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第六章 第七話 哭

 二人の晩餐は終わった。既にテーブルの上に食器はなく、その代わりにシンクの中が食器で満たされている。

 日は沈み、世界はうっすらと闇に染まる。そんな外の世界とは裏腹の室内には、白色灯が煌々と灯っていた。

 イブと夢斗はリビングでくつろいでいた。明日に備えて早めに寝るべきなのだが、ただ何となくまだ起きている。脚を広げてソファの背もたれに肘をかけ、背中を反らし天井を仰ぐ夢斗。イブといえば、その隣で物静かに座っていた。二人の間に会話は無かった。互いに険悪なムード、という訳ではなかったが、互いが牽制しあうように押し黙っていた。

 こんな状況になってからどれだけの時間が経過してからだろうか、この雰囲気を打破するかの如く、イブが会話の先端を切った。

「夢斗。明日から魔界に行くけど、気分はどう?」

 単に意気込みを聞きたいが故の質問。

 夢斗は天井を仰いだまま一考し、

「なんだろうな。たのしみ、な訳はないけど、どことなく緊張してる……。あと、やっぱ不安だ」

 右手の甲を額にあて、瞑目した。

 やはり緊張と不安が先行している。それも当たり前だろう。初めてで、なおかつ物騒で得体の知れない土地に行くのだ。緊張しない訳がない。

「そっか、そうだよね」

「イブはどうなの? 里帰りでもあるだろ」

 右手を額から離し、ぼんやりとした眼差しで天井を見上げ、聞き返す。

「確かに里帰りだけど、複雑ね。滅んだからか、それとも人間に転生するからかどうかは解らないけど、ほっとしないの」

「そうなんだ……」

 イブの返答の重々しさに、再び沈黙が訪れる。

 ややあって。

「不思議なものね。今日の朝には希望で胸がいっぱいだったのに、今では不安が増えているの。ほっとしないのは、きっと不安のせい――。本当は、滅んだ国を見るのが辛いの――」

 次の瞬間。イブは夢斗の腕に縋り付いた。

 滅亡が脳裏に過ぎってから押さえていた感情がこみ上げてくる。厄介な事に、止まらない。彼の腕に縋り付かせたのも、多分押さえてきた感情のせいだ。

「怖い。荒れた土地に、みんなの亡きがらや、ボロボロになった町並みがあると思うと、本当に――。もしかしたら、人間になるのも無理かも知れない。それに、夢斗にも危害が及ぶかも知れないの。本当に、怖いの」

 彼女の本心だった。元来、静かな感情の奥に、限りなく深い愛を持っている彼女である。愛してきた物の無惨な様や、愛する者の傷つく姿は、本当に辛い。そんな最悪の光景を思い描くと、自分の身を引き裂かれた様な感覚に苛まれる。すがりたくて、しがみつくたくてしょうがなかった。

「イブ……」

「怖いよ。めちゃくちゃになってる世界を見るのが――」

 自然と溢れてくる涙。どこからともなくこぼれる弱音。隠しきれない頼りなくて情けない自分。どれも止める術が無かった。今出来ることは、ただ感情に流されるだけである。

 大事な旅立ちの前に、こんなにも情けない姿を晒してしまった。ああ、これまでは。ずっと凛とした姿を見せていたのに。こんなでは軽蔑される。信用も、信頼もして貰えない。築き上げてきた物が、音を立てて崩れ去っていく気がする。でも、この感情は抑えられない。

 醜態を晒し、自分への嫌悪感に打ちひしがれるも、無様な姿でいるしかないイブ。そんな彼女への夢斗の反応は、彼女の一番予想し得ない意外なものだった。

「なんて言っていいのか解らないけど、辛かったね、イブ」

 暖かくて優しさに満ちた腕の体温。それがイブの背中を覆った。そして、しがみついていた腕も、同じように背中へと回される。

「俺はさ、イブみたいに強くないけど、でも、イブの気持ちは解るよ。だからさ、もう何も言わなくていいから、気の済むまでこうしていようか?」

 暖かい。それも、これまで経験しなかったくらいに。どこまでも優しくて暖かくて、それでいて頼りがいがあって。もう、ダメだ。これ以上は――

 イブの中で、何か張りつめていた物が一気に弾け飛び、音を立てて崩壊し、解き放たれた。

「――っ!」

 溜めていたもの、我慢していた事、何もかもが解放され、部屋には乙女の哭する声が響き渡った。


 しばらくして、乙女の泣き叫ぶ声は聞こえなくなった。その代わりに、彼女の両目の下にはくっきりと涙の跡があった。

 泣くだけ泣き気分がすっきりしたイブは、夢斗に連れ立たれてリビングを後にし、部屋で休んでいる。

 内心、少し良かったと思っていた。また新たな彼女の一面をかいま見れたからだ。イブは国や国民を想う気持ちが強すぎる。その反動が先の大泣きであった。それに、大声で泣くのは、安全な所でやられた方が断然良い。これが魔界に行った後だったり、敵と戦っている最中の事であったりしたら。その事については考えるも恐ろしかった。

「さて、俺も寝ようかな……」

 夢斗の部屋の時計は、六時を少し回っていた。

 明日からは、こんな風に寝られなくなるかも知れない。それに、寝ることすらままならなくなるだろう。安らかな眠りとは、今日でしばらくお別れだ。思いっきり寝て、その分明日に備えよう。

 そう思って、部屋の電気のスイッチに手を伸ばした。その瞬間。

「?」

 机の上の携帯が鳴った。

 不可解だった。何故なら、自分の知り合いからの励ましのメールは、午前中に来るだけ来た。今になって新たに届くのは、どう考えても不自然だった。

「誰だ?」

 携帯を手に取り、受信したメールの確認をする。この時は、メールの送り主が誰だか解っていなかった。

「……っ!?」

 送り主の名が、液晶に浮かぶ。『小出園美』。忘れかけていた名前だった。学校に行かなくなった前日以来。

 見ないでおこうと思ったが、いつもの習慣からか、いつの間にか内容に眼を走らせている。

『いるんでしょ。今すぐ家から出てきて』

 文面はそれだけで、絵文字や顔文字の類は見られなかった。必要事項のみが綴られた、一切の無駄の無い文面。それが、夢斗を逆に恐れさせた。

 まさか、こんな問題が残っていたなんて。

 応じるべきか否か迷ったが、応じることにした。自分が部屋にいることを知っていると言うことは、向こうは少なからずこちらを監視できる場所にいるだろう。そうなると、こちらはいないと言い張れない。部屋の電気は煌々と灯っていたし、つい数分前まで、イブの鳴き声が漏れていたのだ。それに他の生徒へ表向きの言い訳では、自分は既に日本を発っている。

 携帯を元の位置に戻すと、彼は覚悟を決めて玄関へと向かった。

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