第八章 第一話 外の空気
この話を持って、新しい章に進みます。では、どうぞごゆっくり。
「外の空気を吸われますか?」
話しが一区切りついた所で、魔導師が口を開く。
特に断る理由が無いので、無言で首を縦に振った。遅れて夢斗とオズワルドもそれに倣う。
「では……」
魔導師は小さく呪文を唱えた。直後、視界が光で満たされ、静寂がやってくる。次元転換が行われいてるのだと、今度はすぐに気付いた。
「うっ……」
分かっていたとは言え、次元転換の時の光の強さは格段に強い。たまらず、瞼を固く閉じた。
そのうち、光も静寂も消え去る。直後、洞窟の中とはまた違った空気の匂いが、彼女の鼻をくすぐった。わずかに遅れて、今度は暖かい陽光を、彼女は感じた。
イブが目を開けると、そこは夕焼け空の真下に広がる小高い丘だった。膝丈ほどの下草が風になびく。草の浅黄と夕焼けの朱色とが交わる。一見、魔界に来たときと同じ場所に思えたが、遙か彼方に山脈が見え、眼下には小川と広大な平野が広がっている。
辺りを見回すと、洞窟にいた時と全く同じ配置で、夢斗やオズワルド、魔導師がいる。
「ここは洞窟の真上に当たります。どこの国領にも属さない地域ですので、敵からの脅威はありません。帰りたくなったらこれに触れて下さい」
魔導師は一同に向けてそう言うと、無造作に置かれた人の頭ほどの石を指差した。
洞窟内には時間を知る手だてが一切無く、かてて加えて寝てしまったイブにとってすれば、今がどれくらいの時間帯なのか知れたのは願ってもない事だ。それに、冷え切った空気とは違う、適度な乾燥と草の匂いの薫る空気もまた、彼女にとって新鮮だった。
「ねえ、イブ」
丘の斜面で二人きりになった所で、夢斗が唐突に切り出す。
「何?」
「何か、良い方向に進んでいる気がするんだけど」
「そうね……」
イブもそう感じていた。これまで非協力的な態度を取っていた魔導師が、ソドルの人間界侵攻の報を受けて、わずかだがやる気になっている。ソドルを止める為の手だてを、さも兵士を鼓舞する将の様に語っていたし、何よりこれまでとは態度ががらりと変わっているようにさえ感じた。うまく説得出来れば、彼を協力させられるかも知れない。その可能性は、この時点で大いにあった。
「俺さ、イブが人間になる為にする事も、奴らが人間界を攻めるのを止めるの事も、結局やることは同じだと思うんだけど……」
「そう、同じよ。でも、いずれにせよ難しいわ……。相手は、ワタシの国よりも強力な軍事国家。一筋縄ではとても敵わない」
そう言って、腰の刀に手を触れる。これまで幾度と無く世話になったこの刀に、またもう一仕事して貰わなくては成らない。その為には、自分がしっかりしなくてはいけない。そんな決意を籠めるつもりで、ぐっと柄を持つ手に力を入れる。
「夢斗……」
「ん?」
「ワタシ、今から魔導師を説得させてくるね」
そう言って彼からの返事を待たずに立ち上がる。背後から、
「頑張れ」
と聞こえ、彼女はそれに右手を掲げることで応えた。
魔導師に会うために、最初に訪れた所へ向かう。その途中、
「あれ?」
イブは視界の片隅で動く、魔導師の後ろ姿を見た。
(あれ。持ってるのって……)
全身をローブで包んだ魔導師は、難儀そうに何か大きな物を担ぎ上げている。
人の大きさほどもある麻袋。それは、突如として現れた男を入れた物だった。それを裏付けるように、何となくだが人の形が伺えた。
イブは魔導師の行動を不審に思いながらも、後をつける事にする。気取られぬよう姿勢を低くし、足音に細心の注意を払って前進する。幸い、絶えずそよ風が吹き草をなびかせ、それによって足音は大分消えた。
つけることしばらく、魔導師は先程の丘とは、また違った場所に行き着く。手入れの行き届いた植え込みに囲まれ その中にぽっかりと開けた空間になっている。その空間は芝生が植えられており、綺麗に刈り揃えられた芝生の中心に何やら無機質な物体が鎮座していた。
遠くからでも分かる、どっしりとした重量感。長い歴史を刻んできた、貫禄のあるたたずまい。長方形で重厚な存在感を放つそれは、彼女もどこかで見たことのあるような気がした。
「お墓?」
魔導師は物体――墓石の前に立つと麻袋を下ろし、口を開けて中の遺体を取り出そうとする。しかし、丈の長いローブが邪魔して、作業がどうも上手く行かない。
見るに見かねた彼女は、植え込みの影から飛び出し、魔導師に駈け寄る。
「手伝うわ」
「姫様……。ありがとう御座います」
魔導師は丁寧に謝辞を述べると、イブと共に遺体の運び出しに取りかかった。