レッスン11
「『サッポロたぱす』って知っていますか?」
「何ですか?それ」
「八月末から九月まで、チケットを購入すると登録店を梯子酒で回れるんです。チケット一枚がおつまみと飲み物一杯と交換できる」
「へえ、初めて知りました」
「夜だけじゃなくて、ランチと交換もできるんですよ」
本当に熊野さんは色々と詳しい。
同じ街に住んでいるとは思えないくらい、こういう情報をよく心得ている。
今日も『ヒロシ君』前で待ち合わせ。今回は熊野さんより早く待ち合わせ場所に着くコトができたから、気持ちに少し余裕があった。
しかし改札の向こうから現れた目立つ長身の精悍な男性を見つけた時、私はもしかして現実とは違う世界に紛れ込んでしまったのではないだろうかと、自分の認識を疑ってしまった。
明らかに周囲から浮いている。彼とすれ違った女性はほとんど男性も結構な割合で振り向き、二度見している。それほど特別な格好をしていない筈なのに、ファッション雑誌から抜け出たような容貌は明らかに日常生活から乖離していた。
こんな人と一緒に街を歩いて良いのだろうか。
小学校から見た目の変わらない、地味な私が。
「お待たせしてすいません」
「いいえ!全然。今日も待ち合わせ時間より十分も早いですし」
夢を見ているような気持ちで見上げると、熊野さんは優しく微笑んでくれた。
本当にこの人を怖がっていた自分が、今では不思議でしょうがない。
怖すぎて、熊野さんがこんなに格好良いという事も認識できなかったなんて。
薄々感じていたけど、私ってかなり思い込みが激しいタイプなんだな。
きっと自己暗示を掛けてしまうくらいに。
「今日は、あちこち梯子して楽しみましょう」
熊野さんはチケットを取り出して、白い歯を出してニカっと笑った。
つい眩しくて私は「うっ」と呻いて手で庇を作ってしまった。奇妙な仕草に熊野さんが庇の下を覗き込んできた。
うう……恥ずかしい。
これは正視が厳しいです。
そこで、あることを思い出した。
「あ!そういえば」
大事なコトを忘れていたっ!
「チケット代、私が持ちます!いつもご馳走になってばかりだから」
するとすかさず熊野さんが首を振り、勢い込む私を手で制した。
「今までは、仕事の下調べの序でですから俺が支払うのは当然です。今日は俺が無理言って来ていただいたんだから、奢らせてください」
「はぁ……で、でも……せめて私の分だけでも払わせてください」
じゃないと、大変いたたまれない。酔っぱらって迷惑を掛けたビア・ガーデンも、結局私は一円も払っていない。それこそサピカで電車代払っただけだ。
下手したら……ああっ!レッスン料以上にご馳走になってしまっている!!
蒼くなった私の顔を見て、熊野さんは腕を抱え片手を顎にやり考え込む仕草をしている。
「あの……本当に……」
「わかりました」
「わかっていただけましたか」
ああ、良かった……。
私はホッとして背の高い熊野さんを見上げて笑顔になった。
熊野さんも素敵な笑顔を返してくれる。
「今回のチケットは知り合いに割引きして貰ったので、俺が持ちます。その代わり、次に出掛ける時は姫野先生が奢って下さい」
「あ、そうなんですか……わ、わかりました。じゃあ、次、絶対奢らせてくださいね!絶対ですよ!!」
「はい!!お願いします」
抜群にキラキラしたスマイルに呑み込まれそうになる。
良かった、良かった。
次奢れば、お返しできるもんね。
……次?
んん……?あれ?
気付いたら、次の食事の約束をしていた。
それから結局今日は奢って貰う事になってしまった。
……あれれ?




