第七章 第八話 拘泥
魔導師に言われた通りに進んでいくと、そこには二手に分かれた通路の先に、二つの石室があった。木製の扉が設置されており、その先は独立した個室になっていた。
イブは戸口で夢斗と別れ、今は一人石室内で休んでいる。
彼女には大きな懸念があった。それはどのようにして『転生の儀』について、悪魔から人間になると言うことを魔導師に切り出すかである。
オズワルドにはまだ切り出しやすい。もとより武人で闘うことをいとわないし、何より彼はイブに対して協力する姿勢を見せてくれるだろう。それに、彼の協力無しではとても『転生の儀』など出来るはずもない。
問題は魔導師である。彼は既に腹を決めている様子で、これ以上闘って犠牲を出すことに猛反対するだろう。ましてや、その戦う目的がイブ自身の個人的なものなら。個人的な理由が人間になる、という事だという事を知れば。そして何よりの皮肉は、魔導師の力もイブの『転生の儀』をするために必要不可欠な事だった。
「どうしたら良いの……」
イブをはじめとする悪魔と、夢斗の様な人間。両者の種族の中での優劣はあるが、基本的に悪魔は人間より強いのである。悪魔の全てがイブの様に剣術に長けていたり、魔導師の様に魔力が強いとは言わないが、それでも、並の人間では到底悪魔には敵わない。更に、悪魔の一部には人間を『劣った生き物』と認識して見下している節がある。仮に魔導師がその思想を主としているのであれば、協力させる事は難しい。
更に、イブは悪魔の中でも高貴な存在である。魔界の一国の姫になったと言うことは、相当上級の悪魔なのだ。そんな彼女が、人間になると言うことは、国王が亡命するなどといった事とは比べ物にならない一大事なのである。
多かれ少なかれ説得する必要がありそうだ。何とかして協力させなければならない。しかし、どうやって――
悪魔と人間との関係。上流階級の悪魔が、人間に成り下がると言うこと。その事をどうして魔導師に伝え賛同させるか。数々の関門がイブの前に立ちはだかり、彼女の頭を重くした。
イブが思案に暮れているそんな時、誰かが扉をノックする。
「イブ。入るよ」
声の主は夢斗だった。
「うん、入って」
彼女がそう言うと、扉が開き向こう側から夢斗が姿を現す。
「あの魔導師の人……。なんかもう闘わないみたいだけど、どうする?」
夢斗の言葉。それは今の今まで彼女が考えていた事だった。
「彼の力が無くては、絶対に人間にはなれないわ。『転生の儀』は次元転換以上に高度だから」
「何とかして協力させなきゃ、なんだね」
イブは無言でうなずく。確かに夢斗の言う通り、何が何でも協力させなくてはならない。
「そう言えば、あの牛の人は?」
オズワルドの事である。これまで鬼や熊、更にはイブの本当の姿を目の当たりにしている夢斗にとって、そんなに驚く程のものでも無いが、それでも彼の正体は気になるのだろう。
「彼――、オズワルド・バンフはアリンス帝国軍の最高司令官の三男で、ワタシの近衛隊の一員でもあったの。ワタシを逃がすために最後まで戦ってくれて、それからはどうなったかは解らなかったんだけど、でも、生きてて良かった」
「だね。強いみたいだから」
恐らく、夢斗も魔導師と一緒にガロとの戦いを見ていたのだろう。
「問題は、魔導師ね」
先行きは依然として暗いままだった。
「はぁ。でも、今日は本当に……」
ため息をつき、何かを言いかけたまま言葉が切れる。
「どうした?」
「何か……すごく疲れた……」
覇気の感じられない声が出た。それは無理もない。次元転換に加え、本当の姿となってガロと死闘を演じたのである。疲れない方がおかしいだろう。
「ゆっくり休みな。イブは頑張り過ぎる」
「うん……」
イブは夢斗に頭を優しく撫でられ、遠のく意識の中で彼の声を聞いた。彼にもたれかかると、安心と疲労感に一気に全身を包み込まれる。
「お休み、イブ」
イブは夢斗にそっと床に寝かすと、部屋を後にしようとた。
そのおり、扉が何者かによって叩かれる。
「誰だ?」
「魔導師です。お食事を持って参りました」
「入って」
「失礼します」
そう聞こえると、静かに扉が開き、魔導師が室内に足を踏み入れる。
「姫様はもうお休みになられたようですね」
「え、ああ」
床に横たわるイブを見て、彼がそう言い放った。
「是非もない事ですね……」
魔導師は食事の乗った盆を床に置くと、どこからともなく毛布と枕を取り出す。毛布を彼女にそっと被せた後、頭をゆっくりと持ち上げて、その下に枕を割り込ませた。
「一つよろしいでしょうか?」
作業を終えた魔導師は、屈んだ状態からゆっくりと立ち上がりつつ言った。
「何です」
「貴男は人間のようですね。何故人間が姫様と共に魔界に?」
「それは……」
応えようとして言葉に詰まる。イブを人間にするための付き添い、などとは口が裂けても言い出せない。先程まで、イブとその事について話していた矢先なのだから尚更だ。
「悪いようにはしません。なるべく早くに人間界にお帰り下さい。昨今のアリンスとソドルの情勢は、人間の介在する所ではありませんので」
ぴしゃりと言い切って、魔導師は部屋を後にする。
自らの心中を見透かされた様な錯覚を覚えた夢斗は、俯いたままずいぶん長い事その場で立ち尽くしていた。