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レッスン7

『急用が入ってしまったので申し訳ありませんが、本日のレッスンをお休みさせてください』




スマホで受信メールを確認して閉じる。

それからもう一度、改めて開いてみる。


やっぱり何度見ても熊野さんからのメールには、今日の『レッスンは欠席』としか書いていない。しかも取り消しの新しいメールも来ない。




「どうしよう……!」




私は狭い防音室の中、両手で顔を覆った。


絶対、私の所為せいだ。

私が調子に乗って飲み過ぎたから。


「ばかばかばか」


防音が利いている事を良い事に、私は自分を思いっきり罵った。


だって本当にバカなんだもん。


飲んでも顔に出ないけれど、結構酔う性質たちだ。

それが分かっていたのに、気分が良くて太陽がジリジリ熱くて、ビールが美味しくて飲み過ぎた。だいたいキリキリ冷えたアイスド・ビールをあの時お代わりしたのが、そもそもマズかった。

そのうえこれは良かったのか悪かったのか判らないけれども、膜が掛かったように実感が無いながらも記憶はしっかり残っているんだよなぁ……。


やっぱりかなり緊張していたんだと、改めて思う。

だから酔いに任せてしまおうと、本能が判断してしまったんだ。

でもそれは――――間違った判断だった。


『用事がある』なんてきっと口実だ。

熊野さんはきっと不愉快だったに違いない。だから、今日レッスンを欠席したのかもしれない。


どちらかというと思い込みの激しい性質の私。

今は悪い方向にしか物事を捕らえられなかった――――







** ** **







前後が曖昧ながらも、自分の発言は結構鮮明に覚えている。むしろまるで他人が言ったセリフみたいに客観的に捕らえる事ができた。

それから自分の行動も。他人事のように「こりゃないだろ」って呆れてしまう。

飲み過ぎて呂律の回らない話し方とか、知り合って間もないほぼ他人の相手に対して異常に親し気な口をきき、ふらふらの体を支えて貰い……それだけで飽き足らず、生徒さんに言うべきでは無い、子供の頃のトラウマまで語り出したのだ……!


思い出すごとに、血の気が引く。




「ほんとーは最初、熊野さんのコト苦手だなあって思っていたんですよ!だって体格良くて体育会系でコワモテで~。でも熊野さんってとーっても良い人で優しいから、外見やこれまでの思い込みで人を判断しちゃいけないなって、反省したんですよぉ~」

「……そうですか、ありがとうございます」

「熊野さんが苦手って言っても、熊野さんの所為じゃないんですよ?ちょっと前ペロッと言っちゃた―――あ、覚えてないかもしれませんけど、小学校の頃のイジメっ子が、ちょうど熊野さんみたいに運動が得意で体育会系で~いっつもクラスの中心にいる自信たっぷりな奴だったんですよ……!!それ以来、ほんとーに、ほんとーに、そういう人が苦手で~~」

「……ああ。あの、髪の毛を引っ張ったって言う……」

「そうなんですよ!!今でも恐怖ですもん!不意に三つ編みを引っ張られるとものすっごく痛いんですよ。恐怖しかありません。それで振り向くと私が涙目になっているのを見て、これまたものすっごい笑顔で笑っているんですよ。それを見て、周りの人間もめちゃめちゃ笑ってるんです、楽しそうに。何が楽しんですか、人が痛がっているのがそんなに楽しいんですか。あの笑顔見ると本当に虫唾が走りました、あれがまさしく悪魔って奴だなって思いました」

「……それは……大変でしたね……」

「あーいう奴が将来DV男になるんですよ。人を甚振いたぶる事に関して良心の欠片も傷まないでしょうね、むしろそれを見て喜ぶという……だから厳つい男って苦手なんですよ―――アイツから離れたくて、私―――他の小学校に逃げたんですよ。両親はわざわざ学区移動するのに引っ越しまでしてくれて……」


「それで学校を変えたんですか……」


熊野さんが何故かショックを受けた様子で呻いた。同情してくれているのかな?少しおかしいと思ったけれども、酔っぱらった私は自分の言いたい事の方にしか意識を向けられなかった。


