不機嫌
Said:エリス=ルナ=ティクス
気に入らない。でも兄さんに頼まれた。
気に入らない。でも兄さんに頼まれた。
気に入らない。でも兄さんに頼まれた。兄さんに頼まれた、兄さんに、兄さんに。
私の生活は夢の様な幸せと、地獄の様な苦しみに満ちている。
兄さんは、眠らない、眠れない。眠れないと辛いから、私に頼ってくる。私を、私だけを頼ってくる。眠らせて欲しいと頼ってくる。
兄さんに頼られるのは幸せ、眠る前の一時を甘やかしてもらって、眠る時は抱きしめてもらう。眠らせて、と言うあの兄さんの困った様な笑みは私を溶かす。
兄さんに包まれて、暖かくて、私は自分が闇なのも忘れてまどろむ事ができる。
兄さんは英雄になった。称号に興味はないけど、きっと兄さんが貰ったんだから、すごい称号なんだと思う。ただ、兄さんはどんなに凄くなっても兄さんだ。身内以外を嘲笑い、ニヤニヤしながら蹂躙する。そして私の所に帰ってきて、困った様に笑うんだ、眠らせてって。
なんて幸せなんだろう。兄さんが私を頼ってくれる。私にしか出来ない事で頼ってくれる。
一時、シュラとノワールが睡眠薬を作ろうとしてた。シュラは友達だから、殺すのは少し嫌だった。ノワールを通して頼んだら納得してくれたので、良かったと思う。
蛇が来た。兄さんに私の正体を告げて、奪おうとしたあの憎たらしい蛇。死んでれば良いのに、兄さんに大怪我までさせて、何で生きているんだろう。あの蛇め、蛇め、忌々しい長蟲め。
あの蛇を兄さんが助けようとしている。眠ろうともしないで、眠ろうともしないで、私に眠らせてって頼みもしないで、眠らせないでって、眠らないんだって、どうして、そんなに辛そうなのに、眠れるのが幸せって、あんなに嬉しそうに、辛そうに起きてないで、私の腕の中で眠って、夢の中で私を抱いて、どうして眠らないの、私に頼ってくれないの。
兄さんにまた頼まれた。魔力を譲渡できる、って強力な催眠をかけろ、と。
兄さんの精神は恐ろしく強固な守りがある。精神は魔力の影響を強く受けるから、人間の限界を超えつつある兄さんの魔力は、当然兄さんを強固に守護する。
闇の精霊たる私の力であっても弾くそれは、兄さんの偉大さを考えれば当然ですらある。
だから眠らない、兄さんは眠らない。
精神は魔力に強く影響を受ける、けど管理しているのは脳、なんだそうだ。よく判らないけど、兄さんが言うならそうなんだろう。眠らないとそれが弱るらしくて、そしたら催眠をかけろって言われた。
私は闇の精霊だ。催眠・暗示とはいえ、永続的な効果を付与する事など、息をする様なもの。兄さんの強固な守護に阻まれて、今までは出来なかった。
目の前にはほとんど守護の無い、兄さんの精神。
ほんの少し魔力をこめれば良い。
魔力を込めてしまえば良い。
兄さんが私だけを。
兄さんがこれから。
私だけ。
手を伸ばす。兄さんの心に。暖かくて、幸せで、甘くて、蕩ける様な。
そんな風に出来る。ああ、もうすぐ兄さん。兄さんの心、兄さんの、私のもの。私だけの。
一瞬だけ、ヒヤリとする。遠くの暗闇で翡翠と目が合った。判ってる、判ってるよ。
私の幸せを優先して、兄さんの願いを無視するなんて、出来る訳無い。
あの甘い幸せな夢は、きっと今だからあるのだ。すべてを都合よくしても、苦くなってしまうのだ。兄さんの思考を直に受けた私たち眷属。寵姫は兄さんの色に染まりすぎた。
それでも良いんだ。兄さんの色に染まって、危ういバランスの上で兄さんの腕に抱かれる。ああ、苦しくなるほど幸せで、死にたくなるほど甘い。
兄さん、私の兄さん。何時の日か、全てが朽ち果てても私だけを見て。
Saidout
