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優良物件の見分け方

熊野と麗華が付き合って暫く経った頃のお話です。

今日は熊野さんのレッスン日だった筈。

何故ここにいるのが、梶原君なのだ。




「梶原君、熊野さんは?」

「え?僕、豪太デスよ……」

「熊野さんは『僕』なんて言いません。中途半端に擬態するのやめてちょうだい」




白々しく『熊野さん』を装おうとする『梶原君』。


「いーじゃねーかよー。海外進出一件目はバリにしようと思って豪太をインドネシアに行かせちまったからさ。寂しがってる彼女のアフターフォローに来たってワケよ。俺はアイツの兄貴として出来る事をだな……」

「梶原君が行けばいいでしょう?なんで熊野さんだけ行かせるのよ」


イラっとして言い返した私を、梶原君は残念なものを見るような目でチラリと見て嗤った。しかもその嗤い方の厭味ったらしいこと。


「これだから、一般庶民は……。経営者は動かないモンなの。人を雇って動かす。適材適所を見極めるのが、俺の仕事。どんなにパック捌きが上手くたって監督がリンクに出て良いワケ、ないだろ?」


アイスホッケーに例えて上手いコトを言った気になっている梶原君に溜息を吐く。


「それにしたって、梶原君はピアノ弾けるんでしょう?習う必要無いじゃないの」

「んー、まぁなぁー」


そう言って、梶原君はサラリとリストを弾きこなした。




げ!




リストの曲は速弾きが多い。

クルクル回る指を見ていると目が回りそう。

ちなみに私は超絶技巧曲より情感あふれるゆっくりした曲が好みだ。


「どう?姫野先生」


ニヤニヤ、ドヤ顔でこちらを見るから「はいはい、素晴らしいですねー」と棒読みで答えた。この人、憎らしいほどチートだな。小説の世界ではこういう人がヒーローになるんだろうなーと、他人事ひとごとのように考えた。


でも実際こういう人と付き合ってみると、結構疲れる。

子供っぽいし……何でもできるから人の痛みが分かりづらいのか、話していてもなんか共感できなくて落ち着かない。悪い人間じゃないって何となく分かり始めたから、何とか突き放さずに付き合ってるけど、押しが強いからか最後には返事をするのが面倒になってくるし。


「梶原君ってさー……」


私はお行儀悪く膝に肘を立てて、掌に顎を乗せた。上目遣いで見上げると、ワクワクと書き文字が浮かびそうなくらい期待している顔があって、溜息が出そうになった。


「本当に『優良物件』?実はぜんっぜん、モテないでしょう?」

「なっ……!」


梶原君のニヤけ顔が固まった。


「何を言っているんだ。モテるに決まっているだろう……!今日だって、縋り付く女を躱しながらここにワザワザ通っているんだぞ!俺と二人きりでいられるなんて幸運、よっぽど極上な女しか味わえないんだ」

「ふーん、そうなんだ」

「だけどお前はただのレッスン講師だからな!これはデートとは違うからな。平凡な女でも一緒にいられるのはそういう理由だ。滅多に無い事だぞ、良かったな……!」

「……アリガトウゴザイマス……」


本当にこの人、熊野さんと血が繋がっているのだろうか……?

いや、顔と体形がソックリだから、血が繋がっているのは疑いようも無い事実なのだけれど……。育ちが違うとこうも違うのだろうか。これで一本論文が書けそう。完成したら科学雑誌の『ネイチャー』とかに送ろうかしら……。


