No. 8
天狗改め花咲か天狗は、口上を述べながら幹の上を右へ左へと、それはもう器用に動きながら最後には歌舞伎のように首を回してキメてきた。よく見ると彼は仮面を被っているようで口元しかうかがえないが、きっとドヤ顔しているに違いない。
……まぁ、正直に感想を述べるなら、驚いた。仰天した。驚愕した。びっくらこいた。
彼が腕を振ると、それまでは緑の葉を青々と生い茂らせていた木が、突然満開の花を咲かせる桜へと変わってしまったのだ。それはもう、正に奇跡としか言いようがない所業で、驚きのあまり僕の開いた口が塞がることはなかった。
「ガハハハ! 凄すぎて声も出せんか! ガハハハハ……ひっく」
満足気な花咲か天狗は幹から飛び降りると、ゆっくりと降下して静かに着地した。その姿はまるでワイヤーアクションのようだ。
「あの、花咲か天狗、さん? ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
僕は彼に道を尋ねてみることにした。道を聞くことができるほど落ち着きを取り戻したのか、と思うかもしれないが、それは違う。ただ、僕は考えることを放棄した。現実逃避をした。僕の理解が及ぶ余地もない現象について考えるなんて、そんなのは時間の浪費、無駄というものだ。一言で言うなら、疲れた。
僕の問いかけに天狗は酒を一口飲んでから「何でも言ってみい!」と言ってきた。臭い……本当に酒臭い……こいつ。
「あの、僕松戸井市に帰りたいんですけど……どちらに行けば?」
できるなら近くであってほしい。そう願いながら発された僕の問いは、だがしかし、予想外の答えを引き出す。
「どこに行けばって……松戸井市じゃぞここは」
……オッケー、落ち着こう僕。今度はちゃんと落ち着け。ここが松戸井市……? マジで? じゃあなにか、ここは昔か未来の松戸井市、または別世界の松戸井市とでもいうことなのだろうか。最近流行りの転生、トリップものの波に僕も乗っかってしまったのだろうか……? そんな馬鹿な。
……いや待てよ。まだそうと決まったわけじゃない。
「えっと……じ、じゃあここは何なんでしょうか」
「お主、森を知らんのか」
「知ってるよ!? 僕がきいてるのはそういうことじゃない!」
「なんじゃ、そんな大きな声を出さんくてもいいじゃろ。ちょっとしたジョークじゃ」
そんなもの僕は求めていない。
「ジョークなんていらないんで質問に答えてください」
「仕方ないのぉ。──ほれ」
天狗が腕を一振りすると彼の手に白い棒状の物が出現した。なんだこの人。マジシャンなのか……? というか……。
「何ですかこれ……」
「チョークじゃ」
僕は差し出されたそれをはたき落とした。くだらない。田中並みにくだらない……!
「くだらねぇよ! ボケないでくれませんかね!」
「失礼な。わしはまだボケとらんぞ」
「そっちのボケじゃねぇよ!」
「よっしゃ、盛り上がってきたのう!」
「一人で勝手に盛り上がるな!」
と僕が言うと、天狗がまた腕を一振り。すると何十人もの人間が!
「なんでだよ! なんでもアリか!」
「お前ら盛り上がってかぁ!」
『イエ~イ!!』
「イエ~イ! じゃねぇ! 集団なら良いとかじゃないんだよ!」
僕がツッコミをいれると天狗は大爆笑する。何がそんなに面白いのだろうか。今のやり取りに笑える要素なんて何一つ無いじゃないか。少なくとも、僕なら笑わない。笑えない。どれだけ続けても笑うなんてことは、一生しない。一笑もしない。
「ガハハハ! いや愉快愉快! さて、楽しませてくれた礼に、お主の望む答えを知っている者の場所へ連れていってやろう!」
やっと話が進むのか……凄く疲れた……。
先程出した奴等を消した天狗は「ついてこい」と、そう言って歩き出し、その後を僕はため息をつきながらトボトボとついていく。綺麗な桜の花も、今の僕の疲れを癒しきることはできない。本当、何なのだろうか……。僕はただ買い物をしたかっただけなのに、何で森の中で漫才のようなことをしなきゃならないんだ……。
と、グチグチと心の中で愚痴を呟きながら歩いていた僕は、ある疑問を抱き、その疑問について目の前を歩く怪人に尋ねてみることにした。
「あの、花咲か天狗さん」
「ん? なんじゃ?」
「あんたって、腕を振ればどんなことでもできるんですか?」
「まぁ大体わな! 凄いじゃろ~?」
彼はガハハと笑いながらそう答えた。
「それって、人を移動させる、なんてことはできるんですか?」
「……まぁな~」
