絶望とその対処
妹君は座り込み、細く長いため息を吐いた。先程まで感じていた威圧感や魔力も感じない。
それどころか矛を構えて向かってくる。明らかに危害を加えられるであろう状況でこの反応、諦めたと言うことか。
「あは。潔いことよ、苦しまずに殺してやろう」
おっと幼女の方も自己完結気味だ。もっと話し合おうよ。
「待て待て。双方の主張も理由も良く判らん、取りあえず家に入れ」
妹君は無反応だし、幼女の方は驚いたような目で此方を見る。勝手に戦っておいて、その意外そうな反応は此方も困る。ともかく無反応な妹君と渋る幼女を無理やり家に入れて座らせた。
「君、双方の反応を見ると、もしかして昼間の蛇君かね?」
「なんじゃ、今気づいたのか。薄情者め」
「いやいや、君昼間は蛇だったからね。君が女だと判ったのも今だよ」
「見れば判ろうが!」
「蛇の雌雄なんて見分けられんよ。にしても何事かね?」
俺の問いに蛇君はじとっとした眼で俺を見る。こう言う察してくれって態度は好きではないんだよ。
「君、用件は端的に願うよ」
「今何時だとおもっとる」
よもやそれを闖入者のほうに言われるとは思はなんだ。心底、正真正銘こっちの台詞だ。
「大体三時くらいかね」
「うむ」
「で?」
「主! 待ち合わせに3時間も遅刻しておいてその言い草は無いじゃろ? おまけに態々尋ねれば襲われるし」
なるほどねえ。確かに待ち合わせは明日だったね。時間を決めなかったのが致命的だったのか。
「なるほど、済まなかったよ。よもや真夜中に会おうとしているとは思わなくてね。蛇君の常識を弁えるべきだったよ」
蛇って夜行性か? 種類によりけりだろうけども、確認を怠ったのはミスったな。
「妹君のことも済まなかったね。君を人外と見抜いたようだから、とっさに防衛したんだと思うけど」
「否。この女は自分の正体が露見するのを恐れたのであろ」
「正体、ねえ」
妹君の話になったと言うのに、いまだ放心したままだ。椅子に座って床を見ている。きっと何も見えては居ないのだろうがね。
「そうじゃ。この女は人間ではない、故に主の妹足り得ない」
「では妹君はなんだと?」
「闇の精霊じゃよ」
おお、実に綺麗な単語が出てきたねえ。
「その黒髪と赤い瞳を見れば、知っている者なら判る」
「何故に人間として暮らしていたのかね」
「取替え子を知っているかの?」
確か前世でもそんな伝承はあったね。取替え子、精霊が赤ん坊を自分の子供と取り替えていくって話だ。だが、スプリガンとかの醜悪な種族がする、という伝承が多かった気がする。
「知識くらいならね」
「それそのものじゃよ」
事も無げに頷く幼女改め蛇君。
この世界では幻想が息づいている。来たばかりの頃は実にワクワクする世界だったが、今日あった熊と良い妹君の件といい、実は住み辛い世界ではあるよね。
「なるほどねえ。妹君、君の意見は?」
軽く話を振るとゆるゆると顔を上げた。久しく見なかった無表情だ。ぞくぞくする。
「本当の話……かね?」
「本当です」
弱弱しく言った。眼を離したら死んでしまいそうな、あの頃に戻ったようだ。血の気が失せて真っ青な顔だが、精霊の血の気ってのはなんだろうか。
「なるほどねえ。世の中には不思議な事がある、まあ蛇も話す世の中だ、そういうこともあるだろうさ」
「で、どうするんじゃ主よ。こやつを仕留めるなら協力するぞ」
なんか物騒な話をしてるね、何ゆえにそんな事を。
「いいわ、大丈夫。せめて殺されるなら兄さんに殺されたい」
俺が面食らっている横で、妹君が立ち上がりこちらを見た。
「お願い。せめて、楽に殺してね」
そういって微笑む。俺の妹に相応しくない、綺麗な微笑という奴だ。
「はあー」
俺は盛大にため息をつく。こう言うときに常識が無いと困るんだ。彼女らがどういう基準で話しているのか、それがさっぱり判らないから対処法が無い。でもイライラするのは間違いない。
「おいで」
取りあえず抱き締める。もう条件反射に近い。
「君、そんな顔してると昔を思い出すじゃあないかね。酷く酷く甘やかしてしまいたくなるよ」
「主、何をしとる?」
「甘やかしているんだよ。妹君が悲しい時、辛い時、痛い時、眠い時、ご機嫌な時、いつもいつもそうしてきたからね」
「そ奴は主の妹ではないのだぞ?」
「そう、そうなんだよ、問題は正にそこだ。蛇君は知っているだろうが俺にはこの世界の常識が無い。こう言うときは殺さなきゃ駄目なの?」
「何を言うとるんじゃ。妹の仇を取ろうとは思わんのか」
仇ねえ。もし妹君が殺されたなら、相手の一族郎党友人知人まとめて皆殺しにする、程度の事はするが。
「ねえ君、いつから入れ替わったの?」
抱き締めたら硬直してしまった妹に問う。ここは重要だ。
「判らない。気づいたらここに居た」
「子供の頃の話?」
今度は無言で頷いた。よし、これで問題はない。
「かは! 聞いたかね! 蛇君! やはり妹君は俺の妹じゃあないか。極最近入れ替わったのならまだしも、昔から妹として生きていたなら、何も騒ぐことは無い、いやー実に良かったよ!」
「精霊を……家族として認めるというのか」
「くだらないねえ。この俺は家族と言うものが一番信用できない。血縁なんて水よりも薄いんだよ。妹君は妹と言う立場なだけの大切な人だ。君にも言ったと思うが、俺の判定基準に種族は無い」
「に、いさん……」
「ああもう、まったく君。君、こんなに弱弱しくなっちゃって、可哀想に。君の種族だの過去だの、そんな事はすべて瑣末な問題だ。性別は、結構重要だけれども」
「兄さん」
「君は今までどうりに俺の妹で居ればいいんだよ。まあどこかに行きたいと言うのであれば、止めることはできないけどね」
「行きたくない、兄さんのところがいい、兄さんが良いの。兄さん、兄さん、兄さん兄さん兄さん……」
「んふー、愛い愛い。相変わらず君は可愛いねエー。ここが良いなら、ここに居るといいよ」
「主、変わってるを通り越して異常じゃよ」
蛇君が心底呆れた、という顔で吐き捨てるように行った。
それにしても、妹が人外とか、なんとも平凡な話ではある。