第七章 第九話 男
イブは、洞窟の中を駆け巡る慌ただしさと、自身が感じた胸騒ぎで目を覚ました。
身を起こすと、固い床に直接寝ていたせいか、背中や腰にひどい違和感があった。彼女はいつの間にか被さっていた毛布をはねのけ、伸びをして違和感を取り払うと、足早に部屋を後にする。
部屋を出てすぐに、イブは異変に気付いた。
「これは!」
その異変は、隠れ家の中でも一際開けた場所にいた。洞窟の中でありながら広々としており、ドーム状に開けた空間。その空間の真ん中に、満身創痍で仰向けに横たわっている男がいたのだ。
その負傷者を見守る形でオズワルドが佇み、魔導師が治療にあたっている。
「イブ……」
うろたえていた夢斗は、イブが現れるのを待ち望んでいたかのように言う。彼の声はひどく慌てていて、言動に落ち着きがない。
「何があったの?」
夢斗にそう尋ねる傍ら、眼前に横たわる男に目を落とす。
魔導師の治療によるオーラが全身を包んでいて良く見えないが、男のなりや容態がわずかにうかがい知れた。着衣はズタズタに引き裂かれていて、布きれが辛うじて引っかかっているといった状態である。また、怪我の度合いも酷いようで、全身の至る所から出血が見られる。息は今にも途切れそうな程弱々しく、生気がほとんど感じられない。
「わからない……。ただ、いきなりこの人が現れたから……」
「お静かに」
夢斗の言葉を遮る形で、魔導師がぴしゃりと言い放つ。ややあって、治療に専念していた彼は、男の胸にあてがっていた手を離した。それと同時にオーラがかき消え、それに隠れて見えなかった姿が、今度はありありと眼前に現れる。
「計……画……」
男が言葉を発した。途切れ途切れの消え入りそうな掠れ声だ。
魔導師は何も言わず、静かに次の一声を待つ。
「ソ……ドル……。ガロが……、おそろし……」
男の唇がもぞもぞ動くたび、風の流れるようなしわがれた声がする。苦しそうに一言ずつ絞り出す様は、見た目以上に痛々しく見えた。
「落ち着いて下さい。貴男は何を見てきたのですか?」
魔導師は男の額に優しく手をあて、再びオーラを放出した。
「新たな……侵略」
まるで岩と化したと思われる程、緩慢に動く男の唇。絶え絶えの言葉を必死に綴って行った。
「ガロ達……。人間界に……攻め込む……」
消え入りそうなかすれ声で、信じがたい事実が告げられた。
一同はその告白に驚愕し、一様に言葉を失う。
「止められるのは……、今だけ……」
激しく痙攣し、制御するにも苦になった腕を伸ばし、必死に魔導師の顔に触れようとする。男の手はフードの中に向かって、這うような速度で進んでいく。恐ろしささえ感じるほど、ひどく緩慢な動きだった。
「解りました。貴方の命は無駄にはしません。ご苦労様でした」
魔導師は男の震える手を両手で握り、フードの中に引き込む。彼の痙攣が魔導師にも伝い、フードが小刻に揺れた。
彼が苦しさから逃れようとしているのか、魔導師に未来を託そうとしているのかは、その場にいた者には一切わからない。痙攣の規模が大きくなり、間隔が段々と不定期になっていく。そして、一度全身が跳ね上がるほど大きく痙攣してから、謎の男は息絶えた。
「…………」
物言わなくなった男は、宙の一転を見詰めたままそれきり動こうとせず、緩慢なあの動きさえも見せなくなった。