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第八章 第七話 好色の切り札

「?」

 その場の誰よりも早く、シアが声の方を向いた。

「誰?」

 シェリーの顔から愉悦の笑みが消え、代わりにいぶかしむ気色があらわれる。楽しみに水を差されたためか、声色がとげとげしい。新手がまたもや軍人ならば、かまわず締め上げるだろう。彼女の不気味に釣りあがった眼光は、殺意さえにおわす鋭さだった。

(え?)

 声の主は、警備兵たちが来たのとは別の方向にいた。海と反対側に広がる低木林のすぐそば。林と砂浜のちょうど境目のあたりに、凛とたたずんでこちらを見据えている。武器らしきものは持っていない。軍人然としたいかめしい雰囲気はなかった。

(なんで?)

 男はこちらを見たまま近づいてきた。華奢な体つきだが歩き方はしっかりしている。彼女たちのすぐそばまで来ると、再び口を開く。

「その人を、離しなさい」

 殺意さえにおわすシェリーに対して、臆することなく言い放つ。

(ソラ)

 突然の別れからどれだけの月日が流れただろうか。再開もまた突然で、驚きと同時に疑問が浮かんでくる。しかし、緊迫した状況下で歓喜の声を出すこともできず、ただ黙って彼の横顔を眺めていた。

シェリーは男を上から下まで見通すと、

「あなたは誰?」

 いやに平淡な口調で聞いた。

「彼らの同盟国の僧侶です。彼らの狼藉はわたしから謝罪します。どうかお許しを」

 そういって、ソラは深々と頭を下げた。

「なぜ、あなたが謝るの?」

「いまここでことを荒立てては、近いうちに事態はもっと深刻なものになります。それこそ、一人二人の命では取り返しのつかない事態に発展しかねません。何がきっかけになるかわからない昨今です。今はなにとぞお引取りをお願いします」

 ソラは再び頭を下げ、シェリーをなだめた。

 快晴の砂浜が重い空気に包まれる。聞こえるものといえば、寄せては返す波音と、シェリーによって吊るしあげられた兵士の苦しみもがくうめき声だけだ。

 しばらくして、首を垂れるソラを睥睨していたシェリーは、その場の沈黙に耐えきれなくなったのか、首を横にやれやれと振って、重々しく口を開いた。

「わかったわ。ここはあなたに免じて許してあげる……」

 口調に苦々しさが見え隠れするのは、ソラの誠意に折れざるを得なかったからだろう。悔しさの一切をなすりつけるような鋭い目で兵士を見上げ、小さく舌打ちしてから彼を解放した。

「あなたたち」

 砂浜の上に片膝をつく兵士と、彼に駆け寄って介抱する青年兵二人。シェリーが彼らに声をかけると、彼らはおびえ切った眼差しで彼女を見上げた。

「消えて」

 彼女がそう言うと、兵士たちは一目散に逃げ出した。軍人としての権威も勇ましさもまったく見られない、どこまでも無様な後姿であった。

「ソラ!」

 その場の緊張が解けたのを皮切りに、シアの感情も溢れだす。何年間も封印してきたか、あるいは忘れかけていた感情だった。たまらずソラの元へと駆け寄ると、彼の肩へと腕を回しその胸に顔をうずめる。

「シアさん……」

「合いたかった……。ずっと……」

「二人とも」

 背後から刺すような声。師匠からの聞きなれたものと理解するまでは一瞬だったが、夢うつつな気分はそれをどこまでも受け入れようとはしなかった。

「邪魔されたくない気持ちもわかるけど、事情を説明してもらおうかしら?」

 自分の楽しみは奪われたためか、明らかに苛立っている。爆発寸前にも聞こえる彼女の声色に、ソラもシアも従わざるを得なかった。

(ソラ……)

