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レッスン22



「四小節まで、余裕で行けますね……!」

「いや~やっとです。難しいですね……」


熊野さんが眉を顰めて楽譜を睨んでいる。相変わらず安定の怖い顔だ。

しかしもう、狭い防音室に二人切りでも全く怖くは無い。むしろ安心感さえ抱いてしまう。


「あとは練習あるのみなんですが――――二小節目と三小節目の間で、熊野さんちょっと考えて止まってしまいますよね」

「う……そうですね。どうしても、そこまで一旦区切りっぽく感じてしまって」


私は頷いた。うん、うん。ですよねー。わかる。




「た~ら~ら~ら~、た~り~ら~♪た~ら~ら~ら~、た~り~ら~♪」




ビクッとして熊野さんがこっちを凝視した。

目がまん丸だ。


「あ、スイマセン、いきなり。……この『ふぁ~そ~れ~』のところで、次の『み』をもう頭の中に準備して欲しいんです」


私が突然歌い出したので、吃驚したみたいだ。


「いえ、あの――――お上手ですね」

「そうですか?有難うございます。ピアノの学校では声楽の基礎もやるので発声も勉強するんですよ」

「じゃあ姫野さんの美声は、訓練の賜物なんですね」


び、『美声』……照れますな。

私は頬を染めながら、しかし有難く賛辞を受け取って目を伏せた。


「もともと歌うの好きなんですけどね。熊野さんも――――すっごく素敵な声質だから、歌ったら響きそう。なかなか無いバリトンですよね」

「バリトン?」

「とっても低い声って言う事です」

「はあ……」


熊野さんは複雑な顔をした。


「歌は苦手ですか?」

「必ずハズします」


苦々しい表情でソッポを向く熊野さん。


「『必ず』ですか」

「『必ず』です」


私が繰り返すとクルッと振り向いて真面目な顔でまた繰り返した。よっぽど苦手なんだなぁ~。思わずプッっ噴出すと、熊野さんは照れたようにはにかんだ。


「やめましょう、歌の話は。あ、もう時間ですね」

「ホントだ」


時計を見て驚く。

もう、三十分経ったんだ!時間が経つのって早いな~。


「そうだ、今週やる『だい・どん・でん』って、知ってますか?」

「何ですか?それ」

「大道芸を街のあちこちでやる、イベントです。車道を歩行者天国にして、オーディションに受かった大道芸人が時間ごとに芸を披露するんです。結構感動しますよ」


熊野さんって、イベントにほんっとに詳しいな~。


「姫野さん、一緒に行きませんか?」

「え?」

「ご都合宜しければ」


え、えーと。

このお誘いの頻度って……多くないだろうか。

……いや、都合は良い。

遊びに行く予定なんて、ないのだけれども……。


それにお誘いはとっても嬉しいのだけれども……。


「かなり面白いですよ……!ジャグリングとか目の前で見ると、感動します。周りから歓声が上がって盛り上がりますし」

「わぁ、面白そう……!」


想像して、ウズウズして来た。


「土曜日なんですが―――ご都合はどうですか?」

「特に予定は無いですけど……」

「じゃ、決まりですね。またいつもの処で待ち合わせしましょう。十時でも大丈夫ですか?」

「え、ええ……あの」

「はい?」




うっ……笑顔が眩しいっ……!




「これって、接待の下見ですか……?」

「違いますよ」




じゃあ、どういう……


と聞きかけて、呑みこんだ。




ああ、また……。

いつの間にか約束しちゃってる~~!!







** ** **







またしても見目麗しい長身の男性と、地下鉄駅改札前の『ヒロシ』くん前で待ち合わせ。

三度目ともなるとモーゼのように人垣を割りその視線を集めながらこちらへ向かってくる美丈夫の姿も、余裕を持って見られるようになってきた。


容姿や体格が優れているっていうのは、本人にとってはけっこう大変なコトかもしれない。こんな風に注目されたら私だったらその視線を一々気にしてキョロキョロしてしまうだろう。そして疲れ切ってしまう。


私には無理だなぁ。

地味な見た目で良かった。人に注目されないで好きなように暮らせるっていうのは有難いコトなんだなぁ。


「またお待たせしてスイマセン」

「大丈夫です。さっき来たばかりですから」


と、お決まりの遣り取りをして、地上へ向かった。




私って結構図太いのかもしれない。

何だか、キラキラ眩しい野生の獣のような熊野さんに慣れて来た気がする。

相変わらず笑顔を見ればドキリと心臓が跳ねるけれども、隣にある大きな壁のような存在にそこはかとない安心感を抱いてしまう。


怖い物をから全て守ってくれる、物語の騎士みたいだな……と、ポンッと浮かんでしまい、ブンブンと腕を振ってその考えを取り消す。

すぐ、物語とか絵本の素敵な登場人物に例えるのは、キケン……!

