No. 7不可思議Saturday
突然のことで申し訳ないが、僕は今、僕自身の心情を伝えたい、吐き出したいと思っている。だから、この気持ちを皆さんに、誰かさんにぶつけたいと思う。
僕は今、驚愕している。驚愕しているのだ。現状に驚き、愕然としてしまっているのだ。ここしばらくの学校生活でマヒしてしまっていたが故に、二日ほど前に教室に閉じ込められた時でさえ、怪異という存在に触れた時でさえここまでの気持ちを抱きはしなかった。
何が僕にそこまでの衝撃を与えているのか、それは僕の目の前にいる存在によって与えられている。人生観が変動するほどの存在がいるのだ。
──ところで、皆さんは『天狗』というものをご存知だろうか? 古来から日本に伝わる生物で、その特徴は長い鼻に下駄、うちわを所持している、といったところか、もしくは黒いクチバシと大きな翼を持っている、というものだろう。ちなみに前者の天狗は名前を『大天狗』、後者の天狗を『烏天狗』と呼ぶ。きっと、スタンダードな天狗といえばこの二種類だろう。
もしも天狗というものを知らない方がいたなら、インターネットなどで調べていただけるとありがたい。
とまぁ、そんな話を突然始めてどうしたのか? という感じだが、ここまできたら皆さんも、僕が何を言いたいのか、僕の目の前にいるものが何なのか、察しがついていることだろう。
そう、天狗だ。天狗が目の前にいるのだ。これは、明らかにおかしい。僕の頭の話ではない。天狗がいることが、だ。しかも、ただいるのではない。天狗が、真っ昼間からひょうたんに入っているのであろうお酒を飲んで酔い潰れている……これはおかしい。
──いや違う。それもおかしいけど、おかしいのだけれど今重要なのはそこじゃない。目の前で飲んだくれている、なんていうのは今はどうでもいい。些細なことだ。一番重要なのは、一番おかしいのは、目の前にいること。それ自体がおかしい。
そもそも天狗とは空想上の生物のはず。目の前にいるはずがない。夢オチかと思ったが、頬をつねってもただただ痛いだけであった。後でよくよく考えてみると、夢野がいない時点で夢ではないのだが、動揺のあまりそこまで思い至らなかった。
あぁ、何がなんだかわからない。混乱しすぎて何を考えているのかわからなくなってきた……。
よし、整理しよう。なぜこうなったのか。
──外を歩いていたら、森の中で、天狗に出会った。
…………はしょりすぎた。これじゃあ僕が何故今のような状況に陥ったのか、誰もその原因がわからないだろう。何しろ当事者の僕でさえこれだけじゃ意味がわからない。そんな、「ある日森の中熊さんに出会った」的なノリで簡単に天狗に会うわけがない。
そもそもこの歌って普通に考えたらただの恐怖体験でしかないよなぁ。森の中で熊に遭遇しただけでなく、逃げようとしたら追いかけられているわけだし。熊ってがっしりとした図体しているくせに、時速数十キロとかで走るらしいしな。そんなものに追われた日には……死を覚悟するしかないだろう……。
──いや待て、落ち着け僕。今はそんなことはどうでもいいのだ。落ち着いて……思いだそう。僕は今日の朝起きて、それから何をしたのか……。
まず、朝に起きた僕は顔を洗うと、倒れこむようにして眠っていたおじさんを寝室まで引きずっていった。どうやら昨日は相等仕事が大変だったらしい。起きる素振りなど全く見せず、ピクリとも動かなかった。例えるなら、死体のようだった。ちなみに、脈や呼吸を運んだ後で確認してみたが、本当に死んでしまっている、というわけではないようであった。
その後、僕は着替えをして準備を整えると外に出た。消費しきってしまった卵などの食品を買いにいくためだ。
──よし、ここまでは特におかしいことはない。いつも通りの日常だ。それじゃあ、異変が起きるのはこの後くらいだろうか……?