「それって、僕をその人物の所に送ることも、もしくは僕を元の松戸井市に送るなんてことも、できるんじゃないですか?」
「……」
天狗が立ち止まった。先程まで豪快な笑い声をあげていたというのに、今はクスリともしていない。
僕は突然変わった彼の雰囲気に、思わず一歩後ずさった。何か、ヤバイことでも聞いてしまっただろうか……? 僕の頬に、冷や汗が流れる。
数秒の間一言も話さなかった彼は、しばらくしてゆっくりと顔をこちらに向けると、その口を開いた。
「そ、その手があったか……!」
「気づいてなかったんか~い。てか、そんな怖い雰囲気を出さないでくださいよ。何かまずいことを口走ってしまったのかと不安になったじゃないすか」
「いやぁ~、自分で気づけなかったことがあまりにも衝撃的でな! 怖いのう、歳を取るというのは! ガハハハ!」
「ふっざけんな……」
怖かったのはこっちの方だ。
緊張から解放された僕は、その場にへたり込みそうになるのをなんとか耐えることに成功する。
それにしても、何なんだこの人……? なんでここにいて、何をしているのだろうか? ……うん。心底どうでもいいわ。……というか、
「何で僕は歩かされてるんだ……? あの、できるなら、パッと帰りたいんですけど……」
「あ~、飛ばすのは無し。できるんじゃが、今はできん。ちと、訳ありでのう」
「は?」
「まぁまぁ、先を急いでも良いことなんて何もありゃせんぞ。それに、これも運命なのだと思っていりゃいいんじゃないかの。この森は、入ろうとして入れるもんじゃない。逆に考えりゃあ、運が良かったと、そうもとれるんじゃないかの」
「逆に考えようが普通に考えようが最悪としか思えないんですが」
つか、森に飛ばされるってどんな運命だよ……。というか、訳ありと言っていたが、一体何があると言うのだろうか。
「ま、確かにここからじゃあ、ちと距離があるからな。バスにでも乗っていくか」
「そんなものまで……」
なんでもアリなんだな……。やっぱり夢なんじゃないかこれ。夢野がいないからって夢じゃないとは限らないし、もしかしたら夢野は隠れて見てるという可能性も……。もしこれで夢じゃないなら、僕がおかしいのかもしれない……。
いや、待てよ。これはもしかして……この前の教室の時みたいに怪異が関わっているのか?
「ちょっと待ってな。見たら驚くぞぉ? なんせこのバスは足が何本もある猫の」
「そのバスは出しちゃ駄目だ!」
「な、なんじゃいきなり」
僕は振ろうとした天狗の腕を振り切る寸前で掴んで止める。そのバスは出したらいけない。神のお告げが僕をその行動に駆り立てた。
というかそもそも、実在してたのかそのバス? かなり気になるんだけれど……じゃなくて!
「普通のバスは無いんですか」
「無いな。ユニットバスなら出せるが」
「いや、何でだよ。そんなものいつ使う……じゃなくて、バスが無いなら違うもので行きましょうよ。というか、僕自身を送ってくれれば」
「さっきも言ったがそりゃ無理じゃ。というか、いいのかお主は? 得体の知れない力で飛ばされるのだぞ?」
「……止めときま~す」
得体の知れない力ってお前が言うのか……。
「……ん? そうじゃ、空を飛んでいけばよいんじゃ!」
「それって得体の知れない力に頼るっていう点は変わってないよな!?」
「大丈夫。ワシが抱えてやる。安心せい!」
「いや逆に安心できねぇよ、安心できる要素がねぇよ! そ、そうだ。車とかは?」
「お主は飲酒した奴の運転する車に乗りたいのか?」
「乗りたくありません」
「よし、決まったな! ほれ、行くぞ!」
「え、ちょっま! せめて心の準備を!」
僕の言うことなんてお構いなしのようで、天狗は僕の腰にスッと手を回し、ヒョイっと米袋を持つかのように軽々と持ち上げてくる。
アッハハ。随分と力が強いんだなぁ天狗さん。
「拝啓雄介おじさんへ僕室戸四津木はこの度得体の知れない酔っ払いに得体の知れない力で飛ばされそうになっていますもし僕がこのまま死んでしまい家に帰ることができなかった時は」
僕は自分の人生至上最速の早口で言葉を連ねていく。もしかしたら僕の人生はここまでかもしれないからだ。聞かせたい相手が目の前にいないので全く意味の無い行動だが。
「ブツブツとうるさいのう。舌噛むぞ? ──さぁ、いざ行かん!」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
天狗は両足に力を込めたかと思うと、一度の跳躍で、ひとっとびで空中に躍り出る。
その日、僕は天狗に担がれ空を飛んだ……。