「そーなんです。それでそれ以来体育会系の男っぽい男子が超超超~~苦手で、避けまくっていたから免疫が無くていまだに男性全般……特に厳つい感じの男の人が苦手なんですよ……」

「そうですか……じゃあ、俺みたいな体格のいい奴、怖かったでしょう」


熊野さんは悄然とした様子で声のトーンを落とした。

これには酔っぱらって自分のコトしか考えられ無くなっていた私も慌てた。


「いやっあのですねっ……つまり何が言いたかったと言いますと――――熊野さんが素敵だってコトを、言いたかったんですっ」


ぶっと、気を取り直そうと口を付けたビールを、熊野さんは噴き出した。


「ごほっごほっ……」


熊野さんは激しく咳込んだ。私は思わず彼の大きな逞しい背中をさすった。


「だ、大丈夫ですか……?!」

「ああ……けほっ、大丈夫です……」


顔を朱くして喉のつかえを取ろうと、んんっと喉を鳴らす熊野さん。どうやら大丈夫そうだ。

私は熊野さんへのフォローをちゃんとしなくては、と続けた。


「熊野さんにお会いして、苦手だと思っていた体格の良い男性も、優しくて良い人がいるんだって認識を新たにしたんですっ。そう思えたのは、熊野さんのおかげですっ」


拳を作って熱弁を振るう私を、熊野さんは微妙な表情で見ていた。


「あ~疑ってますねぇ~、本心ですよーぅ」

「……疑っている訳では無くて……」


熊野さんは、覗き込む私からスイっと視線を外した。彼も酔っているのだろうか?喉の閊えが取れた後も顔から朱みは消えなかった。


「……俺は姫野先生が褒めてくれるような、そんな良い人間では無いですよ」


そう呟くように言った熊野さんの顔は、キラキラした笑顔でもいつものしかめっ面でも無かった。無表情。そう言うのが一番合うような……。


私は何だかその顔を見て、胸がざわざわした。

将棋で下手な手を打ってしまった降格間近の棋士みたいに。

なんとか挽回しないと。


アルコールでグラグラする頭で、それだけを考えていた。


「熊野さんっ飲みましょうっ」

「あ、ちょっとそれ以上は――――」


制止しようとした熊野さんを尻目に、私は手元のジョッキを一気に煽った。


それから記憶は混沌としている。

残っているのは場面場面を切り取った断片だけ。





熊野さんが色々片づけてくれて、フラフラする私の手を引いて電車では体を支えてくれていた。鞄も熊野さんが管理して、改札に入るときICカードを手に持たせてくれた。家まで送ってくれて、驚いた様子で出迎えた母さんに、事情を説明して頭まで下げてくれた。


生徒さんって聞いて、母さんは凄く恐縮していた。

お茶でも飲んで行って欲しいと申し出た母さんに丁寧にお礼を言って、すぐに熊野さんは帰って行ったそうだ。








ああ、何が悪かったんだろう――――って言うか、何から何まで悪いよねっ!


私って絡み酒だったんだ……しかも、熊野さんに対して苦手だったとかコワモテだとか散々酷いコト言って。




生徒さんだよ?

お客さんだよ?




あり得ないよね。熊野さんがいくら優しい人だからって、あれは無い。


あの後『体調大丈夫ですか?』ってメールだ届いていたから、お礼と謝罪の言葉をメールで返信したけれども――――電話を掛ける勇気は流石に出なかった。仕事の邪魔しちゃうかもしれないし……。

ジリジリと月曜日が来るのを待って、レッスンのために西区センターに早めに入った。そこに欠席を伝えるメールが入ったんだ。




『急用』って、口実じゃないだろうか。




例えそれが本当だったとしても……私がやってしまった失礼の数々――――もうどれがマズかったのかって、数え上げるのもキリがないほど沢山の――――が消える訳じゃない。


うーーーー!


男性付き合いを避けまくっていたツケが、ここにきてドカンと来てしまった。




もう、どうしたら良いのか……ワカラナイ。

誰か教えて!!この先、どんな顔して熊野さんの前に出れば良いのかを……。




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