……外に出た僕は、家の横にある路地の中に入った。別に路地に入らなきゃいけない理由があるわけではない。ただ単に、この路地を通ったら少しだけ、本の少しだけ近道となるのだ。
そういえば、僕は一度この路地の中で、ガスマスクをした人物とすれ違ったことがあるのだけれど、今日はその人物が人一人通ることができる程度の狭い路地に入っていくのを目撃した。あの人はミリタリーマニアか何かだろうか。世の中にはいろんな人がいるようだ。
──ここまででおかしいところは……うん、大丈夫だ。特に何も起きていない。
……僕はガスマスクの人物がどこに何をしにいったか少し気になったけれど、後をつけたりするのも失礼な気がするので彼を追ったりはしなかった。僕は真っ直ぐいつものように、これまでもそうであったように真っ直ぐ路地を歩いた。そして、路地を抜けると太陽の強い光が僕を迎え入れてくれた。僕はその眩しさに思わず瞼を閉じ、そしてゆっくりと開いていく……。
するとそこは緑溢れる森の中であった! ワオ!
目の前の光景に気が動転した僕は一瞬硬直、少ししてから後ろを、今歩いてきた方向を確認した。するとそこには見上げるほど背の高い大木が。
オー! ミラクル!!
その後僕はとりあえず歩き始めた。現実を受け入れられず、落ち着こうとして気晴らしのために歩き、ある時、天狗に出会った……。
あっはは。なんだこの三流シナリオ。展開が唐突すぎて冷静に思い出してみても何もわかりゃしない。やっべ~全く意味がわからないや。あははははは……。
「何なんだこれ! 急展開すぎて意味がわからないぞ! 路地を抜けた先は森って、新手のトト□か!!」
僕は頭を抱えてわめき散らす。現状に至った経緯を振り返って整理してみたけれど、原因が全くわからなかった。
「どこで何を間違えた……いつ選択を誤ったんだ僕は……まさか、ガスマスクの人にツッコミをいれなかったから? それともその人を追うのが正解だったのか!?」
「……おい」
「というかここはどこなんだ!? スマホは圏外だし……樹林か何かかよ!」
「おいそこの」
「もしかして朝おじさんをわざと引きずった罰……いや、呪いが……」
「おいそこの。聞こえとらんのか、この長っ鼻」
「それはお前だボケ…………へっ……?」
声をかけられていることに気づいた僕は、声がした方向にゆっくりと顔を向ける。奴が、立っている。
「て、天狗が立った。天狗が立った……!」
こいつ……動くぞ……!
「いや、少し落ち着け」
「喋った!?」
「大丈夫か君……ひっく……」
──いや、落ち着け。いったん落ち着くんだ僕。天狗は普通に二足歩行するし、きっと喋ることだってできるだろう。うん。……そうだ、混乱していたせいで思い浮かばなかったけど、彼が天狗とは限らないじゃないか。きっと彼は……天狗のコスプレをした男性……!
「……変態か?」
「なんじゃと?」
「いや、なんでもないです」
「……お主名前は?」
「む、室戸四津木、ですけど。あの、あなたはコスプレをしているんですか?」
「いや、してないぞ?」
おっと、雲行きが怪しくなってきた。
「あの、あなたは……いったい……」
「おうおう、そうじゃな! 名乗らせといて自己紹介しなかったらフェアじゃないわな! 聞きたいならば教えてやろうじゃないか!」
天狗は「よっ」と言うとその場から跳び上がり……え、ちょっ……木の幹に着地……えっ? この人軽く六メートル以上跳んでるんだけど!? というよりも飛んでるんだけど!?
驚きのあまり固まってしまっていた僕を見下ろした天狗は、ガハハハと豪快に笑い、右手に持っていたひょうたんに口をつけるとそれをグビッとあおった。
「ブハァ……ひっく……。──あ~、腕を一振りゃ奇跡がぁ起きる! どんな荒れ地も緑地に変わる! 奇跡の仙人、花咲か天狗たぁ、あ~ワシのことよぉ!!」
「……さいですか」
僕は、とんでもないものに遭遇してしまったようだ……。