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第八章 第六話 嵐の前の静けさ

 実父からの勘当から三年の月日が流れていた。シアはソドルと対立関係にあるアリンス領内にいた。

「こんなにゆっくりできるのは、何ヶ月ぶりかしら」

 潮風に髪をなびかせながらつぶやく。

 シアがアリンスの魔導師として正式に働くようになったのは、アリンス領のターファー山脈で発見されてから半年経ってからだった。その時期から、ソドルとアリンスは魔界を二分する強国同士であり、競い合うようにして国力の増強に躍起になっており、互いに相手国の軍事や内政状況の情報はのどから手が出るほど欲しいものであった。

 そんな中、アリンスにソドルの神殿事情や内部情報に明るい者が現れたことは、願ってもない僥倖であった。加えて、彼女は貴重な情報だけでなく、彼女自身が魔導師としての能力に長けていたことは、勿怪の幸いであったに違いない。

 シアは自身の実力と才能もさることながら、そのような事情もあいまって、アリンスの魔導師として高位に就いていたのである。

「いい風ね。久々のバカンスは気持ちがいいわ」

 シアの後ろには、彼女の才能を見込んだ色癖の魔導師――シェリーがたたずんでいた。

 二人は多忙を極める魔導師業の合間を縫って、アリンスと隣国との国境に程近い海岸で何ヶ月かぶりの休暇を過ごしていた。

 白亜の砂浜と、水平線まで青一色の海。そして、雲を浮かべて広がる澄み切った青空が、二人の心を洗っていく。ソドルからの斥候がうろついたり、国境付近の神殿に多くの総著や兵が集められたりと、ここのところ両国間でも軍事的緊張は絶えなかった。そんな中、ふたりがこうしてくつろげるのは、嵐の前の静けさとでもいうのであろう。視界のはるかかなたにある入道雲の真下では、海水と大気が時化となって吹き荒れている

「あら、誰かしら」

 瞳の中を青一色に染め灌漑にふけるシア。そのすぐそばでシェリーがつぶやくと、彼女も現実に引き戻される。

 先ほどまでシアとシェリーしかいなかった砂浜に人影が見える。快晴の砂浜に似合わぬ、剣と兜で武装した三人組。国境近くであるから、隣国の警備兵だろう。彼らはこちらの存在を最初から認めていたのか、まっすぐに彼女たちへ近づいてくる。

「ここで何をしている」

 警備兵の中でも一階級上と思しき男が訊いた。両脇に従えている他二名より一回り年上に見える。両脇の二名は顔にまだあどけなさが残る青年兵で、大方、徴兵から開けて間もない新米兵と、予備役かあるいは昇進を逃した中年軍人であろう。皮肉にも、辺境警備にはもってこいの人材だ。

「休暇を楽しんでいるの。見てわからない?」

 警備兵を一瞥し、長椅子に腰かけたまシェリーが答えた。態度がどこか高飛車なのは、元来の彼女の性格もさることながら、ここが誰のテリトリーでもないからだ。アリンスの領地でも隣国の領地でもないからこそ、日々多国間との対立に奔走される彼女たちが骨休めの場所に選んだのである。

「貴様らはどこの国の者だ」

 警備隊長はシェリーの態度が癪に障ったのか、さらに居丈高な態度で訊き返す。しかしシェリーは悪びれるそぶりもおびえた様子も見せず、

「せっかくの休みなの、邪魔なさらないでくださるかしら? あなたたちみたいな首から下しか使われないようなのがいるから、わたしたちの仕事がなくならないのよ」

 安息を乱されたことへの報復だろうか、シェリーはまったく言葉を選ばず、刺々しい口調でまくしたてる。魔導師は戦闘で傷ついた兵士や、軍隊の作戦行動を魔術の力によって補助するのが大きな役割だ。高位のものは魔術で直接戦闘をする者もいるが、それはごく少数である。魔術による戦闘訓練を受けることがあっても、それはあくまで自己防衛のためであることが多い。

「貴様! こっちに来い!」

 警備隊長は激昂し、連行せんとシェリーの腕をつかみ椅子から強引に引き起こす。

ただ、この場所はどちらの国にも属していない。警備隊側の命令にシェリーが従う義務はない。

「離しなさい。非武装の、しかも女相手に力づくで。大の男が三人もそろっていながら、なんて下賤な行いかしら。どうせ占領地でも好き勝手やっているんでしょう? それとも、こんな辺境の警備隊じゃ占領地の楽しみにさえ交じれないから、こうやって憂さを晴らそうって魂胆かしら? いずれにせよ惨めものね、田舎軍人なんて」

 シェリーが警備隊長の腕を払いのけると、向こうはとうとう怒髪天に達した。腰の軍刀を抜き、切っ先をシェリーに向ける。

「貴様。軍人を罵るか!? その罪、貴様の首をもって償え!」

 たけり狂った切っ先を目の当たりにして、シアはその場に凍りつき、新米の二名はどう対処してよいかわからず互いの顔を見合ってあたふたする。警備隊長の鼻息だけが、騰がり馬のそれのように、あたりの空気を震わせていた。

「あら、武器を取るのね。非武装相手になんて暴挙かしら。ここまでされてしまえば、あなたがどうなろうと文句はないはずよ」

「何だと!?」

 シェリーは怒りで微細に震える切っ先を前に、どこまでも冷静に相手を罵った。警備隊長の返答とほぼ同時か直前に、静かに呪文を唱え始める。

「クニンキソミウノ」

 シェリーが呪文を唱えると、警備隊長の身体が宙に浮いた。彼は苦悶の表情を浮かべ、必死に首周りをかきむしる。

「せ、先生。いくらなんでもそれは……」

「安心しなさい。首から下を、一生使えなくしてあげるだけ」

 シェリーの口調はどこか楽しげだ。警備兵たちを浜に認めたときから、こうすることを望んでいたような。そして、自身の思惑通りに相手が逆上し、つかの間の休息を乱されたことへの報復の口実を得て、さぞ満足げな様子だ。

 突然のことに、新米兵たちはどうすることもできず、虚空でもがく上官を呆然と見守っている。

「あ……、ぐ……」

 声というより、狭い空間から無理やり押し出した空気の流れでしかなかった。ぎりぎりと締まってゆく首を必死につかみ、命乞いをするような眼でシェリーに視線を送る。

「苦しい? 『なんでもしますから助けてください』って顔ね。でも、もう許してなんかあげないわ。ベッドの上で死ぬまで後悔しなさい」

 嬌声。高笑いとともに警備隊長の首が徐々にあらぬ方向へと捻じ曲げられていく。ついに骨ごとへし折られようかとしたその時だった。

「その人を離しなさい!」

 若い男の声がした。


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