第七章 第四話 奢り
澄んだ青空。地平線まで見通せる、緑一色の草原。それら全てが高速で流れ、今や景色として捉える事は出来ない程であった。
止まる事なく湧き出る怒り。抑えられそうにない本能の爆発。肉体と精神の隅々まで行き渡った殺意。
彼女の中では、夢斗を焼き払われた事による壮絶な悲しみと、それをごまかす為に作られた憎悪が複雑に絡み合い、殺意となって暴れていた。
「デェイ!」
両手で刀をしっかり握ると、もはや獣との区別がつかない程の甲走った声とともに振り抜く。
ガロはそれを呪符で防いだ。自身は全く動いていない。
「暴威、か……」
刀を防いだ呪符を爆発させ、静かにそう言った。
爆風がイブの頬を撫でる。至近距離の爆発であったのに、暖かい風が通り過ぎた様にしか感じなかったのである。
呪符一枚の爆発でひるむ事など、今の彼女にはありえない事だった。
爆風によって生まれた炎を掻き切るようにして、次の一刀が振られる。
「憤怒……」
刀身がガロの体に触れる直前。どこからともなく、新たな呪符が飛来し彼の身をかばった。今度は爆発せずに、その場に止まってイブの刀を受け続ける。
「悲哀……。どれがどう動こうとも、私には勝てんよ」
私には勝てんよ、の部分が強調されていた。
「殺す。何が何でも、貴様だけは!」
濃く、深く、そして美しい二つの瞳がガロを睨む。普通なら、それの持つ強烈な殺気で命を落としかねないだろう。だが、老齢な司祭は顔色ひとつ変えず、
「やってごらんよ。さあ」
半ば嘲るように言った。
「ふざけるな! 貴様に、ワタシの悲しみが解るものか!」
大声一喝。
再びイブの姿が消える。直後、またもやガロの周囲で踊る紫電。彼女は電光と化し、視認する事さえままならない速度で切り回す。
だが、ガロには通じなかった。絶え間なく、そして無数に飛び交う斬撃の中で、彼は無傷なのである。どうやら、呪符によるものだろう。辛うじてだが、紫電より早く動く何かの姿が見て取れる。
しばらくして、イブが姿を表した。相当疲労が溜っているようである。呼吸は荒く、肩で息をし、顔中から滝のよう汗が吹き出す。
「その程度の力とは。全く、奢るのもいい加減にしたまえ」
まるで、子供に説教をする様な口調である。彼女の事を見ずに、視線を真っ直ぐどこかに向けたまま、淡々と叱す。
「そなたは自らの力量もわきまえず、すぐに怒りに身を任せて暴れる。知るべきだ。そなたの力では誰も救えない。そなたの望みは叶わない。そなたは弱い」
刀を地面に突き刺してすがるイブは、ガロの言葉が痛かった。
全て事実だ。何もかもを見透かされ言い当てられ、尚且つ受け入れる事しか出来ない自分がいる。
巨石がのしかかり、杭が心臓に食い込む様だった。疲労とそれの両方が作用し、全く動けない。
「そなたは元来、姫君である。姫君なら姫君らしく、深窓の花として生きるのがふさわしかろう。世の広さなぞ知らずとも良い。そなたの最大の欠点はそこにあるのだ」
否定できない。悔しいが全て事実だった。
彼女は過去の自分を思い出してみる。
まだ幼い時、衛兵の隙を見ては城を抜け出した。剣術を学びたいと志願したのも自分からだ。他国の姫は、そんな事なしないと執事や侍女に諭された。それを振り切ってまで剣術を学んだりした。
それは、間違いなのか。いや。少なくとも、彼女の中では正解だった。何より、一人でもある程度は大丈夫と判断されるようになったし、その判断が夢斗との出会いのきっかけにもなったからだ。無論、夢斗との出会いは間違いではない。夢斗とのやり取りや生活で何度もわだかまりや行き違いが生まれたが、それを乗り越えて信頼出来る間柄にまで成長した。わずかな間に何度も自問し、『正しい』と結論付けた。
しかし、今やその結論は、過酷極まる現実に触れた事により激しく揺らいでいる。
夢斗と会えたが、死なせてしまった。巻き込んだ挙げ句、最悪の運命を辿らせてしまった。奢りによって調子づき、こうして辛い現実と対面している。
「間違い……、だったの……?」
「間違いだ」
「そんなの……」
認めない。認めたくない。認められるはずがない。
絶望的な現実と希望的見地から生み出される理想。両者の狭間で、彼女は揺れていた。
「辛いか?」
これまでの展開から大きく外れた脈絡の無い問い。イブがそれに戸惑い回答に詰まる最中、ガロが有無を言わさぬ口調で告げる。
「辛いのなら、私がここで葬ってしんぜよう」
突如、周囲の草を切り裂き、イブに近付く何か。それが彼があらかじめ仕込んで置いた呪符であることに、彼女はすぐに気付いた。たが、呪符の速度は想像だにしない程早く、何より彼女の疲労が判断と跳躍を鈍らしている。
呪符が空を裂いて迫る。空中に躍り出た呪符は、彼女の口を覆うかのように貼り付いた。
(!)
一枚目が口に貼り付いた直後、足を強烈な圧迫感が襲う。
彼女の足の甲には逆U字型に曲がった呪符が枷となり、両端を地面に食い込ませていた。両足に一枚ずつ、だが、一枚分とは思えない強烈な圧力。
声が出せない。足も動かせない。自由が利かない。気付けば刀を持っている方の腕に、呪符が深く食い込んでいた。
イブは痛みによって腕の状態を知る。しかし、もう遅かった。呪符で縛られた彼女を目の当たりにし、ガロは新たな一手を刻んでいたのだった。何枚かの呪符が錘の様に丸まって、彼女の心臓を真っ直ぐに狙い澄ます。
「さらばだ、真紅の姫君よ」
錘が左胸に向けて飛んでくる。残像が見えるほどの速度で迫り、距離は刻々と縮まる。
(嘘よ!)
こんな所で死ぬなんて、嘘としか思えない。
蘇る今日この瞬間までの記憶。死を悟った時に見える走馬燈。時間がやけに遅く感じる。
目の前には呪符の錘と、ガロと――
何かが彼女の頬を撫でた。風だ。何の? 自然と吹きすさぶ風ではない。もっと、何かが動いて吹くような。
(え……!?)
信じがたいことであった。錘の真横を何かが貫いたのだった。比喩ではない。真横から一撃で。
(誰? 何?)
突如現れたそれ。それの外観を捉えるのに、彼女はずいぶんと時間を要した。
筋骨隆々。がっしりとした長身。褐色のたてがみ。側頭部から生える二本の猛り狂う角。隻眼。重厚な大槍。人型の牛がいたらこんな感じだろう。灰を基調とした胴衣に身を包んだそれを、彼女は良く知っていた。
錘は大槍の突撃により力を失い、ぱらぱらと宙を舞う。もはやそれに魔力の類は無く、それこそ符本来の姿に戻った様だった。
「何奴……」
ガロは明らかに驚いてはいたが、身じろぎひとつしなかった。灰色の瞳で、真っ直ぐにそれを見据える。
「オズ……?」
いつの間にか呪符ははがれ、彼女はそう呟くことが出来た。
「姫、お久しぶりです」
それ――オズワルド・バンフはそう言って微笑むと、大槍を握りしめガロに向かって行った。