レッスン30
熊野さんが私を連れて来たのは、以前一緒に入った『堀越屋珈琲』。ビルの地下にある落ち着いた喫茶店だった。
つい先日の事を思い出す。
遥人君にホテルに連れ込まれそうになって熊野さんが必死になって探してくれ、私を助け出してくれた。嬉しくてホッとして――――熊野さんが横に居てくれると安心できたんだ。
オーダーしたのは、前回と全く同じ『フレンチブレンド』と『ココア』。
だけど、前回とは全く違うモノがそこにある。
熊野さんと私の間に横たわる、そこはかとない緊張感だ。
以前ここに座った時は、飲み物が来るまで喫茶店の雰囲気について話し合ったり、熊野さんが私を気遣って「眠くないですか」と声を掛けてくれたり、柔らかい空気が二人の間に流れていた。今は無言のまま……ジリジリとこの先の展開を待っている。
やがてオーダーした飲み物が給仕の若い男性によって運ばれてきた。
手を付けて良いものかどうか躊躇っていると、熊野さんが薄く微笑んで「どうぞ」と促してくれた。
二人で飲み物に手を付ける。
温かいココアの強い甘みが私の喉を滑り落ち、お腹に染み渡った。少し緊張感が解れるような気がした。本当にほんの少しだけど……。
熊野さんもコーヒーにブラックのまま口を付け、ほうっと熱い息を吐き出した。
そして、熊野さんは話し始める。
それは彼と彼の双子の兄の、子供の頃の少し変わった生立ちと関係性についての話だった。
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俺達は双子として生まれましたが、別々に暮らしていました。
小学校に上がる前に両親の離婚で俺は母方に、兄は父方に引き取られそれぞれ別の苗字を持つ人間として育ちました。
小学校も勿論、別です。
アイツは姫野さんと同じ、高級住宅街のど真ん中にある小学校。俺は其処から少し離れた普通の公立小学校に入学しました。
俺は熊野という苗字ですが、アイツは梶原という苗字です。
聞き覚え在りますか?何となく?――――そうですか。
俺の兄は『梶原浩太』と言います。
苗字は違いますが、『浩太』と『豪太』で名前はほぼ一緒なんです。もし一緒に暮らしていたら紛らわしいことになったと思います。
結婚が決まった当時、母は大学で講師をしていました。給料は少ないのに教授にこき使われる忙しい立場です。建築学科で構造力学を教えていました。祖父母は二人とも教師で、まあ一般的な共働きの公務員の家庭です。
父と母はアメリカの大学に留学中、アイスホッケーサークルで出会ったそうです。二人はすぐに意気投合し、愛し合うようになりました。日本を離れて開放的な場所でお互いの人間性だけで惹かれ合った二人でしたが、日本に帰国すると家庭のしがらみに振り回されるようになりました。
父は北海道では老舗にあたる旅館に端を欲した観光グループの御曹司で、やがて後を継ぎ経営者となるべく育ちましたが、北海道の観光地はやがて国内需要だけでは無く世界中の観光客を相手にするだろうと―――今でいえば当り前の事ですが、当時その風潮に懐疑的だった家族の反対を押し切ってアメリカには観光学と経済学を学ぶため留学したそうです。
帰国後、二人ともお互いの仕事に邁進する中時間を作って付き合いを続け、やがて母は俺達二人を身籠ったのです。そして父と母は結婚する事となったのですが―――頑なで偏屈な性質の祖母から強い干渉を受け、父の実家の常識や価値観に馴染めないまま―――体を壊してしまいました。
そして結局両親は話し合い―――離婚する事となりました。
もともと父方の祖母は父母の付き合いに反対していました。
自分の決めた相手と父を結婚させる事は彼女にとっては決定事項だったようです。相手はバリバリ男と肩を並べて働く母のような女性では無く、花嫁修業にいそしむ両家の子女だったそうです。
事あるごとに父に縁談を勧めていたと聞きます。父が母と交際している事を告げ彼女以外と結婚する気は無いと縁談を断り続けていると、今度は父に黙って勝手に母の前に現れお金を積んで「身を引きなさい」と迫り始めたり、かなり強引に事を押し進めようとした事もあるそうです。
母は父との別れも覚悟していたようですが、父は母に惚れ込んでいて手放す事ができず、母を説得し子供を作って強引に結婚まで漕ぎ付けたのです。
そんな経緯もあって結婚後の祖母の、母に対する感情は更に悪化し、嫌がらせはかなり手ひどいものだったようです。母は優しく我慢強い性格でしたが、研究職でずっと外で働いて来た人間です。女性が得意とするような家事や祭事などに疎く古い気質の家庭の窮屈なしきたりや、それを唯一絶対の聖典だと信望する祖母と全く噛み合わなかったようです。
それでも父と俺達双子の為に、祖母や家に自分を合わせようときつい仕打ちに耐え明るく振る舞っていたようですが、無理が祟ってとうとう体調が崩れるほど精神にも変調をきたしてしまったそうです。
結果父母は話し合った結果離婚という選択肢を選ぶ事になり、父方の家の嫡男として兄は梶原家に引き取られ、俺は母方の熊野家に引き取られる事になりました。




