第七章 第五話 武人オズワルド
イブを背にしたオズワルドは、大槍を構えてガロと対峙する。
「そなたは……。アリンス帝国の生き残りか?」
「はい」
険しい目つきでガロを睨んだまま、緊張を解くことなく答えた。
「ふむ、その容姿、その眼差し。かの大将軍、アーノルド・バンフを思い出させる。いやはや、彼の者は強かった」
ガロもまた、一切緊張を解かずにそう言った。
「父上を知っておられるのですか」
目の前で対峙する相手が、自分の父親の事を知っていることに驚く。言葉は思わず口から飛び出した。
(まさか、父上を知っているとは)
「左様。四〇年前まで、我らの名を知らない者は居なかった。かつては彼の者と共に、鎬を削ったものだ」
「……。貴方はもしや、ヒュエル・ガロ?」
オズワルドは、幼き日に生前のアーノルドからガロの事をよく聞かされていた。ソドルのヒュエル・ガロという男は強い。戦場で相見える事があれば抜かるな、と。
今は亡き父の言葉を述懐し、改めてガロと向き合った。
「左様……。そなたが懐かしき戦友の子息だとは思わなんだ」
両者の間を支配する緊張が最高潮を迎える。視線と視線、闘志と闘志、殺意と殺意がぶつかり合う。徹底的に己の武を追求した者のみぞ知る領域であった。
「では、参ろう」
おもむろにそう言って、ガロは姿を消す。次の瞬間、オズワルドもまたおもむろに槍を突きだした。理由は明確だ。姿を消した――ように見えた的の姿を捉えたからである。
高速で突き出された槍の穂先は、呪符がしっかりと受け止め無力化された。オズワルドは直ぐさま槍を引き、今度は大振りで薙ぎ払う。槍の軌道上に生えていた草が均一に刈られた。
だが、刈った草むらの中にガロは居なかった。直後、空中から降り注ぐ火の雨。垂直に跳躍したガロが、オズワルドの真上から呪符を放ったのだ。
自身の身体に火球が触れる直前、オズワルドは槍を掲げ地面とは水平に旋回させる。旋回する槍によって放射状に発生した風が、周囲にの草を撫でつける。火球は槍に触れて四散し、火の粉を散らしながら燃え尽きた。
火球が燃え尽きると同時に、ガロは次の一手を打つ。片手に五枚ずつ呪符を持つと、それらを全て刃に変えて上空から襲いかかる。それこそ、獲物を仕留める隼の如く。
火球を防いだ事により一瞬の満足感に浸っていたオズワルドは、僅かに判断に曇りが出た。とっさに槍を頭上で横向きに構える。
直後、火花と金属音。オズワルドの槍と、ガロの呪符とが噛み合う。
(これは……!?)
「ふむ……」
互いの得物越しに睨み合う二人。一分の隙も一瞬の油断も許されない世界が、そこでは繰り広げられていた。
「流石は彼の者の子息。一筋縄では行かぬ事は解っていたが、まさかこれほどとは」
ガロはそう言って跳躍し、オズワルドと距離を取る。
「貴方の武もなかなかでおられる。全力で参りますぞ」
オズワルドが更に強く槍を握りしめる。全身を躍動させての全力疾走。ガロとの距離は見る見るうちに縮まって行く。
正に闘牛の如き突進。殆ど一瞬で両者の距離はゼロになった。それとほぼ同時に、オズワルドが槍を引く。穂先の先端は真っ直ぐガロに向けられていた。
「覚悟!」
音速を越えんばかりの突き。空を裂く音が、突き出た槍の像よりも僅かに遅れて響き渡った。
ガロは瞬時に呪符を展開させ、自身の右手をかざして盾を作った。盾が完成した直後に穂先が激突し、大きな衝撃が生じる。
槍は盾を瞬時に貫通はせず、盾を少しずつ削るように食い込んで行く。その光景は正に、『矛盾』の一説を彷彿とさせた。余談だが、盾と矛との闘争は、得てして矛に分があるのが定石である。それを裏付けるかの様に、穂先が呪符を一枚一枚押しのけるようにして、じわじわと前に進んで行く。
「ほう……」
ガロはこめかみに一筋の汗を浮かべ、呪符に意識を集中する。この時、彼の顔から初めて余裕が消えた。
「このままでは、まずいな……」
