レッスン47
「言葉を知らないって言う訳じゃない。敢えて使わないだけだ」
ぷぃっと顔を背けたまま、ブツブツ言う梶原君。
私は何だか拍子抜けしてしまって「はぁ」としか答えられない。
そこへ次の料理がやって来た。メニュー表には『味噌田楽』って書いてあるけれど―――
「これは?何ですかね?」
「トマトだね」
「トマトの味噌田楽……不思議」
湯剥きした小さな細長いトマトに甘い味噌が乗っている。これも初めて見る料理だなぁ。
熊野さんがパクリと食べて「うん、美味しいよ」と言って私に勧めた。箸を伸ばし口に入れた。
あ、美味し……
「うん、旨い」
心の声を、梶原君が代弁した。
思わず私も大きく頷く。
そして引き続きモグモグとトマトを頬張りながら『彼は食べ物に関しては、素直なんだな』と、おいしそうに食べる様子を見ながら思う。
受けた傷が大きかった所為ではあるけれども、私は今まで梶原君の顔も名前も覚えて無かったくらいだ。
別に今更謝ってほしいなんて、考えていない。
だけど何だかムズムズするのは、梶原君が思ったより悪い奴じゃなさそうって感じるからだ。そして、二十五歳にもなると言うのに、何だかとっても不器用に見えるからだ。
―――というか、元々不器用なのかな?
だから自分が八つ当たりしているなんて気付かずに、私に酷い事を言ったり、したりしたのだろうか。そして私が去った後、彼が自分のした事をとっても後悔していたというエピソードを振り返ってみても、ますます変な処で不器用なんだって感じてしまうばかりだ。
運動だって、勉強だって、クラスの皆の気持ちを纏めるのだって、物凄く上手な人なのに。その所為で梶原君に同調したクラスメイトに無視されたり冷たくされたりと、私にとっては不利益ばかり与えられる結果になったけど。
兄弟の力関係が変わるのも頷ける。
梶原君と違って、熊野さんはきっと昔っから優しい公平な男の子だったに違いない。
罪悪感の所為で梶原君に少し遠慮し過ぎていたかもしれないけれど。少なくとも女の子を虐めるような屈折した人間じゃ無かっただろう。
小学生のうちは、我儘な暴君の方が同級生の尊敬を集め易かったのかもしれないけれど、長じて社会人になれば、視野の広い落ち着いた人間の方に軍配があがるものだ。
田楽を箸で口へ運ぶ、難しい顔をした迫力のある顔を改めてマジマジと見た。
顔の造作は、熊野さんと一緒。
でもやんちゃな面影が残っていて、生立ちの所為か元々の性質なのか、尊大な雰囲気が伺える。
―――だけど未だにちょっと不器用で。
子供の頃の失敗を未だに少し引きずっている。
その気持ちは私にもわかる。
だって私もずっと、子供の頃の痛い記憶を断ち切れずに引きずっていたから。
人付き合いをして行く上で、大人な対応も態度もサラリと使いこなせるようになったけれども―――ふとした隙に躓いた記憶が足を引っ張って、泣いてばかりだった子供の自分が蘇る。
仕事で失敗してしまった時なんて「やっぱり私はダメなんだ」って後向きに考える理由に、上手く行かず逃げるしかできなかった小学校時代をつい引き合いに出してしまう。
強気で乱暴な物言いで、要領の良さそうな態度の大きい男の人。
たぶん普通、周囲の人は彼の事を『ちょっと強引だけど、リーダーシップがあって頼れる人物』と受け取るだけだろう。熊野さんソックリの容貌は勿論男の人としても、大層魅力的だ。それに梶原君には、相対しただけでジリジリと威圧されるような、カリスマ性みたいなモノを感じてしまう。
私が特別怖がってしまうってだけで、一般的にそういう印象を周囲に与えるだろうって察しはつく。
けれどもそんな何でも自分のやりたいように振り回せそうな梶原君も、不器用になってしまう弱い部分があるんだ。
そう思うと―――ほら。
怖くない。
……というか、怖くないはず……。
そんなことを考えている間に。
田楽をペロリと平らげ、握り寿司五貫とデザートの葛餅を美味しくいただいてしまっていた。
支払いは梶原君が銀色のカードを出して済ませた。
財布を出して払おうと入口で粘ったけれども、大きな二つの壁に阻まれてしまう。
梶原君に奢られるのは不本意だ。
だけどこれまでの流れで何となくわかる。
謝罪の気持ちがあって、梶原君は私の分の食事代を払いたかったのだろう。
だから素直に受けようと思う。
ここ……高いんだろうなぁ……とか、銀色のカードって見た事無いけど、特別なものなのかなぁ……とか、色々疑問符はあるけれども。
私はこの無言の謝罪を受け入れる事にした。
だって『許す』って決めたから。
ガラリと扉を開けて外に出ると、空気が冷たくなるのを感じた。
もうすぐ、雪が降る。
幼い後悔も、腹立ちとか怒りとか―――色々なドロドロした気持ちも。
その雪が全て―――真っ白に塗りつぶしてくれるに違いない。




