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レッスン14



優しい女の人と顔見知りの遥人君が隣だったお陰で、何とか私も落ち着いて場に馴染む事ができた。本当に隣が知らない男の人じゃなくて良かった……。


左隣の熊野さんは、お隣の女の人の話を頷きながら聞いていた。

女の人は如何にもできる女の人!って感じでエネルギッシュな雰囲気だった。


「いぶきは、極端なんだよ」


窘めるような口調で女の人に笑いかける熊野さん。


あれ?


なんかモヤっとする。


『いぶき』かぁ……同期の女の人のコト、名前で呼ぶんだ。私のコトは『姫野先生』って他人行儀に呼ぶのになあ、しかも敬語だし。


「で、パン屋さんで偶然再会したんだよね……ね?麗華ちゃん」

「……」

「麗華ちゃん?」

「ん?あ、ハイ!そーです、そうなんです」


熊野さんが気になって上の空になっていた私に、遥人君は呼び掛けてくれていた。慌てて返事をしたので、思わず敬語になる。


「ぷっ何で敬語……?」

「ゴメンなさい……」

「そういえば、姫野さんってお仕事は何をしているの?」


隣の小柄な女の人、高橋さんが場を取り成すように話題を変えた。


「えっと、ピアノを教えてます」

「……ピアノの先生?わ、似合ってる!」


驚き半分、笑顔半分で高橋さんが合いの手を入れてくれる。遥人君は目を丸くしてマジマジと私の顔を見ていた。


「へえー……驚いた。麗華ちゃんは子供の頃の夢を叶えたんだね」

「え?」

「言ってたよ、昔。『ピアノの先生になりたい』って」

「そ、そう?……全然覚えていないなあ。子供の頃そこまで深く考えて無かった気がするけど」


そんな恥ずかしいコトをしていたのか、小学生の私よ。

夢を語るなんて。

きっと優しい遥人君は微笑んで私の話を受け止めてくれたのだろうな、と想像する。


「素敵だなあ、子供の頃の夢を実現して仕事にしちゃうなんて」


高橋さんが腕を組んで、うんうん、と頷いている。

この人って、ちっちゃくて可愛いのになんか……面白いな。サッパリしているし仕草がその~……何だろう?

そうだ『江戸っ子』っぽい。キップが良いっていうか―――言動から地元民だって分かる『道産子』に違いないんだろうけど。

サッパリしているのは、男の人が多い職場の人だからかなぁ……?


その途端考えが及んで、ふと意識してしまう。この場にいる女性は私を除いて三人だけ。残りは全員男性だった。


……うん。……コワくない……ヨ?

だって、近くにいるのは高橋さんと遥人君、それから熊野さんだし、熊野さんの隣は『いぶき』さんっいう女の人だし。


と、自己暗示を掛けて恐怖心が忍び寄ってこないよう、内心知らんぷりを決め込んだ。この空間に男性の方が数が多いって気付いてしまった。しかしそれを意識して挙動不審な様子をしては、きっと熊野さんに迷惑が掛かってしまう。だって、皆仲の良い職場の同期なんだよね?


怖くない、怖くない……。


よし、思い込みOK!

思い込み激しいの、初めて役に立った……!


高橋さんと遥人君と他愛無い話をしながら、テーブルの下で拳を作って密かにガッツポーズする。

頑張れ、頑張っているぞ、私。スゴイ進歩だ。

男性がこんなにひしめいている狭い空間で座っていられるんだから。


真実はというと、知り合い(熊野さんと遥人君)と女の人(高橋さんと『いぶき』さん)に二重に囲まれて、他の男性を見ないようにして意識の外へ追い出して平静を保っていただけなのだが、自分を励ますようにそう心の中で唱えていた。


それまでは結構上手く乗り切っていた。

相変わらず親し気に話し込む熊野さんと『いぶき』さんを左半身で気にしつつも、何とか。


風向きが変わったのは、熊野さんがトイレに立った時。

なんとその空いた穴に違う男の人が腰かけたのだ。




ひえっ!




熊野さんのような体格の良い大きい人でもなく、遥人君のようなしなやかな細マッチョでもない。ちょっとぷっくりして眼鏡を掛けた男の人。でもタバコの匂いがして、思わず私は眉を顰めた。


苦手なんだよね~~タバコの匂い……!!


その人が『いぶき』さんに話し掛けようとした時、こちらを向いて熊野さんと話していた『いぶき』さんは、そっぽを向いて違う人と話し始めた。


あれ?もしかしてこの二人仲悪いのかな?

すると彼はクルリとこちらへ向き直った。


ぎゃぁあっ!!