呪符への集中を切らず、ゆっくりと次の一手への布石を進める。新たな呪符を出そうと、空いた左手を裾の中に引き込む。
事の進展はその瞬間だった。槍が盾を貫いた。盾を貫いた穂先は、抑圧されていた力を一気に解き放ち、弾けるようにガロの左胸へと突き進む。それは誰にも止めようのない一撃。貫かれた盾は、先刻の錘よろしく、呪符本来の姿となってあたりで舞う。
「不覚!」
ガロは双眸を大きく見開いてオズワルドを凝視する。その時には既に、オズワルドの槍がガロの胴体すらも貫いていたのだった。
「むぅ…………」
ガロの腹側から入った槍は、真っ直ぐに彼の身体を貫いて、背中側の空間へと顔を出す。それと時同じくして、大量の鮮血が舞い踊る。その多くは傷口からのもので、周囲の草をところどころを赤く染めた。
「見事…………」
ガロはそう言って、槍で貫かれたまま地面に崩れ落ちる。地面に片膝をついたとき、大きく咳き込んで吐血。彼の足下には、赤々とした液体が浅い水たまりを形成していた。
血の水たまりに横たわるガロ。彼の痩せた身体は、倒れた拍子に完全にローブの中へと収まった。漆黒のローブが鮮血の中に浮かんでいる。
「オズ!」
傍らで戦況を見守っていたイブがオズワルドに駈け寄る。消耗しているのは確かだったが、走る姿には微塵の疲れも感じさせなかった。
オズワルドは槍に付着した血液を払い、穂先を下にして草むらに伏したガロを見詰める。その表情はどこか不満げで、更に憤りも匂わせていた。どう見ても、今の戦いに悔いがあった様にしか見えない。一言で言えば、浮かない表情だった。
「倒したの?」
石突きを地面に付け、その場で憮然と立ち尽くすオズワルドにそう訊く。
「いえ……」
明らかに戸惑いを隠せない事が見て取れる口調で短く答える。
「どうして?」
彼女には状況が解らなかった。
彼はガロを確実に仕留めたはずでは無いのか。現に、ガロが倒れる光景も見たというのに。
自身の中で何度も熟慮してみるが、それでもどこか不満げなオズワルドの真相が掴めずにいた。そんな彼女に、オズワルドが告げる。
「やられました。あれは囮です。本当の姿ではありません」
オズワルドはそう言って、地面に横たわるガロを指差した。
「……」
ガロの死体は微動だにしなかった。イブは不審に思い、警戒心を解くことなくその死体を凝視する。
しばし、その場が沈黙に包まれた。なかなか真意を解せないイブに業を煮やしたのか、それとも単なる親切心からかは不明だが、オズワルドはローブを穂先に引っかけると、そのままゆっくりとずらす。ローブの中身が露わとなった。
「! これは!?」
「やられました。おかしいとは思っていました、一合目を打ち合った瞬間です」
そこには痩せた老人の死体は無かった。変わりに大量の呪符と、酷いくらいに粗末な造りの木偶人形がそこにはあった。ローブに包まれた木偶人形。それには幾重にも呪符が貼り付けられてはいたが、それ以外には一切の装飾も工夫も無かった。むしろ、木偶人形と言うよりは木ぎれの集まりと言った方が相応しいだろう。安い木ぎれに申し訳程度に針金の間接を付けただけの粗末極まりない物だった。
オズワルドは、ガロが本当の姿で無いことを知っていたのだ。武器と武器が直接触れ合った瞬間であろう。武人同士にか解らないような、微細な息遣いや熱といったものが伝わらなかったのだろう。彼は、それを一瞬で感じ取ったのである。
気が付けば、二人が血だと思っていた物は消えていた。これも呪符に込められた魔力により作り出されたものだったのである。
「……。ワタシは……、こんな木偶人形に……、夢斗をッ……」
その場に崩れ落ちたイブは、深い哀しみに暮れる。
こんな子供騙しによって夢斗を葬られ、あまつさえ自らの死さえも感じてしまったのか。そう思うと、計り知れない脱力感と無力感に苛まれた。
「……」
オズワルドは哀しみに暮れるイブの姿を、ただただ見守る事しか出来なかった。