第八章 第二話 墓石の前で
魔界からの逃亡時にいくつもの死体を目の当たりにしてきた彼女でも、流石に遺体に直接触れるといった事に多少の戸惑いを感じた。しかし、任務の果てに亡くなった男の事を思うと、弔いの気持ちの方が強くなり、自然と目頭にこみ上げる物を堰き止められなかった。
「ありがとう御座いました」
全ての作業が終わった。男の遺体は今、墓石の下で永遠の眠りについている。墓石の亡くなった男の名を刻み終えた魔導師の言葉には、まごうことなき深い感謝の意が籠められている事を、彼女は肌で感じ取る。
「いえ。彼の最期を看取れて良かった。彼は、本当に最後まで国の為に尽くしてくれていたのだから……。もう滅んだ国の為に……」
言葉に詰まる。戦争に敗れ抗う意味の無い中で、必死に国を思って死んでいった男。面識など有るわけが無かったが、一国の姫として、そして何より、国を愛する者同士として心の底から感謝したい。
「ありがとう……」
墓石に刻まれた男の名前に手を触れ、涙混じりにそう捧げた。
「姫様……。姫様に最後を看取られて、彼もさぞ幸せだったでしょう……。さ、皆が待っています。行きましょう」
うつむき丸くなった背中に、魔導師の手が触れる。冷静な印象を持つ声色とは裏腹に、とても温かく優しい感触がした。
「ええ……」
イブが踵を返す。その際、頬を伝っていた涙が、風に持っていかれて宙を舞う。夕日に照らされ煌めく涙は、墓石にあたって消えた。
彼女はこれ以上泣くのを止め、顔を上げた。と、その時、沈みかけた気分の二人の間をすり抜ける様に、強い風が吹き抜ける。大分長いこと吹き抜ける強風は、何かを吹き払ってどこかへ消えた。
しばらく経ち、風が治まる。
「! アナタは!?」
いきなりの強風に顔を覆っていたイブは、目の前の事実に驚愕する。
目の前にこれまで立っていた魔導師のフードが、先程の風で外れていたのだ。ローブと一つなぎのフードは今、魔導師の背中にあった。
これまで隠されていた魔導師の顔。細長くはっきりとした輪郭と、それによく似合った長く白い髪。少し垂れた感じの灰色の目は、これまでの印象とは違う優しさを醸していた。幼さやあどけなさなど感じなさせい、妙齢の雰囲気を漂わせている。年齢はイブより上であることはまず間違いなさそうだ。そんな思いの外柔和な顔つきの彼女が、イブの目にありありと映っていたのである。
「女性……、だったの」
「はい。隠すつもりはありませんでしたが……」
これまで聞いた魔導師の声では無かった。顔と調和の取れた、落ち着いた女性の声。
厳格で無愛想という魔導師へのイメージが定着していたイブにとってすれば、これは寝耳に水の事実である。そう考えると、背中に触れた手の優しさにも納得がいった。それこそ、子どもが居てもおかしく無さそうな彼女。見れば見るほど従前の印象はうち砕かれ、代わりに意外すぎるほどの真実に目を疑うばかりだった。