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第六章 第六話 夕暮れ時の晩餐

 夕刻。沈みかけた太陽で朱色に染まる町。彼の部屋も、今の町によく似た色に染まっていた。

「準備よし」

 ボストンバッグの中には、数日分の着替え、洗面具、包帯や消毒液などのメディカルキット、日持ちする食品などが詰められていた。

 イブとの協議の結果、出発は明日の早朝に決まった。これから早めの夕食の後、明日に備えて寝る事になっている。

「さて、そろそろ鍋の方は完成かな」

 ドアを開けて廊下へ出る。その瞬間、何かを煮詰める匂いが漂い、鼻孔をくすぐる。

「うん、こんな感じだな」

 コンロにかけられた鍋のふたを開ける。立ち込める湯気と香りの中、だし汁を吸って褐色に染まった大根と、ぶつ切りの鶏肉が煮詰まっていた。

 鼻と目で確認した後、今度は舌で確認する。適当な大根を箸でつまみ、それを口へ。歯を突き立てると、大根の中でくすぶっていただし汁が、力強く吹き出し口腔を満たす。醤油とみりんの塩梅も丁度良い。

「ん……。よし、良い感じだ」

 小さくガッツポーズし、次に鶏肉に手を出す。これもまた、適度にだし汁吸いつつ、肉本来の持つうま味を忘れてはいなかった。両者が丁度良く混じり会っている。

「旨い。よし」

 コンロのつまりをひねり、火を止める。大きめのお玉で中身をすくい、左手に持っている底の深い皿に盛り付ける。ある程度すくったところで、鍋に残るだし汁ごと注ぎ込む。

 そのおり、

「いい匂いね。できたの?」

 先ほどまでシャワーを浴びていたイブが姿を見せた。

 キッチンからダイニングテーブルに皿を運び、更にもうひとつつまみながら答える。

「うん。出来たよ」

 テーブルの上には先ほどの煮物と山盛りの春雨サラダ、ご飯と三つ葉の澄まし汁が並んでいた。

 ここまで豪勢な食事は、もうどれだけご無沙汰だろうか。バイトを始めてからは、バイト先で出るまかないで夕飯を済ましていたし、元来、親の帰りが遅かったり帰って来なかったりの生活のため、ほとんどコンビニの物であった。

「さて、食べようか」

「そうね。いただきます」

 二人は向かい会って席に着き、晩餐を前にして一礼した。

 箸で料理をつつき、他愛ない話題で談笑する。これまで色々な事があったとか、これからもよろしくだとか、そういった内容だった。

 あらかた食事が終わり、卓上の皿に隙間が目立ち始めた頃、イブが重々しく切り出した。

「それで、準備は出来た?」

 既に自分の食事は終わり、背もたれに身を預けていた夢斗は、話の内容が魔界行きに関わっていることを感じ取ると、直ぐさま姿勢を正した。

「ああ、あらかた終わったよ」

「そう。なら良いの」

 お椀の中の澄まし汁を飲み干す。しばらくして、適度な満腹感を感じると、お椀と茶碗を重ねキッチンへと運んだ。

「イブ。俺が片付けるからいいよ。イブは、早く寝た方がいいって」

 彼女の横に立ち、スポンジを横からつかみ取る。

「わかった。じゃあ、後はお願いね」

「任せて。ちょっと早いけど、おやすみ」

「うん、おやすみ」

 イブはそう言うなり踵を返し、自分が寝るための部屋へと向かった。

「明日からは、こんなのどかな日常は……」

 彼女は静かに呟き、覚悟を決めていた。ここで平穏と別れを告げ、明日から戦乱と再会するのだと悟る。どこか思い詰めた顔つきだった。

 そんな事実を微塵にも知らなかった夢斗は、鼻歌交じりに洗い物を済ませていった。


 放課後。西日の注ぐ街。そこに、一人の少女が歩いていた。

 何かを思い詰め、覚悟を決めた様な顔つき。足取りに迷いはなく、ただ一直線にある男の家に向いていた。

(これ以上、振り回されたくない)

 園美の瞳には殺意がみなぎっていると言っても過言では無かった。それほどまでに強く、怒りに染まった瞳。その怒りの矛先は、他の誰でもない夢斗であった。

 許せなかったのは、イブとかいう女と付き合っているということではない。いきなり訳の分からない事を暴露し、姿を消した後は『別れよう』のメール一通だけ。こんな一方的な別れ方に腹が立ったのだ。メールが来たときから怒り心頭で、その返事すらする気が無かったが、それでも学校では隠していた。しかし、今日の休学報告は一体なんだ? 一つの相談もしないで、勝手に休学するなどと――

 合って、事実を確かめたかった。目の前で解るように説明してもらい、そこで改めて二人の今後について話して欲しい。それだけだ。

(ちゃんと、話してくれればいいの)

 沸々と湧き上がる怒りは、事実を知りたいと思う気持ちの成れの果てであろう。それだけ、夢斗を想う気持ちが強いのである。

 人々の行き交うただ中を一人突き進み、いつしか夕刻の街に消えていった。

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