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レッスン48

帰宅方法を確認し合っている二人の、同じくらい大きな背中を見る。

そして私は、息をスゥっと吸い込んで言った。




「梶原君」




名前を呼ぶとすぐに、彼はクルリと振り向いた。


質の良さそうなコートのポケットに両手を突っ込んで立つその姿は、熊野さんほどガッチリとはしていないものの、スラリと均整がとれていて大変美しい。


恐ろしい筈のその精悍な顔も―――もう私を凍り付かせたりなんかしない。




「今日はごちそうさまでした」




私はキチンと頭を下げた。そして顔を上げると、居心地悪そうに眉を顰める梶原君と目があった。

チラリとその横に立つ、同じ形の瞳を見る。そちらは優しく、私を包み込むように見守っている。

私はそれに励まされて、スッと右手を前に出した。




「梶原君、仲直りしよう」




ちょっと声が震える。

これまで恐怖の象徴であった梶原君に対して緊張しているというのが、二割。

恥ずかしい事を言っているという自覚によるものが、八割。


意を決して言ったものの、自分の顔が羞恥で真っ赤になっているのが分かる。

空気はもう冷たいのに、私の体はじんわり熱を帯び始めた。


梶原君は私の手を見て、顔を見て―――それから逃げ場を探す様にキョロキョロと視線を彷徨わせてから―――口を開けて、閉じて、また開いた。




早くして欲しい。




恥ずかしすぎて、体が熱くて汗が滲んできてしまう。

今しがた出て来たばかりの懐石料理屋はJR駅と地下鉄駅に通じる道に面していて、この道は特に人通りが多い。往来の脇に立っているとはいえ、通り過ぎる人の中には私達をチラリと一瞥する人も結構な数でいるのだ。


目立たず地味に生きて来た私は、大勢の仲間と一緒に出る発表会や大学のステージ以外で注目を浴びるなんて経験、これまでずっと皆無だったのだ。この状況に放置されるのは―――非常に居心地が悪い事、この上ない。




梶原君がチラリと熊野さんを見る。




熊野さんは頷いた。

そして、梶原君の背をバンっと叩いた。


思わずその勢いで、梶原君がトッと前に一歩出る。


ガッチリと大きい手が、私の手を握った。

だけど握力が弱い。


私はぎゅっとその手を両手で握る。

そして、ブンブンブン……と上下に振って―――パッと解いた。




「じゃ、ごちそうさま。もう会う事も無いと思うけど、元気でね。熊野さんも有難うございました、では次のレッスンお待ちしてます」




思いっきり笑顔を作って、頭を下げる。


顔を上げると、梶原君はポカンと口を開けていた。熊野さんも何か言おうとしていたけれど、恥ずかしくてこれ以上ここにいるのは耐えられない。

自己満足だけ味わった私は、クルリと踵を返して小走りに走り出し―――グンッと腕を掴まれて、つんのめった。




「待て、姫野」

「ギャッ」




スゴイ声を出して転びそうになる。その腰をガシっと抱えられて、クルリと反転させられた。今度は心の中で悲鳴を上げる。

梶原君が私の体を抱き込むように、引き寄せていた。


「俺も会いたい」

「『俺も』……って、レッスンの事?」


梶原君はピアノ弾けるんじゃなかったっけ?

ってか、近い!

『怖い』のを突き抜けて、超!!!恥ずかしいんですけど……!


「おい、浩太。いつまでくっ付いているんだ」


熊野さんが、駆け寄って梶原君をベリっと引き剥がしてくれた。

ホッとして、つい体を熊野さんの側に寄せてしまう。

梶原君は熊野さんの影になろうとしている私を、何故かじっと睨んでいる。


「『仲直り』したんだろ?だから豪太ばかりじゃ無くて、俺とも会え」

「な、なんで……?」


言っている『意味』が理解わからない。


「『なんで』って―――じゃあ、お前は何で豪太と会ってるんだ」

「それはレッスンがあるから……」

「レッスン以外では会っていないのか」

「それは―――でも、梶原君と会う理由は無いでしょ?」

「―――!」


梶原君から殺気を感じた!

思わず一歩下がろうとして―――手を伸ばしてきた梶原君にまた腕を掴まれそうになって。


―――しかしそうはならなかった。熊野さんが梶原君の腕を掴んで止めてくれたから。


思わず安堵の吐息を漏らす。




「浩太。何度言わせる」

「じゃあ、俺と付き合えばいいだろ」

「え?」

「理由が必要なんだろ?俺と付き合えば会う理由も出来る」

「は?」

「……浩太……」




何故か背中しか見えない熊野さんが、怖い顔をしているような気がする。

低い低音が更に一オクターブ低くなった。




「姫野には分からないかもしれないけど―――俺、結構な優良物件なんだぜ?」




あり得ない事を提案されて、今度は私がポカンと口を開けてしまった。


だけど妙に冷静な部分もあって『確かに彼は優良物件だろうな』と頭の中で同感してしまった。

お金持ちの御曹司で、めちゃくちゃイケメンで、長身で体格も良い。カリスマ性があるっていうか、ちょっと茶目っ気があってモテそうな感じがする。それに―――性格もそれほど、悪く無い。もしかすると、結構いい奴なのかも―――しれない。


「な?そうしよう、それが一番良い。俺も今フリーだし……お前も相変わらずそんな地味なナリしてるんだから、彼氏なんかいないんだろ?」

「……」




酷い言いようである。

だけど、当たらずとも遠からじの指摘に、全く反論が出来ない。




「それともお前―――やっぱりこれ以上俺と顔を合わせられないほど―――俺が嫌いなのか?」




思いつめたような表情。


私は何と言って良いか分からずに、戸惑いながらその表情を見上げたのだった。



次回、最終話となります。

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