音
初投稿させていただきます。誤字脱字、不適切な表現などありましたら、ご指摘いただけますと幸いです。
よろしくお願いします。
最後の和音がホールを包んだ。
残響が完全に溶けきった後の静寂が少しだけ僕を不安にさせる。
音は、届いたのだろうか――。
拍手がコンサート会場をうめた。ひとつ頭を深く下げてから控え室に足を向けた。
どうしてだろうか、コンサートやコンクールの後はいつも、次も頑張ろうと言う気持ちと満足感に浸るのだが、最近のはとうとう最後までそんな気が起きなかった。
ピアノが好きで好きでたまらないはずなのに、なにかぽっかり空いていて本心から奏でられることに喜びを感じられない。
テーブルに暑苦しいジャケットを放り投げてすぐに控え室を後にした。ホールは川の側にあって、その川沿いの丘にあるベンチを目指して歩く。その間ももやもやした感覚は薄れずに思考を占めていく。
僕にとってあのベンチはとても大事な場所で、それでいて嫌いな場所だ。
ある日覚醒した僕は記憶が無かった。今でもそれ以前のことは何も知らない。人と言う存在を恐れていた当時の僕にあの人は言葉ではなく、音で語りかけてくれた。
僕に名前をくれた人。僕に音と言う言葉をくれた人。僕に伝える喜びをくれた人。
もう一度だけ、もう一度だけでいいから、あの人に名前を呼んでほしい。
思い出すのが怖くて、二年ぐらい立ち寄れなかったベンチが急に恋しくなり、すぐ目先なのに駆け出した。
でも、もうそこに、あのベンチはなかった。
もう会えないんだ・・・、もう居ないんだ・・・・・。
懐かしさが蟠りを紛らわせてはくれなかった。
音楽の専科がある難関高校に受かって、学校の近くに独りで暮らすことになったとき、辛くなったら遊びにおいでと言ってくれた矢先にその人は抱えていた病で逝ってしまった。
光沢の美しかったピアノは思い出の分だけほこりが募っていた。手で散々ほこりを掃ったが、どこか色あせたように思う。
毎日取り付かれたように夢中でこの鍵盤をたたき続けた僕を、朝から晩まで、ひと時も欠かさず、手の届く距離で厳しくも暖かい目で見守ってくれた。物が言える歳になると反発を繰り返したりもした。
そんな日々の消失感だとか、徐々に薄れていく悲しみだとか、孤独がぼくを苦しめているのだろうか。
そんな憂鬱も鍵盤の蓋を開いた瞬間、すべて消え去った。
《音符ひとつでは何も成せない。たくさんの音符が縦にも横にもつながりを持ってはじめてメロディが生まれる。》
今日はコンサートだ。
前は満足できなかったけど、今は何の雑念も無い。もう僕の音は曇らない。
鍵盤の蓋の裏にポスカで大きくびっしり書き込まれた、無理やり大人っぽくしたようなあどけない丸文字を思い出すと暖かくなる。
まだ僕には友達が少ないけど、僕はその人たちの一部で、みんなは僕の一部。僕は端から独りじゃないし、そんなやつは居やしない。
内に溢れるこの感情を音に乗せて届けたい、伝えたい。
一礼して椅子に座り、拍手がやんだ、この時点で緊張感に見舞われないことをさして不思議に思わなかった。
そっと鍵盤に指を乗せ目を閉じる。何の戸惑いも見せず、指は鍵盤の上を踊りはじめた。
僕の名前は亜雁 音。当て字のせいでよく名前を間違えられるのがたまに傷だけど、とても気に入っている。
まだ人と会話を続けるのは苦手だが、それでも伝えたい激情を抑えてはいられない。
だから、届け、僕の旋律