救いの御手(1)
お兄ちゃん、梶原浩太視点です。
(いまだにお気に入り登録していただいている方々に感謝を込めて。)
その病室は四人部屋だった。
何だって、個室じゃないんだ。だから俺の知り合いの病院を使えって言ったのに。
結局食事が美味しいと評判の個人病院をアイツは選んだ。食いしん坊のアイツらしい選択だと言えばそれまでなのだが……トラブルがあれば対応できる病院は限られる。最初から大きい病院に入ってくれれば変な心配もいらないし、俺が金を出すと言っているのだからLDH用の個室であれば一貫して同じ部屋で過ごせて便利だし、訪問する時も周りに気を使わなくていいのに―――と、独りごちる。
四人部屋の前の名札を確認する。
それからツカツカと大股で踏み込んだ。四つあるカーテンのうち、一つを無言で開ける―――とボフンっ!と枕を投げつけられた。咄嗟に手を出して顔を庇う。
「何すんだ」
「勝手に開けないで!今授乳中なんだから……!」
乱暴な口をきく麗華。そうか、授乳と言うと胸を出して……まあ、マズイよな。
仕方ない。俺はカーテンの前で背を向けて立ち竦む。
他の三つのカーテンのうち、二つは開け放たれていて―――赤ちゃんを抱いた女性二人から、値踏みを含んだ視線をチクチクと感じてしまう。暫くして「はい、いーよ。カーテン開けても」と声が聞こえて、ホッと胸を撫で下ろした。
ベッドの枕元の横に小さなベッドが備え付けられていて―――小さな命がうつろにそのか細い手足を彷徨わせている。
そいつは本当に―――俺にそっくりな特徴を備えていて。ああ……
「俺の子だ……」
「違うって」
感動に胸を震わせる俺に、相変わらず厳しい突っ込みを入れる、見た目だけは大人しそうな―――華奢な女。
熊野麗華、俺の双子の弟―――熊野豪太の妻である。
つい先日生まれたばかりの男の赤ちゃん。まだ目も見えていないのに、ウゴウゴと一丁前に何かを訴えているような動きをしている。
「俺にソックリだよな?」
何だか物凄く嬉しい。俺は屈み込んでじっくりと……その小さな小さな存在を覗き込む。
「まあねー、それは否定できないわ」
クスリとスッピンの女が力なく笑う。
結構痩せたな。よっぽどハードな仕事だったと言う事か。
女にしかできないお仕事。
産む直前ギリギリに『出産時に死んだとしても決して文句は言いません』と言う書類にサインさせられたそうで、立ち会った豪太は大層面食らったと語っていた。苦しむ妻をそのままには出来ないから取りあえずサインをしたものの、変なフラグを立てられたようで、背筋が凍ったと―――あの立派な体格の何事にも動じない男が、弱々しく胸の内を俺に打ち明けた。
そう言えば、一昔前は出産で亡くなる女性も随分多かったと聞いた事がある。一人産むだけでこんなにげっそりしてしまうのに、俺達の母親は双子を身籠って更に大変な思いをしていたのだろうな……と想像すると、じんわり胸が痛くなる。そんな覚悟で生んでくれたのか。その後の厳しい道のりも―――敏い彼女なら、きっと想像していただろうに。
「抱っこしてみる?」
「いや―――いい。壊しそうだ」
手にしただけで、パリンと壊れちゃいそうなくらいか弱い、生き物。
「こんなに冗談みたいにちっちゃいのに―――目元と眉なんか俺にソックリだな」
「本当にねぇ……これでちゃんと『人間』なんだから、不思議よねぇ」
そう言って目を細める麗華。
あれ。
その時、気が付いた。
もうすっかりコイツ―――母親の表情をしていやがる。
思わず見入ってしまう。
すると不意に麗華が振り向いた。目が合って思わずドギマギしてしまう。つい見惚れてしまった事に……気付かれたくなかった。
「ねえ、触ってみて」
「え……」
麗華の笑顔に引き込まれるように、その頬に手を伸ばす。すると目を丸くした彼女にぺチリと手を叩かれた!
「もーフザケてないで!『この子に触って』って意味に決まっているでしょ?」
「あ、はは……分かってるっつーの」
いかんいかん、ボンヤリし過ぎだ。
すると気を取り直した様子の麗華が俺にニンマリと笑顔を見せて、如何にも楽しそうに勧めた。
「ね、この子の掌……指で触ってみて。面白いのよ」
不意の笑顔にビックリして、ついついうつろな気持ちのまま指を差し出した。
「おおっ……!」
キュッと、割としっかりと握られた。
「結構、力強いな……!」
「でしょ?スゴイよねー、『生きる!』って意志が伝わって来る」
胸がきゅーんと締め付けられる。
うわぁ……何だか、柄にも無く無性にトキめいてしまう。
俺……コイツの事、好きかもしれない。
初対面だけど……何だかすごく好きになってしまった。
血の繋がった甥だから、もちろん元々大事な存在だ。けれども、今この時。俺はそう言う血の繋がりを超えて―――俺の指に必死で捕まるコイツに物凄い親近感を抱いてしまった。
「コイツ―――俺の子にする!」
「だから違うって……」
クスクス笑いながら、突っ込む麗華。
そう言う意味じゃない。俺は―――コイツが欲しい。
「俺きっと結婚しないから―――コイツ養子にくれ」
「―――」
張り付いた笑顔のまま―――「冗談は寝て言え」と麗華は言い放った。
……結構俺、本気なんだけどな。
だから小さなところ隅々まで良くできている、小さな小さなコイツに笑い掛け、俺はこっそり呟いたのだった。
「……俺んとこ来いよ。お前に俺の財産、全部やるから」
「梶原君は変な勧誘してないで、早く結婚してください……!」
そう言って今度は麗華の手刀が飛んで来て―――ポカリと頭を叩かれたのだった。