遥人君を王子様と思っていた過去を思い出してその考えを打ち消した。


安心感を抱いてしまうのは――――毎週ほとんど顔を合わせ触れ合えるくらい隣で過ごしているからかな?

一緒に食事に行くのも何度目だろう。

それに遥人君にホテルに連れ込まれそうになった処を助けて貰ったり、ベロベロに酔った処を介抱して貰ったり……うーん、これで「怖い」とか「緊張する」とか言ってたら、それこそ私って「恩知らず」かもしれないね……。







大通から南側の道路の一部は、熊野さんが言っていたとおり歩行者天国になっていた。


思ったより沢山のギャラリーがいる。

人垣に近づくと、小さい女の子たちが大勢、綺麗な衣装を着て一輪車に乗っていた。


「一輪車……!」

「上手ですね」


手を繋いでクルクル回ったり、スイッチして逆回り……誇らしげに笑っている顔、自信を持てなくて少し強張っている笑顔……それらを見ていると、小さい頃毎年ステージに上がった発表会を思い出した。


小さい子供達の可愛らしい演技が終わると、中高生くらいの年齢のチームに演目をバトンタッチ。

先ほどの初々しい演技から一転。物凄い速さでクルクルスピンしたり、一輪車の上に立ち上がって驚異のバランスを保ったりと―――難易度の高い技を目まぐるしく繰り出してくる。

二人一組になって手を繋ぎ、後ろ向きに運転している女の子がフィギアスケートのスパイラルのように片足で一輪車の上に立ち、それからもう片方の足を高く掲げた。そのままアピールするように、くるーりと歩行者天国に集うギャラリーの前を一回りする。


「おぉ……うわぁあ……ぎゃっ、すごっ……ひぃい!!」


私はその驚異的なバランスと一輪車の危うさにハラハラさせられ、いつしか呻き声を上げながら食い入るように演技にのめり込んでいた。

女の子達の演技が終わって、ほーーーっと詰めていた息を吐き出すと、肩にカチカチに力が入っているのが分かった。


「面白かったですか?」


不意に頭の上から低い声が掛かり、ビクッと体が跳ねた。

振り返ると熊野さんがニコニコと私を見下ろしていた。

おおぅ……夢中になり過ぎて、熊野さんの存在を忘れていたわ……。

私はブンブンっと首を縦に振った。激しく肯定しておくことにする。


「思わず夢中になってしまいましたっ!」

「それは、良かった。……あ、次始まりますよ」


そういって、熊野さんが私の耳元に屈みこみ、頬のすぐ横でパフォーマンス会場と化した歩行者天国を指さした。熱が伝わりそうな距離に、ドキリとする。




うーん、近い。




そういえば、遥人君も近かったなぁ……よこしまな企みがあったからかとも思ったけど、実は営業の男の人って元々距離感が近いものなのだろうか。簡単にパーソナルスペースに分け入ってくるので、経験値の少ない私の心臓は持ちそうもありません。


「近いから離れて欲しい」と言うのも憚られて、ドキドキしながら私は新しいパフォーマーに目をやった。十年間全国大会で優勝しているという少年が一人、クルクルと回り優雅な手つきで舞い、一輪車の上に立ってバランスを取る。歓声がポーズを決めるたびに上がって、クライマックスで一輪車ごとジャンプした時は思わず「すごいっ」と飛び跳ねて、熊野さんの腕をバシバシ叩いてしまった。

優しい熊野さんが、私の狼藉を非難せずニコニコ笑っているのに気が付き、思わず真っ赤になって体を離した。


しまった。距離が近いのは私の方だ……っ!

と慌てて目を白黒していると、熊野さんがまた笑い転げていいた。




熊野さん……やっぱり笑い上戸なんだぁ……。




それから、場所を移動してこの間小樽の地ビールを呑んだ二条市場の前の広場にやってきた。また屋台がいろいろ出ていて、ステージではパフォーマーの人が会場を温めるように軽口を聞きながら、超絶技巧のジャグリングを見せつけていた。

ビールを一杯だけ……!と決心して買い、ポテトやビックサイズの白老牛の牛串焼きなどを買い求め、ステージを見ながら乾杯した。




天気が良くて、ビールは美味しい。

牛串は、肉厚でジューシーだ。




大きい体のキラキラした笑顔の熊野さんが、いちいち良く分からないツボに嵌って笑い転げるのを見ながら、楽しい時間を過ごしたのだった。




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