「大丈夫です。また後で……」

 シアの小さなつぶやきを拾って、ソラが答える。

「わかるでしょう? 馬鹿は嫌い。続きは後でいくらでもさせてあげるから、今は私の言うことだけ聞きなさい」

「はい……」

「あなたは誰?」

「ソラ・スイシーダ。ソドルの僧侶です」

「そんなあなたが、こんなところへ何の用?」

「ここへは、同盟軍の視察に来ました」

「ここはアリンスとソドル、二つの超大国に挟まれた田舎みたいな国よ。そんな国の軍隊なんてたかが知れているわ。もっと重要な任務できたんでしょう? 違う?」

「っ……。それ以上は言えません」

 ソラは固く口をつむぐ。

 そんな二人のやり取りを、シアは黙って見守ることしかできなかった。

「そうね。これから先のことを喋ってしまえば、あなたの行動は反逆罪になってしまうわ。軍の重要機密ですものね」

「……」

 シェリーのかまかけに対し、ソラは無言を貫いた。

「でも、これならどうかしら?」

 シェリーは不気味に微笑んで唇を舐めると、左手をシアへと向けた。

「え?」

「!」

「ウドデレコ」

 直後、シアの身体が宙に浮く。

「シアさんっ!」

「あははっ。さあ、言いなさい」

全身を大蛇が締めつけるかのような感覚が、一気にシアの自由を奪う。手足を動かすことはできず、体中の骨がきしきしと泣いている。息苦しく、辛うじて苦悶の声を出すことはできたが、呪文で対抗できるほど、シェリーの力はやわではない。実力からして、おそらくそれはソラにもいえるだろう。

「せん……せ……」

「シアさんをっ……」

「『離せ』って言いたいんでしょう? だめ。あなたの本当の任務を言ってくれるまで、絶対に離しはしないわ」

「くっ……」

「言わないの? 早く喋らないと、せっかく何年かぶりに再会した恋人が死んでしまうわよ? あなたにできる? ソドルの人間として任務をとるか、一人の男として恋人をとるか?」

 嬌声をあげるシェリーとどうするべきか戸惑うソラを、シアは交互に見下ろす格好だ。

 シェリーは明らかに楽しんでいた。しかし、シアの苦悶する様をではない。敵対する国の人間が任務と私情とのジレンマに陥り、どちらを優先するべきか迷う様を見てだ。

 徐々に視界が暗く狭くなっていく。見えない縄で雁字搦めにされていくような感覚に、いよいよ耐えられなくなってきた。ひどく限られた視界のすみに、身構えるもなす術のないソラが見える。

(最後に……、見れてよかった……)

 ソラはとても真面目で誠実な性格だ。私情にかられ、自身の任務を、敵対国の上級魔導師に洩らすなどということはしないはずだ。シアが何のためらいもなく自分を占め上げたことにはいささか驚いたが、彼女が極度のサディストであることと、国防を担う重要な立場にいることを思えば無理もない。シェリーの目の前に敵対国の斥候が現れ、そのすぐそばに従順な弟子でもあり斥候の恋人が居合わせた。シアはその恋人というカードを切っただけのこと。

 あまりに短い一生に少々の未練はあるが、それでも自分はまだ幸運なほうである。あリンスの山中で発見されシアに身元が割れた時点で、ほとんど運命は決まっていたのだから。魔法の腕を見込まれ、弟子として可愛がられたのは僥倖以外のなにものでもない。

「私の任務は……」

 消えかけた意識の最果てで、苦渋に満ちたソラの声を聞いた。

「アリンスとの中立同盟の破棄と、ソドルとの一大侵攻作戦発動の打診です……」

 ソラは苦虫を噛み潰すような顔をしていた。

 それを認めた直後、拘束から解放される。地面に降りるや否や膝をつき、気絶しそうなのを必死になってこらえる。

「その話、もっとよく聞かせてくれるかしら?」

 顔を上げて二人の方を見ると、シェリーはソラに歩み寄り、彼の顎を指先でなぞっていた。

「先生。ソラは……、その人に乱暴だけはしないでください」

「場合によっては、そうしなきゃかもね。でも安心なさい。あなたと同じように、たっぷり可愛がってあげるわ……」

 シェリーは不気味に微笑むと、ソラの首すじにそっと舌を這わせていた。

「綺麗な肌ね。女の子だったらもっとよかったのに……」

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