No. 6
家に帰ってきた僕は自転車をいつもの場所に戻し、荷物を玄関に置くとそのまま喫茶店への階段を上っていく。二階に辿り着き入り口の扉を開くと、カランカランという綺麗な音と共に、オシャレな音楽(曲名は不明。きっとジャズか何か)と涼やかな風が僕を迎え入れてくれた。
「こんにちは~」
「おっ来たか少年」
「こんにちは。透さん」
声のした方に視線を向け、挨拶する。
オレンジ色の光に照らされた店内の奥の方、カウンター席の一番奥に座っている人物が軽く手を振ってきていた。
彼は『黒間 透』という名前の、見た目年齢二十代後半くらいの男性だ。(正しい年齢は知らない)彼はこの喫茶店の常連客らしく、僕が来た時にはいつも同じ席に座って、本やら新聞やらをコーヒーを飲みながら読んだりしている。
そんな透さんだが、驚くことに彼が立っている姿を、僕は未だに一度も見たことがない。もう一度言う。立っている姿を、一度も、見たことがない。それはもう、カウンターの一番奥の席に住み着いているんじゃないか、という馬鹿馬鹿しい考えが浮上するほどに、この人はずっと同じ場所に座っている。もしかしてこの人、椅子とおしりがくっついちゃっているんじゃないだろうか……。今思えば、彼の姿に大きな変化があったことも、一度も無い気がする。ジーンズに黒のロングTシャツ、腰にパーカーを巻きつけるという、この格好以外をしているところを僕は知らない。
なんでなのだろう。タンスの中に同じ服のセットが何枚もたたまれて収納されているのだろうか。僕はそんなの、服屋くらいでしか見たことがないぞ。というか、この人……仕事は何をしているんだろうか……。
「透さんって、仕……」
いや待てよ……ストレートに「仕事はしていないのか」なんて聞いたら、失礼になるかもしれないか。もっと遠回しに……仕事という単語は使わずにさりげなく……。変化球を投げるつもりで……!
「透さん、いつもいますけどニートなんですか?」
「……お?」
「あ……」
何口走ってんだ僕は!? 手元もとい口元が狂った……これじゃ変化球どころか直球ストレートじゃないか……!
「いや、そのですね」
「ん~、まぁ仕事はしてないかな」
しまった。
「したいとは思ってる」
「そ、そうですか……」
働く意欲はある。だからニートではない、と言いたいのだろうか。アウトだこの話題……。なにか違う話題を……。
「あ~、あの……そうだ、宮崎さんは?」
「ん、小僧なら奥にいるぞ」
透さんは奥のキッチンの方を指さして教えてくれた。
最近、何回か聞いているのだけれど、なぜか透さんは宮崎さんのことを小僧と呼んでいる。見た目で考えるならば、透さんは二十代後半くらいである。てっきり宮崎さんとは歳が近いと思っていたのだけれど。もしかして透さんは、若く見えているだけで、実は三、四十代ぐらいの歳だったりするのだろうか……? とてもそうは思えないのだけれど……。まさか、流石にそれ以上ということは……。
「なんだ? 俺の顔に何かついてるか?」
「あ、いや、違います!」
透さんのことをジロジロと見てしまっていた僕は慌てて視線をそらし、キッチンの方へと歩き始める。
「お、室戸少年! ちょうど良かった!」
すると奥から宮崎さんが急に現れたため、僕は「うぉ」と声をあげて一歩飛び退いた。
「あ、宮崎さん、それ」
僕は、彼が手に持っている物を気づくと、引き返して透さんの隣の席に腰かけた。
宮崎さんが持っていた物。それは、二つの小皿に乗った、デザートの試作品とおぼしき赤っぽい色をしたゼリーだ。その赤いからだをぷるんぷるんと揺らしながら運ばれてきている。
「それが試作品のデザートですか」
「そうそう。二つ作ったから透さんも食べてみてくださいよ」
「何ゼリーなんです?」
「当ててみてよ」
宮崎さんはそう言うと無邪気な笑顔を向けてきた。……何故だろう。良い予感がしない……。
僕と透さんは宮崎さんからスプーンとゼリーがのった小皿を受け取る。そして僕と透さんはお互いに顔を見合わせ、目の前のゼリーに視線を戻す。
色を表現するなら赤……いや、赤茶色といった感じだろうか。見た目は普通のゼリーだ。
僕は隣の透さんをチラリとうかがう。
透さんは手に持ったスプーンをぷるんとした物体に突き刺し、一口分をすくい上げる。そしてそれはそのまま彼の口へと運ばれる。と、見せかけて僕の口に突っ込んできた!
「むぐっ!?」
「どうだ? 美味いか?」
ニヤニヤしながら透さんが確認してくる。何故僕が毒見役に!?
僕は目で訴えるが透さんは更に嫌らしく笑んできた。ちくしょう……。
とりあえず僕は口の中に強引に入れられてしまった物を咀嚼し味わうことにした。幸い口に入れても体に異変は起きていない。普通のゼリーではあるようだ。
「…………」
なんだろうこれ……食べれるといえば食べれるけれども、食べたいかといえば食べたくはない、というような微妙な感じ……。不味すぎるわけでもなく美味いわけでもない、非常にリアクションしづらい味だ……。透さんも反応がつまらないためか不満気な表情をしている。この野郎……!
