旅行日和(4)
羊にお別れを言って急な斜面を降りて行く。
同じようにアザラシ、トドショーを見る為に歩く人に混じって海際に作られた海獣プールへと足を進めた。
ゴマフアザラシのプールは先ほどのイルカショーの物より小規模だったが、より近くで実物を見物できるのが楽しい。その名の通りゴマを振りかけられたような模様の、丸々と脂肪を蓄えたアザラシ達がボールを前足で抱えるように持ったり、調教師が投げた輪を見事に首で受け止めたりと大活躍を続けている。
「可愛いですねー」
と目を細めて喜ぶ彼女の顔が可愛いくて……(以下同文)
「でもイルカの本気の演技に比べると、少し熱心さが薄い感じがしますね」
彼女が言う通り途中でやる気を失って気儘に泳ぐ若いアザラシは、最初と最後の挨拶以外調教師の言う事を聞いて無かった。
「そうですね、ちょっと気まぐれな性質なんですかね」
「代わりに調教師さん達のトークが冴えてましたね」
アザラシの暴走をフォローする調教師さんの遣り取りが絶妙で秀逸だった。
「本当ですね!あー、まさかこんなに笑うと思いませんでした。アザラシショーで」
「混んでいる訳が分かりますね。もう一回来たくなる」
すると姫野さんは俺を見上げて微笑んだ。
「また来ましょうね」
「……はい、必ず」
今の笑顔を台詞ごと動画に撮っておきたいと、強く思った。既に心のメモリーにはしっかりと刻みこんでいるけれども。
次に見たトドショーは、まさに圧巻だった。
イルカショーにも目を丸くしたが、トドがこんなにも胸を張って誇らしげに演技するとは思っていなかったので余計驚かされた。
ビシッビシッと音がしそうなくらいキッチリポーズを決め、海岸線沿いに設置された飛び込み台から次々とプールへ飛び込むと水しぶきが高く吹き上がり、次の瞬間既に観客の目の前にある待機場所に飛び出してくる。
アザラシショーでほんわかと解れた気持ちが、引き締まるようだった。俺達は息を詰めて軍隊のようなトド達の演技に魅入ってしまった。
「うわぁ、ちょっと想像以上の出来でしたね。トドがこんなに人間の指示にキッチリ従うなんて思いませんでした。何故だかアザラシよりも気儘で調教師の言う事を聞かないイメージがあったんですけど」
ふーっと肩の力を抜いて、興奮冷めやらぬ口調で姫野さんが感想を口にした。
「俺も同感です。すごく真剣でしたよね、あと飛び込み台から落ちる時の水しぶきがスゴイ」
「私も……!あんな高い所から飛び降りるなんて思いませんでした。でも、楽しかったぁ!大興奮です、正直こんなに夢中になって見れると思っていませんでした。さすが熊野さん!イベントに詳しいですね」
手放しで褒められると何だか擽ったい。
「いや、これは嬉しい誤算でした。実はショーにはそれほど期待してなかったんですよ」
ペンギンと彼女のツーショットが撮りたかっただけだと言う……邪な本心は口に出せなかった。付き合ってからもうすぐ半年になるが、仕事が忙しくて一緒に出掛ける機会をあまり作る事が出来なかった。メールやスカイプ、電話等でなるべく頻繁に連絡は取って来たけれども―――まだ付き合いが浅い彼女に俺の残念な面をアピールして、引かれては困ると思った。
と言うか単純に恥ずかしい。
好きな子の前ではカッコつけていたい、と男は幾つになっても思ってしまうものなのだろう。
実は未だに彼女が俺を『好きだ』と言ってくれた事が信じられない気持ちに成る事がある。彼女が冗談や嘘を言う人間では無いと言うのは、レッスンを通して誠実に対応してくれた事や、連れ立って出かけた経験から理解している。
だけど本当に?―――と時々夢を見ているような気がする。
彼女がトラウマを抱える程に嫌った浩太の弟で―――彼女が虐められる切っ掛けを作った自分を許して―――尚且つ好きになってくれるなんて、嬉し過ぎて逆に、本当に今でも夢じゃないかと疑ってしまう事がある。こんなに都合の良い展開があって良いのだろうかと。
だから出来るだけ彼女に引かれるような行動は避けたい。
と言う訳で俺は、次のメインディッシュについてはできるだけさり気ない口調を装って促したのだった。
「……この後、ペンギンの遠足があるみたいですね、ちょっと見てみませんか?」
「『ペンギンの遠足』ですか?!面白そ~もちろん行きます!あ、あそこですね。もう混んでますよっ……行きましょう、熊野さん!」
姫野さんが無意識なのか俺の腕に手を掛けてグイグイと引っ張った。
嬉しくて胸が躍った。
来て良かった……!
心から、そう思った。
** ** **
『ペンギンは気まぐれですからね~今日は何匹が遠足に出て来てくれるでしょうかぁ?』
MC役の飼育員が慣れた様子でマイク越しに解説する。
ペンギンが柵から出て来ると、子供達が歓声を上げた。
『遠足』とは、ペンギンがいつも飼育されているプールから、逃げ出し防止の網を張った区切られた海岸まで飼育員の誘導で向かうと言うイベントらしい。十数羽程のペンギンが群れになってヨチヨチと歩く姿に、道を囲むように並び立つ人間達の頬は老若男女例外なく緩んでしまっている。ペンギンは基本気まぐれなので、プールから出ようとしない個体やその日の気分で遠足に行ったり行かなかったりする個体など、様々らしい。飼育員達はそれらを各々自由に行動させているようだ。
餌でおびき寄せている様子も無いから、かえって自主的に飼育員の後を追っている事を不思議に感じた。
「あ、マラドーナがいる」
彼女が声を上げた方を見ると、腕に巻いたプラスチックのような名札に『マラドーナ』と油性ペンで書いてあった。他にも『カズ』というペンギンもいたから飼育員にサッカーファンがいるのかもしれない。
「面白いですね!熊野さん」
と笑う彼女にスマホを向けると、ピースサインを作ってくれた。
「撮りますよ」
パシャリとシャッターを押すと中々良い出来。マラドーナもちゃんと納まっている。
よっし!目的達成……!
と小さくガッツポーズを作った俺のその腕に、後ろから何かが絡まって来た。
ピースサインをしたままの姫野さんの目が大きく見開かれる。
ふわりと花のような香りがして振り向くと、髪の長い細い女性が俺の腕にその腕を絡めて体を寄せていた。
「な……何ですか?あなた」
グイッと腕を引き抜くと、その女性は「やん!」と鼻にかかった声を上げた。
思わず身を引いて姫野さんの横へ避難する。
振り払った腕に花の香が残っている気がして、不快な気分がせり上がって来た。
俺の拒絶を見て、女性は眉根を寄せて上目遣いな視線を寄越した。
そんな目で見られる覚えは無い。第一、一体誰だ……?全く知らない女だった。
「ひっどーい、忘れたのぉ?」
「は……?」
「一緒に遊んだの……覚えてないなんて言わせないわよ」
と意味ありげに目を細められて、混乱する。
「人違いじゃありませんか?」
「熊野さんって案外冷たいのね」
何故俺の名前を知っている?
背筋がヒヤリとして、思わず頭が冷えた。
このままでは誤解されかねない。俺は慌てて横を振り返り、傍らの姫野さんの顔を覗き込んだ。
「―――姫野さん、誤解です……!」
すると彼女は顔を上げ―――何を考えているか判断の付かない静かな表情で俺を見返したのだった。