夢現であるが、エリスが葛藤しているのは見て取れる。何を、までは流石に思い至らない。酷く頭が痛む。
催眠と言うか暗示と言うか、そういったものを掛けてくれと頼んだ。
いまならたやすく掛かる。
もう、眠りたい。
「結局、魔力の譲渡は完成したのですか?」
「できた」
「流石はアリス様ですな、このような方法で空想魔術を仕上げるとは」
「兄さんなら当然。でも完全ではない」
「む、それはまた?」
「そもそも兄さんの思考が反映される空想魔術で、今回はあの蛇だけの為の魔術。指向性が強すぎて蛇以外にはまとも使えない。兄さんの事だから色々応用はするだろうけど、今は完全に蛇の為だけの魔術」
「は、はあ、それはまったくもって、その」
「やはり俺は天才ではないだろうか」
「主様は天才」
「当然です、アリス様は天才です」
「天才、です」
『魔力譲渡』が完成しちょっと調子に乗るとこれだ。俺の身内は琥珀以外に突っ込み不在で困る。
今回努力はしたし、それなりに苦痛も味わったが、完成したのはエリスの功績だ。よくもまあ的確な催眠を掛けてくれたものだよ。
蛇君は今眠っている。魔力消費を尤も抑える方法で、まあ冬眠みたいな物だろう。
魔力回復薬を1本飲んで4日。つまり『魔力譲渡』の修得開始から、約2週間経っている。此処2日は俺が眠っていた。寝ぼけた頭で蛇君に使う訳にもいかんのでね。
さて、『魔力譲渡』だが。蛇君の事のみ念頭においていたせいか、指向性が高くなってしまった。全く効果が無い訳ではないが効率は100倍以上違う。
魔力を1000つかって1回復する感じで、蛇君の場合これが10:1位で交換できる。
実験用の小動物だの魔物だのに試した時は、かなり絶望的に成ったものだが、とりあえず1000:1でやる覚悟を決めた。結果的には問題なかったわけだが。
「全く。君、実に無様な死に様じゃあないか。せめて蛇君を何とかしてから逝きたまえよ」
蛇君の生命危機は脱した。今は眠っているが直に目を覚ますであろう。
流石に傍について見守っているほど入れ込んではいない。
俺が今居るのは梟の人の墓である。
墓と言っても死体がある訳でなし、形見を埋めた訳でなし。ただそれらしくでっち上げた代物だが、かといって他に参る場所もなし。
「墓に語りかける、とか、一度やって見たかったんだよ。身内だとそんな余裕はないし、そもそも死なせないし。君の墓は実にちょうど良いよ、其れなりに知ってはいたしね」
一応元日本人なので、其れなりの死生観は持っていたが、親しい人間以外の死にはトンと興味がない。
興味もないのに何故此処にいるのか。墓に語りかけると言うシチュエーションに憧れがあったのは事実だが、本来の目的は後ろからついて来ている人への対処だ。
「実にご機嫌が斜めだね」
「良くなる理由、あったかな。兄さん」
無表情な上に、瞳孔開ききった瞳で此方を見るエリス。蛇君に魔力を補充して、ふと気が付くと、常に後ろに張り付いていたようなのだ。人気の無い場所で話を聞こうと思い此処にきた。
「ああ、良い。良いなあ、肌が粟立つその目、声。君の怒りは実にいい」
ゾクゾクする。態々人気の無い所に来たのはこの為だ。
俺に向けられる嫉妬や独占欲という感情。心地良い、自分が相手に必要とされる感覚、依存されている歓喜。
「うん、うん。私はちっとも良くないよ、兄さん。蛇はもう大丈夫、次は私」
無表情に詰め寄ってくる。これだけで色々頑張った甲斐がある。蛇君に寄り添ってもらう予定だったが、まあ大差は無い。
「君には実に世話になったからね、要望を聞こうじゃないか」
「じゃあ、行こ」
とぷん、と音がして、俺は影に飲み込まれた。安請け合いはするものでない、実に教訓になったね。