まぁそれはさておき、この風味と色から判断して……きっとこれは……。
「……紅茶?」
「お、正解! で、どうかな?」
「う、う~ん……」
そうだな……。美味いか不味いか問われたら、間違いなく不味い方ではある。控えめに言っても不味い。これは紅茶をゼリーにしたのが問題なのか、はたまた作った側に問題があったのか……。さて、どう答えたものかな。正直に不味いと言うのもな。強いて言うなら、一つだけ言わせてもらうなら、
「リアクションがとりづらい味ですかね」
不味すぎるわけではない。けどちょっと不味い。そんな、微妙な味。
「リアクション?」
「なんだそれ」
透さんは僕の答えに怪訝そうな表情をするとゼリーをすくって自分の口へとそれを運んだ。
「……うっわ、地味に不味い」
普通に不味いって言っちゃったよこの人。
「え、マジですか?」
宮崎さんはそう言うとスプーンをもう一本取りだし、すくい取ったゼリーを自分の口へと運ぶ。
「……うっわ、地味に不味い」
いや、おい。ちょっと待て。
「宮崎さん味見してないんですか!?」
「いやぁ、だって不味そうだったしさ」
「じゃあ、出すなよ!」
「いやいや、俺の好みに合わないだけで、他の人が食べたら美味しいと言うかもしれない。そう考えたら、自分の主観だけでボツにするわけにはいかない。──そうだろ?」
宮崎さんは僕に背を向けた状態でしばらく歩いたと思うと突然立ち止まり、こちらに顔とスプーンを向けると決め顔でそんなことを言い出した。
そう言われると……なるほど確かにそうなのかもしれない。彼の考えも一理ある。自分にとっては良くないものでも、他の誰かからしたらそれは良いものであるかもしれない。その逆もまたしかり。なるほどなるほど。確かにそうだ。彼の言ってることは正しい。だから、これだけは言わせてもらおう。
「やかましい味見してから言え」
僕の指摘に宮崎さんは「てへぺろ」と言って舌を出してきた。大人の男性がやっても、男の僕からしたら何も可愛くない。
「まぁそう怒るな室戸少年。本命はちゃんとある。これからが本番、茶番は終了、お遊びはここまでだ!」
「遊びで不味いものを食べさせるな!」
宮崎さんは時々こう言ったイタズラをしてくる。遊んでいる時の宮崎さんはまるで子供のようだ。
「ほら、これが新メニュー候補さ」
宮崎さんはそう言いながらツルツルに磨かれたカウンターテーブルに、紅茶ゼリーともう一つの方を交換して置いていく。そのゼリーを見て僕は呟く。
「赤いですね」
「これは普通のっぽいな」
なんだろう。イチゴか何かだろうか。
僕は握っていたスプーンを半透明の赤い物体に突き刺し、そしてそれをすくう。ぷるん、という音が聞こえてきそうな程にキレイに揺れるそれを見ながら、僕はスプーンを自分の口へと運んだ。
僕の口の中にゼリーの味が広まっていく。甘くて、そして僅かに酸味を感じる……。
「これ、アセロラゼリーですか?」
「そう、正解! どうかな」
「う~ん、良いんじゃないんですかね。無難な感じで。普通に美味しいですし」
「アセロラゼリー自体は売ってるんだし、別にここで食べるほどでもないけどな~」
透さんはそう言いながらパクパクとゼリーを食べ進めている。気に入ったのだろうか。
「まぁしばらく試してみて、人気無かったら他のを考えるよ」
宮崎さんは僕達の反応に満足気に笑い、先程さげた紅茶ゼリーを一口で……一口で食べた!? あまりの早さに一瞬ゼリーが消えたのかと思ってしまった。
僕の視線に気づいた宮崎さんは苦笑いしている。きっと、「やっぱり不味いなこれ」と心の中で言っているのだろう。僕が驚いたのは不味いものを食べきったことではなく、食べきるのに要した時間の方なのだが。
それにしても、捨てたりしないあたりは流石だなぁ、と僕は思う。この人は人に不味いものを食べさせたりはするが、残った場合には基本自分で処理するのだ。
「そういや、こんなこと聞くのもなんですけど、この喫茶店人気あるんですか? 今ガランガランですけど」
「そりゃ今日は休みだからね。普段はまぁまぁ人は来てるよ」
「あ、そうなんで……すか……?」
ちょっと待てよ……おかしいんじゃないかそれ……?
「休みなら、なんで透さんがいるんですか?」
「この人気づいたらいるからさ」
「えっ? でもこの喫茶店の入り口って開けたらベルの音鳴りますよね?」
「全く鳴らないんだな、それが」
何それこわっ……。透さんが人間なのか疑わしくなってきた……。
「透さん、まさかお化けなんかじゃないですよね~」
「ん? あっはは」
笑ってないで答えてくれ……!
「少年はお化けなんていう存在が不確かなものを信じているのか? そもそも俺には実体があるだろう」
そうだよな……。こんな身近に幽霊なんているわけないよな……ははは。
「お化けがいないという保証も実体がないという保証も無いけどな」
「…………」
いや、まっさか~……そんなわけないよな。
「そ、それじゃあ用事も済んだわけだし帰りますね」
「おう、また今度もよろしくな、室戸少年!」
僕はさっさとこの喫茶店からおさらばすることにした。別に怖くなってきた、とかそんな理由ではない。断じて違う。
そう、僕はオカルトなんて信じてはいないのだ。昨日あんなことがあったりしたが、まだ僕はその存在を認めてはいない。おびえるはずがないのだ。
「さ、さようなら~」
そそくさと僕は外に出ると、階段をかけ下りる。僕は昼間とうってかわって涼しくなっている風を肌に感じながら、家までの短い道のりを早足で進むのであった。