「あの、梶原君?世間で『俺様彼氏』が流行っているらしいけど、あくまで二次元の話だからね?いい加減方向転換しないと、寂しい老後を過ごす事になるよ?」

「お前、いい加減にしろよ。俺の魅力を分からないなんて、残念な女だな」


腕組みをして首を傾げ、私を見る梶原君。何故か本当に同情するような表情だ。


おい。何様のつもりなんだ。


「いや、『残念』で結構。梶原君の魅力なんて分からないままで十分幸せだから。―――梶原君?足が速い乱暴者がモテるのは、小学校までだよ?」


姿勢を伸ばし向かい合って―――私も腕組みをして首をかしげた。

何故こんな簡単な事が理解できないのか不思議だ。良い学校を出て頭脳も素晴らしい筈なのに。あ、全部仕事に使っちゃってるのか。屁理屈だけはうまいもんね。


「お前、なんか俺に対して失礼な事、考えてないか」

「え?いや、当り前の事しか考えてないよ?」


疑り深げに私の顔を覗き込む梶原君。

怖い顔したって、もうそんなに怖く無いもんね!

しかし迫力に押されてつい目を逸らすと、目線の先に時計があった。


あ、時間だ!


「ああ!残念!レッスン時間終了です!」


私が喜々として宣言すると、梶原君の顔は益々苦々しくなったのだった。







** ** **








熊野さんのレッスン枠は、今日の私の担当する最後の枠だった。

灯りを消して戸締りをする間、何故か梶原君は黙って待っている。


「帰っていいデスよ……?お忙しいんでしょう?」

「まーな。でも腹減った。夕飯付き合え」

「……」


私のお腹もペコペコだった。

ご飯は食べたいけど誘い方が気に喰わないので、返事はしなかった。


レッスン教室から外に出て、地下鉄駅を目指す。

体の大きい見るからに仕立ての良いコートを羽織った梶原君が、当たり前のように私の横を歩いていた。さすがに熊野さんソックリなだけあって、見た目だけは抜群にカッコ良い。通り過ぎる人が驚いたように振り向いて行く。中には「カッコ良い~もしかして芸能人かな?」と思わず声を上げる人もいて、背中に視線を感じて落ち着かない気持ちになった。


だって毎回この道を通っているのに、こんなに視線を集める経験をした事、今まで一切無い。

正確には、視線を集めているのは私では無くて梶原君だ。地味な私へ集まる目線は、そのカッコいい梶原君の隣にいる人間としてのみの関心しか払われていないのだと認識しているが、居心地が悪いものは悪い。


梶原君の勘違い発言の理由が分かった。こんなに知らない他人からじろじろ見られる生活を二十五年間送って来たのだとしたら、『モテる』と豪語する権利はあるかもしれない。


と、つらつら考えている間に琴似駅の駅ビルに辿り着いた。お金持ちの梶原君が地下鉄に乗るなんて考えられないから、私はピタリと立ち止まって慇懃に頭を下げた。


「じゃあ、お疲れ様でした。お仕事頑張ってください」


顔を上げてニッコリと笑うと、ポカンと口を開けた梶原君と目が合った。

すぐにきびすを返して駅ビルに入ろうとした処で、ガシリと腕を掴まれた。


「おい、待て。飯は」

「……お腹空いてません」




ぐぅ~




言い放った直後に私の胃が、反対声明を発表した。


ブッと噴出した梶原君が「この間の割烹屋行こうぜ、奢るから」と少し力を抜いた優しい声で言ったので、私は胃袋の奴隷となってしまった。

『食いしん坊』でいつか身を亡ぼす事になるかもしれない……と思いながらも私は、極上の割烹料理を思い出しゴクリと唾を呑み込んだのだった。







給仕の女性がお茶を運んで来ると、梶原君はメニューを見ながら「タチの天婦羅、くるみ豆腐、お勧めのの握り十貫とカマス一夜干し。それから熱燗とお猪口ちょこに―――みかん酒、お願いします」と言って、ニッコリと笑いかけた。


