旅行日和(6)
予約していたレストランに到着した。
駐車場に車を停めて入口に回ると、古めかしい立派な玄関が現れる。
そこはかつて回漕店を営んでいた小樽の名士、沖田武蔵が自邸として建てた邸宅だった。木造に白壁、入口には湾曲した庇が掛けられた和洋折衷の建物で、現在はレストランに改装されている。
「わぁ、何だか可愛らしい建物ですねぇ」
大正時代に建設され伝統建築物として指定を受けたその建物は、入口の大きな引分扉の桟が菱形になっていてまさに『大正浪漫』と言った風情が感じられる。
広い玄関は元々は履物を脱いで上がる構造だったのだろう、一段高くなった上がり框にも玄関から一続きにマットが弾いてあるのだが靴のまま上がるのに一瞬躊躇してしまう。
欄間には見事な松が彫刻されていて、小樽がかつて『北のウォール街』と言われた当時の栄華の名残を醸し出していた。正面にも脇にも当時を偲ばせる見事な調度品が置かれており、その佇まいは大正生まれでは無い俺達にも懐かしさを抱かせるから、不思議なものだと思った。
予約済みのため、庭に面した明るい廊下を案内され奥へと導かれる。天井の高い広い部屋にはテーブルが並べられており、その内の一つの席を勧められた。
「こちらの部屋は打って変わって洋風なんですね」
「雰囲気あるでしょう?市の景観賞も取ってるんですよね、入口に銘板がありますよ」
「部屋の前のステンドガラスとか、可愛いですよね……!熊野さんはこちらを利用した事はあるんですか?」
「ええ、何度か。レトロな雰囲気が落ち着くでしょう?」
そこで給仕が水と一緒にメニューを運んで来た。
「ランチメニューは……何を食べますか?洋食屋だからハンバーグとかパスタとか、定番メニューが多いですが色々ありますよ」
「熊野さんは何にしますか?」
「俺はいつもハンバーグですね。肉が好きなので。今日はこれにしようかな?」
ランチメニューのベーコンハンバーグセットを指さすと何故か「おおっ」と姫野さんが感嘆の声を上げた。
「私も食べたいけど量が多そう」
「残ったら俺が平らげますからご心配無く」
怯んだ姫野さんにそう言うと、パッと表情を明るくして笑顔になった。
「なるほど!じゃあ、熊野さんとご飯を食べに行けばこれまで諦めていたメニューも選び放題ですね」
華奢だから、それほどガツガツ食べられないのだろう。
ほんわりと笑う姫野さんがあまりにも可愛くて、残したご飯だけで無く色々平らげたい気持ちが湧き起こって来たが、あまりガッツいて引かれたくない。
敢えてそう言った事は口には出さないよう心掛け、笑顔の下に仕舞い込んだ。
水族館のパンフレットを見ながら料理が配膳されるのを待った。温かな料理がテーブルの上に並べられると、芳醇な香りが鼻腔を擽り食欲を煽る。二人とも水族館では結構歩いたので、食べる準備は万端だった。
「美味しそう~!」
「食べましょうか」
フォークを入れるとジュワッと肉汁が飛び出して来る。ガブリと齧り付くと目を丸くしている姫野さんと目が合った。
「……どうしました?」
「え?えーと……あの~大きな口だなぁって」
「あっスイマセン、がっつき過ぎですね」
誤ると姫野さんは顔を朱くして否定した。
「ち、違います。感心してただけですよ!そうやって大きい体を維持しているんだなぁって。私はちょっと筋肉が足りないくらいなので見習わなきゃって思ったんです」
思わず笑ってしまう。
「俺の食べ方見習わなくてもいいですよ。俺は姫野さんの食べ方の方が好きです。美味しそうに大事そうに一口ずつ味わってくれて、いつも綺麗に食べているのを見ていると嬉しくなります」
「そ、そうですか……?」
恥ずかしそうに照れた素振りで頬を染める姫野さんを見ると、またしても不埒な食欲が湧いて来るが今は抑えて涼しい顔をしておく。そしてニコリと笑って彼女を促した。
「ええ。さあ、冷める前に食べましょうか」
「はい!」
そうして時折、水族館で見たコツメカワウソやクラゲの話をした。
笑いながら食べるハンバーグは以前より数段美味しく感じられた。きっと気持ちの問題だと思う。好きな人と向かい合って食べるご飯っていいものだな、と心が温まるのを感じた。
メイン料理を楽しく食べ終えたら次はデザートだ。
俺は本日のデザートを頼んだので、ガトーショコラにコーヒー。彼女は夢二ロールと言う苺をあしらったロールケーキに紅茶。
「お腹一杯でもデザートは入っちゃいますね。これはもしかして罠か何かですか……?太っちゃうなぁ」
「姫野さんはもっと食べた方が良いですよ。手首なんか折れそうに見えます」
ほら、とテーブルの上に腕を出して比べてみる。
俺の腕が太すぎるのかもしれないが、彼女の腕は俺の半分ほどの太さしかない。一度彼女が友人達と時計台で開催している演奏会に招待して貰ったが、あれ程力強い音が出せるのが不思議なくらい華奢な腕をしている。
「熊野さんと比べたら、誰でも細く見えますよ!……んーでも有難うございます。やっぱりデザートは心置きなく楽しんだほうが良いですよね」
「そう言う事です。後ろめたく思わないで、楽しみましょう」
「はーい、いただきまーす!」
フフフと笑いながら食べる彼女は本当に可愛い。
俺の胸は一杯になった。
こんなに幸せで、良いのだろうか。
ふとニヤ気顔の苗字の違う兄の顔が浮かんだ。一見何もかも手にしているような兄のドヤ顔を。
今日は彼の交友関係(?)のとばっちりを受けたが、それぐらいは軽く受け流さねばならないと思う。いつも俺を扱き使い好き勝手行動するアイツだが、大股にガツガツ世の中を渡って行くから、うっかり落とし穴に嵌ってしまう機会も多い。そんな時俺は渋々彼の愚痴を聞きフォローを手伝う事もあるが―――そんな事は些細な事だと今、心から思えた。
金や名声に恵まれてはいないが、俺は家族に恵まれていた。
優しい環境で伸び伸びと暮らし、豪太に迷惑を掛けられる時以外は基本、好きな事ばかりして暮らして来た。
そして今、姫野さんと言う存在を手に入れる事が出来たのだ。
本当に豪太が欲しい物は―――もしかすると俺が全て手にしているのかもしれない。
だから多少の迷惑など大して気にする必要は無いのだ。美味しそうにロールケーキを頬張り、皿を交換してガトーショコラに舌鼓を打つ彼女を見てそう思った。
そう思ったのは嘘では無い。
が、更なる闖入者に対面して、俺はそう思った事を少し後悔し始めている。
「梶原さん、その子は何?当分仕事が忙しいって言うから連絡が無くても我慢していたのに―――一体どういうおつもりなんですか?!」
またしても髪の長い、今度は先ほどの派手な女性と真逆のお嬢様然とした美女が眉を吊り上げている。
浩太は小樽で一体何人の女性と懇意にしているのだろう。
俺達の旅行先を知っているのだから、せめて注意喚起ぐらいできなかったのだろうか?
俺は姫野さんと顔を見合わせた。
姫野さんも困ったように眉を下げている。
(まただ)
(またですね……)
図らずも浩太のお陰で彼女との距離がまた縮まった。
どうやら俺達は視線のみで会話が成り立つほど―――意思疎通が出来るようになったらしい。
※蛇足ですが、モデルとなったレストランは残念ですが現在休業中です。




