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レッスン31



離婚は夫婦仲の不仲が原因なのでは無く、むしろ母を守るためのものでした。


父は結婚当初楽天的な考え方を持っていて、一緒に暮らしていくうちに祖母が母の良さを理解してくれ、ぎこちなくても徐々に打ち解けてくれると考えていたようです。

しかし強引な手を使った父への反発心から祖母は益々頑なになり、とうとう母が体を壊す結果となってしまったのです。


母は梶原家の嫡男である父の立場を考慮して、離婚後しかるべき相手と再婚しても構わないと伝えたそうです。

父は首を振りましたが、母は協議離婚の際、再婚し父が子供を新たに持つこととなった場合浩太がいつでも熊野家に籍を移せるという条件を付加する事を求めました。おそらくあの祖母が見繕った相手と父が再婚した場合、自分の息子である浩太が不遇な状況に追い込まれると危惧したからです。


父は祖母の勧める縁談を全て拒否し、結局現在まで再婚せず独身を通しています。週末によく家族で過ごしたので、苗字は違いますが意識としては単に別居しているだけの家族と会うような感覚でした。




しかし父に新しい再婚相手がいないという事は、浩太にとっては不幸な事だったのかもしれません。




父も母も忙しい人でしたが、熊野家の祖父母は子供を束縛する事の無い公平な人間でしたから、俺は自由に伸び伸びと過ごす事ができました。

一方、仕事で不在がちな父に代わって祖母の干渉を受け続けた浩太は、相当なストレスを感じていたようです。平日は全て習い事で埋まり家に帰れば厳しく躾けられ、力の弱い幼少時は父の目の届かない処で祖母に叱責を受ける度、物差しで人目に付き辛く効果的に相手を痛めつける事ができる柔らかい膝の裏や肘の内側を叩かれていたそうです。けれども浩太は母に心配を掛けまいと、そのことを殆ど漏らしませんでした。


今改めて思い返すと、幼い彼には大変な事だったと思います。優しい母の温もりと引き離され『あの女の息子だから』と祖母に責め苛まれる暮らしは、想像を絶する辛いものだったと思います。


浩太はその頃ひねくれたガキで、両親や大人の前では良い子を装うのに子供だけになると横暴に振る舞いました。特に同じ日に生まれ遺伝子も顔も何もかも一緒な筈なのに、温かい家庭で伸び伸びと暮らし能天気に暮らしている俺に、かなり無茶を言うようになりました。特に俺が持っている物、好きな物にひどい執着を見せるようになりました。


俺はその頃、浩太の事が大嫌いでした。


今思うと残酷ですよね。自分は幸せなのに、不幸な境遇を押し付けられた兄の歪みを見て嫌な感情しか持てませんでした―――もし先にこの世に生まれたのが俺だったら―――そうなっていたのは、自分だったかもしれないのに。


月に二回は最低、必ず四人で週末を過ごす事になっていたのですが、母を独占しようと俺を貶めたり、父母の前でニコニコしている癖に影で俺の大事なモノをワザと壊したりする浩太が、本当に嫌いでした。父親だけ会えればいい、浩太は遊びに来なければいいって何度も心の中で思っていました。

母は浩太のそういう部分に気付いていたようですが、俺に多目にみるよう注意しました。当時はまだ何故仲の良い夫婦が離婚に至ったのか、子供の俺達に詳しい事情は説明されていませんでした。浩太を甘やかす母に、俺は内心反発心を持っていました。口には出しませんでしたが。


この頃漸く母は、父がこの先別の相手と再婚する意志を持たないのだと、思い知ったようです。浩太と一緒に暮らせるようになる日は来ないと母は諦めたのでしょう。浩太の境遇にかなり責任を感じているようでした。だから、浩太の蛮行を知っても俺を諫めるくらいで、彼を表立って強く叱る事はありませんでした。







小学校も後半になると、祖母の母への非難に込められた意味、使用人の噂話、夫婦や祖父母のヒソヒソ話から、俺達も徐々に離婚の事情を把握するように成ってきました。二人で情報をすり合わせて行くと、どうやら祖母の凶行や横暴の所為で父母が離婚に至った事、家族が引き裂かれてしまった事、そして―――先に生まれたというだけで浩太が大きな富と権力を受け継ぐ代わりに自由と温もりを失ったのだという事情が、だんだんと明らかになって来たのです。




それから浩太は変わりました。




浩太は悪知恵を働かすようになりました。

その代わり単なる子供の癇癪や我儘、といった行動を見せる事はほとんどなくなりました。

裏表の使い分けもかなり激しくなり、身内や親しい相手以外には本心を見透かせない位に巧妙なものになりました。


そして平然と嘘を吐くようになりました。

祖母を上手くあしらったり躱したりする事を覚えたようで、習い事は相変わらずぎっしりだったものの、かなり自由に振る舞うようになりました。

浩太は運動神経も良く頭も切れました。そして何より、周囲の人間を惹き付けるカリスマ性を備えていたので―――そのころは学校でボス的な存在として収まっていたと思います。それについてはきっと姫野さんもご存知ですよね。


いわゆる『ちょっと乱暴だけれども気持ちの良いリーダー格の男の子』というキャラクターを周囲の人間に―――特に大人に対しては押し出していたと思います。


しかし裏では弱い人間や優しい人間を蔑んだり、BB弾で鳩や猫を撃ったりスズメの死骸を他人の庭に投げ込んだりと、かなり悪質な悪戯をしていたそうです。俺がそのことを知ったのは……もう少し後になります。

その時俺は違う小学校に通っていたので、浩太が何となく危うい部分を抱えている事を感じていても実際浩太がどんな行いをしていたかと言う事まで把握していませんでした。週末母がいる目の前でそのような面を浩太が表だって見せる事はありませんでしたから。




そして徐々に、俺達の力関係は少し微妙な物に変わって行ったのです。




俺がたった数十分後にこの世に生まれたというだけで、浩太が喉から手が出るほど欲しがっている様々なもの―――母親の温もりや、居心地の良い家、自由や心の安定など―――を難なく手に入れて、浩太は一生それを手に入れられないのだという事が明らかになったからです。

同情なのか罪悪感なのか……とにかくその時俺は浩太に頭が上がらない状態でした。

と言っても、殴られたりモノを壊されたりと言った―――あからさまな嫌がらせは受けなくなりました。


その代わり意味の分からない依頼を、浩太は俺に行うようになりました。

それはその当時の俺達の力関係から、俺の気が進むか進まないかに関わらず強制的に実行させられ、そうする事が当然のようになっていました。




その依頼のうち、最も大変だったのが―――『入れ替わり』です。




そうです。

一日俺と浩太が学校を入れ替わるんです。


俺が浩太の代わりに彼の小学校に通わされる事が、月に何度かありました。

浩太の通う小学校は姫野さんもご存知の通り、生徒数が少なく基本的に山の上に住んでいる経営者一族や医者など高額所得者の家庭の子女が一定数を占めており授業のレベルや家庭環境の違いに付いて行けず、入れ替わりを命令された日は、いつバレてしまうかとヒヤヒヤして生きた心地がしませんでした。山の下にある一般家庭から通っている子供もいる事はいるのですが転勤族が大多数でそう言う子はあまり発言力がなく大人しい子が多かったと思います。姫野さんも山の下に住んでいたんですよね?

つまり中流家庭が大多数を占める俺の通う小学校とそこは、雰囲気が全然違ったのです。入れ替わりを命じられた日は―――学校にいてもずっと落ち着かず、朝からとても憂鬱でした。




そんな時です。

―――俺が姫野さんに出会ったのは。



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