「あ、はい!ええと、タチの天婦羅と―――」


給仕の女性はメニューの確認をして、ポッと頬を染めてお盆を胸に戻っていく。


あれ?優しい笑い方もできるんだな。へー。


何気に私がこの間気に入っていたみかん酒も頼んでくれた。こんな瞬間があると、本性を知っていても格好良く見えなくも無い。


「取りあえず適当に頼んだから、お前も食べたいものあったら頼んだら?」

「うん、ありがとう」


反射的にお礼を言うと、梶原君は目を丸くしてこちらを凝視した。


「なに」

「いや、素直にお礼を言う事もできるんだなって、驚いた」


何だ、そんな事か。


「普通だよ。梶原君以外には、ちゃんと素直に対応しているから」

「ひでぇな」


と、言いながら何故か頬杖をついて嬉しそうにニシシと笑っている。

あ、もとの梶原君に戻ったな。


お酒が来て軽く乾杯して、くるみ豆腐とタチの天婦羅をいただいた。




うーん、うまい。




じーんと味わっていると、私達が座っている小上がりの横に近づいて来る人影が。


「浩太さん、こんにちは。偶然ですね」


おお、美人だ。


サラリとした真っ黒なストレートヘアー。まるでシャンプーのCMに出演できそうな輝く美しい髪をかき上げて、その女の人は柔らかく微笑んでいた。如何にも高級そうなワンピースに身を包み、華美では無い小ぶりのピアスとネックレスにブレスレットを付けているが、こちらもかなり質の良いものに見える。


「……ああ、安岡さん。こんにちは。お食事ですか?」

「ええ、従妹と一緒に。浩太さんにこの間ここの懐石が美味しかったと勧めていただいたので、一度食べてみたくて。本当にとても美味しいですね」

「それは良かった」


給仕の女性に対する態度と同じだ。

妙にスマートで感じの良い態度の梶原君は、何となく別人のように感じる。んー……熊野さんの真似っこ?みたいな?―――本性を知っている私にはしっくり来ないけど。


まあ、もしかしたらこっちが本性で、私に見せているのは悪い部分ばかりなのかもしれない。小学校の頃だってそうだったしね、結構クラスの女子にはモテていたはず。


彼の老後の心配をする必要、無いかもな。杞憂だったか。

ホッとして、そして二人が私を会話に引き込む気が無さそうだと判断し、私はカマスの一夜干しに箸を伸ばした。


「先約がおありになると伺って、本当に残念でしたわ。」


ん?


「本当は浩太さんをお誘いしたかったのですけれど―――失礼ですが、こちらの方は?」


伸ばし掛けた箸を引っ込めて、箸置きに置いた。

突然自分に火の粉が。こちらを見て微笑んでいる美女と目が合い、私が答えるべきなのか逡巡して梶原君に助けを求めるように視線を投げた。すると、フッと梶原君は笑って言ったのだ。


「ああ、このひとは長い付き合いでね。家族みたいなものなんですよ。ね、麗華?」


はぁ?!

何故なにゆえ名前呼び?!


「な……かじ……」

「と、言うかもうすぐ家族になる……予定の女性です」


な、何を言って……!


『家族になる』と言われて、私は絶句しつつも真っ赤になってしまった。

熊野さんとはまだ付き合い始めたばかりで、結婚とかそういう話は全然―――って、いうかそんな風に梶原君が言うって事はもしかして―――熊野さん、梶原君に結婚を匂わすような事を言っているのだろうか……きゃあああ!ま、まさかそんな……。


思い込みが激しい事で定評がある私は、一気にそこまで考えて噴火寸前だった。


「そ、それは、おめでたい事ですわね……」


何故か声を震わせて、美女がこちらをガン見してくる。


「有難うございます」


梶原君が大きく頷いて、顔を強張らせた美女と対照的にご機嫌な音階で返事をした。


「あ、あの……私、失礼いたします。お邪魔してしまい、申し訳ありませんでした」


優雅に頭を下げて、美女はそそくさと連れのいる席に戻って行った。

彼女の視線の届かない位置で、梶原君がニヤリと嗤った。


うわっ、本性出た!


