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レッスン19


「望月とはピアノ教室で一緒だったんですよね」

「はい。小学校の頃、習っている先生が一緒で時間帯が近かったんです。週に一回、ちょっと話をするくらいでそんなに親しい訳では無かったんですけど。だから向こうが覚えていてくれて、すごく嬉しかったんです。この間熊野さんがお休みされた時、駅ビルのパン屋さんで再会したんですよ。その時連絡先を交換して今度食事でもって言ってくれたんですが、社交辞令だしもう会う事も無いって思っていたのに……。まさか熊野さんの同僚で、今日また会うなんて思ってもいませんでした」


話を聞きながら、熊野さんは少し苦々しい表情になった。

私も同じ表情になってしまったかもしれない。


「まさか、あそこに『泊まろう』って言われると思っても見ませんでした。だって、昔の遥人君は見た目は女の子みたいだったし優しくて人の嫌がるコトなんて絶対しそうにも無い子供だったんですよ。スマホの電源まで切るなんて……」

「やっぱり、そうだったんですか……危なかったですね」


さっきの危うい状況を思い出して、身震いしてしまった。

そんな私を気づかわし気な視線で見ていた熊野さんは、思い出したように口を開いた。


「高橋がもしかしたらって言っていたんですけど……姫野さん、小松に何かされませんでしたか……?帰ると言い出した時、隣に小松が座っていたんですか?アイツ非常識なところがあるから……」


……ああ、そんな事もあったな。


あんなに怖くて口に出して良いのかどうか迷っていた小松さんのセクハラ(と言ってもいいよね)も、今の今まで遥人君の『泊まろう』ショックで頭の中から吹き飛んでしまっていた。


「う……そうなんです。ちょっと密着されてしまって……私パニックになっちゃったんです。それに地下鉄の最終がギリギリだと思っていたので、飛び出してきちゃいました。皆さん、怒ってませんでしたか……?」

「全然怒ってませんよ!むしろ、不審に思った高橋が小松を問い詰めてました。俺が高橋に事情を聞いている内に、居酒屋を逃げ出してしまって詳しく状況を確認できなかったんです。」


私は胸を撫で下ろした。どうやら熊野さんが私の所為で責められるという状況には陥っていなかったようだ。


「俺が席を外した所為で……すいません。身内から電話が掛かって来て中々切り上げてくれなかったので、戻るのに時間が掛かってしまいました」

「私、あのあと熊野さんにご迷惑かけてしまったかと思って心配になったんです。我に返って連絡しようと思ったら、遥人君が忘れ物を持ってきてくれて……」


熊野さんの表情はそれまで比較的静かなものだったけれども、遥人君の名前が出ると厳しいものに変化した。


「あの、熊野さん?」

「はい」

「遥人君って――――今の……大人になった遥人君って、どういう人なんですか?」


私の質問に、熊野さんの眉間の皺がますます深くなった。




「望月は――――」

「はい」

「……」




言いづらそうに、言葉を切る熊野さん。

眉間に皺が寄っています。言いだそうかどうか、迷っているようだ。

凶悪さが増した。

だけど考え込んでいるだけだって、もう私はわかっているから恐怖心は無い。




「望月は――――既婚者です」

「……」




きこんしゃ……キコン者……き、き、き……




「――――き、既婚者?!――――は、遥人君、奥さんがいるんですか?」




それなのに私をホテルに誘ったの?!

動転する私を気まずそうに一瞥し、熊野さんはツイ、と目を逸らした。


「それに、今五ヶ月の娘がいます」

「――――ご、五ヶ月って、赤ちゃん……が?……」


熊野さんはパニックになる私に、目を戻した。そして更に、彼の眉間の皺が深くなる。

なに……?まだ何かあるの……?

スっとまた、視線を外される。


「熊野さん、まだ何かあるんですね」

「う、まあ……その」

「言ってください。もう大抵の事聞いても驚きませんから」


ショックで私の常識の枠が粉々に砕けてしまった。

もう、何を言われても驚きません。


「それに、さっき遥人君に強引にホテルに連れ込まれそうになったり、スマホの電源切られたりしたんだって――――今更ながらに認識したので……もう昔の遥人君に対する信頼も砕け散りました」




小学生の私の、ほのかな恋心もね。




幼い頃の私よ――――もうあの頃好意を寄せていた素敵な王子様はいないのよ。今はなんていうの?既婚者王子?子持ち王子?――――アハハハ……もーどんな幻滅情報聞いても、驚きません!


「熊野さん、遠慮なく言ってください……!」


熊野さんは私の決意を込めた宣言を聞いて、ふぅっと息を吐くと……きちんと私に向き直った。しかめっ面は消えて、意志を込めた静かな表情に変わる。その顔の真剣さに、思わずゴクリと唾を呑みこんだ。


「そうですよね。言わば姫野さんは、未遂とはいえ望月の被害者です。今後のためにも貴女は聞いて置いた方が良い。本当は――――望月と昔なじみで良い印象しかないようだったので、姫野さんの気持ちを乱すのもどうかと思って、言及を避けていたんですが……俺もまさか姫野さんのように真面目な人に、望月がいつものような態度をとると思っていなかったので、黙っていようと思っていたのですが」


熊野さんの前置きが怖すぎる。

な、なんか、あまり聞きたく無くなって来たな……。


今遥人君に対する私の印象は底辺だ。

これ以上下がるコトは無いだろうと思っているのに、覗いたら底辺の下に更に井戸が掘られていたり……なんてコトがあり得るのだろうか……。後悔しそう……。


「望月は女性関係に節操が無いんです。結婚前もかなり適当に遊んでいて、今回の結婚相手もその一人の派遣職員でした。子供ができたので、仕方なく結婚したようです。俺も何度かその……望月が女の子をお持ち帰りする状況をみかける事があって……結婚後も全然所業が治らないので、今のところ上手く隠しているようですが……そのうち職場でトラブルが起きるのでは無いかと心配で。止めるように本人に、何度か訴えているんですが」


「……うわぁ……」


あ……おっきーな穴空いてた。


これ以上印象は底を打つことは無いと思っていたのに、更に遥人君はドリルかなんかで底を抉っていた。


何かの冗談かと思った。『幻滅した』と言っても何処か私は遥人君の事、信じたかったのかもしれない。女性に手は早いけど、優しさは変わらないんじゃないかって。だって、飲み会で横に座っていた高橋さんも遥人君の事信頼している様子で褒めていたし……。


ピアノ教室の休憩時間、私達が会話を交わしたのはそのほんの短い間だけだった。それでも人柄は何となくわかる。




……わかると思い込んでいたけど……




本当の遥人君は――――もしかしてあの頃既に、私のイメージしている遥人君と全然違う人だったのだろうか……?

そんな遥人君の中身を見抜けず「素敵な王子様みたい!」と浮かれて憧れていた私は……本当のほんとーに、見る目の無い人間という事になる。


「……えっと、そのー……遥人君は営業でしたっけ?仕事のストレスでそんな風になっちゃったんですか?もしかして」


それならまだ同情の余地があるような気がする。

縋るような私の目線に、熊野さんはゆっくりと首を振った。


「俺、中学と大学が望月と一緒なんです。特に親しくは無かったんですが」


そうだろう。タイプも全然違うし、誠実そうな熊野さんが今の遥人君と気が合うとは思えない。




「でも、昔からアイツ、ああでした」




えーん、ショック!!

遥人君、私の夢をこれ以上壊さないで~~!



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