく聞こえないんですが」
「だから……下着だって」
「どっちの?」
「どっちの……って何?」
「だって女性は二つつけてんじゃん。名前言ってもらわなきゃわかりませんぜ、旦那」
「……ンツ」
「え?」
「だから、……パンツだって」
「ワンモウプリ〜〜ズ」
「そこまでにしよっか、たっくん」
向かいの席から発せられた言葉に、俺の背筋は冷水をかけられたかのようにピンとなってしまう。
「ここは、ご飯を食べる場所でしょ? 麗姉さんも困ってるじゃない。これ以上困らせるなら、……私、自分が何するかわかんないよ♡」
顔は笑っているが、目は半開きにして、こちらを睨みつけている。
「そ、そうだな。麗姉、注文いい?」
「私は一度も綺麗なんて言ってくれてないのに……」
佳世が何か言ったような気がしたが、俺には聞こえなかった。