「……知り合い?」


おそるおそる聞くと、おかしそうにククク……と笑いながら、梶原君はお猪口のお酒を飲み干した。


「ああ。この間出席した祝賀会で引き合わされた、仕事相手の娘。どっかで顔合わせた時に見染められちゃってさ、以前から縁談を持ち掛けられそうになって避けていたんだけど祝賀会で話してからしつこくてさ。今日も食事に行こうって誘われてたから先約があるって断ったんだ。個人的な話したく無かったから話題にこの店出したことは出したけど、勧めた訳じゃねーんだけどな」

「……『フリー』なんでしょ?付き合ってみるとかはダメなの?あんなに綺麗な人なのに。それに優しそうだよ」


そう言うと、梶原君が目をすがめて呆れたように言い放った。


「お前本当にお人好しだな。さっきあれだけ睨まれていてよくそんな事言えるよな」

「ええ?睨んでなんか……」

「今も向こうから睨んでるぞ……おい、振り向くなバカ」

「な、なんで?私関係無いでしょ?今日初対面だし」


すると梶原君がぷっと噴き出して、笑いだした。


「な、何?……何で笑ってるの?」

「さっきの俺の台詞、聞いて無かったのか?子供の頃から家族ぐるみで付き合いのある『許嫁』って―――受け取ってくれたと思うけど」


可笑しくてしょうがないといった様子で、笑いを噛み殺している梶原君を茫然と見つめた。


「え?え?何で?」

「『長い付き合いでもうすぐ家族になる女性』って、普通そうとしか取れないだろ?」

「え?だって、私、熊野さんの事かと……はっ」


そこで漸く気が付いた。

梶原君はわざとそう誤解させたのだ。誤解させてあの美女の関心を自分から私に向けさせた。


「どーして、そんな事するの!」

「スマン、スマン。仕事で揉めたくないからさ、やんわり断っても諦めないからどうしようかと思ってたんだ。お前みたいな庶民なら、あーいうお嬢様と接点無いだろ?それに別に嘘は言っていない……お前は豪太の彼女なんだし、小学校からの付き合いの同級生なんだから」

「ひどい……」


私にとっては人に注目され嫌われるなんて滅多にない事だ。例えこれから接点の無い人だとしても、良く思われていないという事実は堪える。


「まあまあ、悪かった。今日はお礼に何でも奢るから!なっ!」


そう言って梶原君は彼を睨みつける私の肩をポンっと叩き、メニューを拡げて差し出して来る。

私は溜息を吐いて―――メニューを受け取った。

どうせ覆水は盆に返らない。よしっ、思いっきり高そうなの選んでやるっ……!!


「……今フリーなんでしょ。ややこしい小細工しないで、綺麗な美女と付きあえばいいじゃない」

「家と家前提の付き合いなんだから、迂闊に手は出せないの。少しでも良い顔見せたら即、結納だぞ?二十五歳なんて微妙な年頃なんだから……ちょっと付き合ってやっぱ合わないわ、なんて言えないんだぞ。お気楽な庶民には分からねーかもしれないけど」


庶民庶民って五月蠅うるさいな。

でも御曹司も結構大変なんだなって事は分かった。

気軽に美女とお試しで付き合うって言うワケには行かないんだね。面倒だなぁ。




熊野さんは庶民で良かったなぁ。




そう思ったけど、口には出さなかった。

もしかしたら梶原君は熊野さんのような環境で育ちたかったかもしれないから。生まれる順番が違えば、もっと楽しく自由に生きられたかもしれないのに。

梶原君に恨みがあったとはいえ、私もそこまで鬼にはなれない。


握り寿司が配膳されて、嬉しそうにそれを頬張る梶原君を、同情を込めて見た。

すると梶原君がその視線に気づいて顔を上げ、二ィっと笑った。




「これでわかっただろ?俺がモテてモテて困っているって」




得意げなドヤ顔を見て、私のうっすい同情心がピュウっと風に吹かれて飛んで行った。




―――この人やっぱりモテないかもしれない。




そう、改めて確信した瞬間だった。



お読みいただき、有難うございました!

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