レッスン24
麻利亜に有難い薫陶を受けて、私は月曜日をソワソワと待ち望んだ。
何処に誘うかという事がまず、最初の難題だった。
いつもタイムリーなイベントや素敵なお食事処に誘ってくれる見識の高い熊野さんを、一体どこに連れて行けばいいのだろう……?
男の人を誘うなんて初めての事なので、もう何処から手を付けて良いのか分からない。
一緒にランチを食べた翌日、麻利亜にメールで相談する。
『何処に誘ったら良いか分からないよ~!』
『泣き言早スギ。この雑誌とサイトをチェックすべし【ポロッコ】【じゃるん北海道】【札幌イベントカレンダー】』
クールだけど、律儀な友達である。
私は仕事帰り、本屋に立ち寄ることにした。
JR琴似駅に歩行者通路で連結されているメディカルビルがあり、一階に文光堂という本屋さんがあったはず。JRを使うと帰宅が遠回りになるが、仕方が無い。
雑誌置き場で麻利亜に勧められた雑誌をパラパラとめくる。
季節はもうすぐ秋。そろそろ旬の農産物が、市場にお目見えし始める時期だ。
『じゃるん北海道』の特集はっと……
【オータム・フェストで、喰い尽くす!】
こ、これだぁ~~!
道内各地のグルメが集まる、食の祭典。ふむふむ。
え!去年二百万人も集まったの……!!
ぜーんぜん、知らなかったぁ~~。
あ、道産ワインとチーズのコーナーがあるみたい。熊野さん、ワイナリーを回るのが趣味って言っていたなぁ……。
なるほど。よっし、あとは家に帰ってから落ち着いてスマホでいろいろ検索しよう。
は~あ、しっかし人を食事に誘おうとすると、いろいろ大変なんだなぁ。
何処に連れていくかとか、相手が喜ぶかとか考えると、どうしていいか悩んじゃうなあ……。
熊野さんも――――いつもこんな手間を掛けて誘ってくれていたのかな?
それとも、慣れているからここまで悩んだりしないでサッと決められるのかな。
そうだとしても、それはこれまでの積み重ねがあるからなんだよね。
私が男の人との付き合いを避けている間に、きっと周りの人達は一杯いろいろな経験して、努力を積み重ねていたんだろうなぁ……。
なーんてコト考えながら文光堂を出ようとしたら、会いたくない人を発見し私はピタリと歩みを止めてしまった。
背中をいやぁな汗がタラリと伝っていく。
駅の車寄せに止めた車の前に立っている、スラリとした綺麗な男の人。
遥人君だ。
こちらのビルはガラス張りで目隠しなんか無い。
だからあっちが目を向ければ、余裕で見つかってしまう。
どうしよう、本屋の奥に戻ったほうが良いのかな……。
私が「どうしよう、どうしよう」とグルグル考えていると、遥人君が待ち人を見つけたのか、手を上げた。美人だから、笑うと花が咲いたように見える。
わー見とれちゃう。
そんで、ぜんっぜん悪いコト考えてなさそーう!!
遥人君の本性を知っていても尚、見た感じが柔らかくて優し気で騙されてしまう。
あの夜の遥人君は別人で、あそこに立っている人が本物なんだって気がしてくる。
遥人君が迎えに来るって……もしかして伊吹さん?それとも違う彼女かなぁ……てか『彼女』つーか、不倫相手……。
どよーんとした気分で遥人君を眺めていると、遥人君の処にやってきたのは、ちょっとふくよかな感じの女の人だった。体の前に何かを抱いている……あ、赤ちゃんだぁ……。
「……」
あ、赤ちゃんって――――
――――お、お、奥さんだぁあ!!
「う、わ~~」
遥人君が女の人が抱えている赤ちゃんの顔を覗き込んで、愛し気にほっぺをつついたりしている。赤ちゃんが反応したのか、二人が目を合わせて笑いあった。
それは、とても幸せそうな若い家族で……。
車に再び乗り込む母子を優しくエスコートする遥人君は、絵にかいたような素敵なパパで。
何だか不思議なモノを見てしまった。
遥人君って、宇宙人みたい。
何考えているんだか、全然わかんないよ。
** ** **
家に帰って、雑誌をバサリとベッドに置いた。
ぼんやりと、遥人君とその奥さんの幸せそうな笑顔を思い出した。
だけどプルプルと頭を振って、その光景を追い出した。
もう私は遥人君と関わらない。彼のハーレムワールドの事は忘れる……!
もうあそこまで行くと異世界だわ。そんな世界にトリップはしたくないよ。
それよりも私には熊野さんの事のほうが大事……熊野さんの笑顔や、逞しい体が浮かんできて、またブンブンと首を振る。
うー、変なコト思い出さないっ!
自分を叱咤し、スマホを取り出して『オータム・フェスト』の検索を始めた。
** ** **
さてその週の金曜日。
レッスンの時間直前に、熊野さんからメールが入った。
『すいません、急に親戚の法事に出席する事になりました』
レッスンをキャンセルしたいとの事。
それから直前の連絡になって申し訳ないと、丁寧にお詫びの言葉を付けてくれていた。
これから熊野さんをお誘いする……!
と気合を入れていたため、肩に力が入っていたらしい。
メールを見た途端、へにゃりと力が抜けた。
少しホッとする。
麻利亜に背中を叩かれる形で踏み出そうとしたけれども、まだ覚悟が固まっていなかったかも。あと一週間の猶予があれば、何とか気持ちを整える事ができるかもしれない。
それにしても。
今日の遥人君を思い出す。
遥人君と比べると、より熊野さんの誠実さや素晴らしさが際立っちゃう。
熊野さんは素敵な人だ。
きっと、モテるんだろうなぁ……。
遥人君と付き合っているっていう伊吹さんだけど、何となく熊野さんの事を好きなんじゃないかなって思う。遥人君は綺麗だし優しいけど――――不誠実だ。
やっぱり女としては、自分の事だけ大事にしてくれる人を求めるもんじゃないかな……?
今私は熊野さんの事が気になってる。
付き合って貰えるなんて、おこがましいコトは考えていないけど―――傍に居て安心できるし、楽しい。たぶん――――私は……熊野さんの事が好きだ。
そう自覚してみると、やはり伊吹さんの声音や、態度は……ちらと盗み見ただけだけど、熊野さんを密かに好ましく思っている人のものに感じるんだ。
同じ人を好きな人間のカン……というか。
とりあえず……来週だなっ!
一週間あれば、私の覚悟も決まるだろう。
そうと決まればまた麻利亜に教えを請わなければ……!
交際サイクルの短い麻利亜の『ご教授』に不安が無いわけではない。けれども、私の男女交際の情報窓口は、今のところ彼女だけなんだ。出来る事は何でもやってみよう。
だって、初めての恋だから。
あ、『遥人君』の件はもう、私の記憶から抹消されましたので―――悪しからず!