内心恐怖のあまりピッキーンと、固まってしまう。


「俺も麗華ちゃんって呼んじゃお~。ほら、コップ持って!じゃあ、麗華ちゃんと俺の出会いにかんぱ~い」

「あ、は、はぁ……」


彼はビールのジョッキを持って、私が恐る恐る上げたジョッキにガツンと当てた。


「小松っ、熊野がいない隙に、姫野さんの横に座るのマズいんじゃない?」


高橋さんが、少し非難するように冗談っぽい言い方で牽制してくれた。

私が緊張で固まっているのを、目ざとく察してくれたのだろう。

目頭が熱くなった。


優しい……高橋さん……惚れそうだ……。


「いーじゃん、俺だって優しい女の子としゃべりたい」

「たまにしゃべってやってるじゃん」

「『ごく』たまにだろ~。それに高橋は女じゃねえ」

「小松、ケンカ売ってんの?ねえ、姫野さんヒドいよね?」


私は必死の形相でコクリコクリと頷いた。

高橋さんは私を挟んで、小松さんと会話してくれた。乱暴な口調を装っているけれどもそれほど棘は感じないので、台詞の割に小松さんは気を悪くしていない様子だ。

彼女はさりげなく私に相槌を打たせて会話に巻き込んでくれている。しかも私は小松さんと口をきかなくて良い状態を保っている。ありがたすぎる……。




高橋さんの格好良さに感動していると、鞄の中でスマホが震えた。ちらりと確認すると、母親からラインが入っていた。


『もう寝るから~、また飲み過ぎないでね!』


あれ?

あ、もうすぐ十一時三十分。

そういえば終電って十一時五十分くらいじゃ無かったっけ……?


久しぶりに遅い時間まで街に出ているので、終電の時間を正確に把握していなかった。何となく、熊野さんが知っているからイイやって思っていた節がある。


でも皆まだまだ飲み続けるような雰囲気だ。

きっと熊野さんも終電あとまで残って付き合うのだろう。


どうしよう……終電までには帰らないと。

熊野さんはトイレに立ったまま戻ってこない。ひょっとしてトイレでは無いのかな?電話しているとか……?最悪高橋さんに言伝して、先に帰らせてもらおうか……。


私がスマホをチェックした後思案していると、隣の小松さんが高橋さんと話しながら何故か体を寄せて来た。

思わず体がビクリと固くなる。


き、気のせいだよね……飲んでたまたま体がかしいじゃったとか。


「ところで麗華ちゃんってさ、熊野の彼女?」

「え、いえ……違いますけど……」


ピアノの先生です。


「ちょっと、小松!熊野がいない時に立ち入った事、聞いちゃダメでしょ」


高橋さんがまた、小松さんを牽制してくれる。

うう……ありがとうございます……。


私が潤んだ瞳で高橋さんを称賛していると、小松さんは満面の笑みで「そっかぁ、良かったぁ」と、しきりに呟いている。


何が『良かった』なの?

なんか失礼じゃないだろうか、この人。


少しイラッとしてしまったその時、小松さんの右脚がぐいっとテーブルの下で私の脚に押し付けられた。


……え?……


一瞬体から血の気が引いた。


やだ……気持悪い。


でも酔っぱらって、気付いてないのかな……もしかして。


私は身じろぎしてお尻を高橋さんの方に移動した。

これで体は触れないハズ。


「じゃあ、高橋さ~。何の話すれば失礼じゃないって言うの?」


ぴた。


ぎゃあ!


小松さんは高橋さんに話し掛けながら、またしても私の脚にすり寄って来た。


これはもしかして、ワザとなのでは……


恐怖で背筋せすじが凍った。

もう一刻の我慢もならない。




「あ、あ、あ……あのっ!」




高橋さんと小松さんの目線が私に向いた。右隣の人と話していた遥人君も振り向いた。


「わ、わたし帰らなきゃっ……その、終電が……すいませんっ、熊野さんに、よろしくお伝えくださいっ!!」


私は素早く財布から抜き出した三千円をテーブルに置いて、立ち上がった。


「足りなかったら、連絡ください!高橋さん!」


高橋さんとは連絡先を交換済みだった。

遥人君も熊野さんも私の連絡先を知っているから、後で不足分を確認できるはずだ。


私は一刻も早くこの場から逃げ出す事しか考えていなかった。


「ではっ」

「あっ、姫野さん……」

「麗華ちゃん」


高橋さんが手を伸ばして何かを言おうとしていたけれども、私は鞄を引っ掴み、踵を返して走って逃げた。

遥人君も驚いたように、私の名を呼んでいた。


けれども本能に、私は抗えなかった。

ずっと気持ちに蓋をして、恐怖心を抑えつけていた。それが小松さんの振る舞いで一気に爆発したのだった。


暖簾を潜った後、まるで怪物か何かに追われているかのように走って、駅に向かうため狸小路に飛び込んだのだった。



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