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第六章 第三話 各々の準備

 二人がマンションに帰り着いた時、時刻は七時を少し回っていた。

 帰り着くなり、夢斗は自室に転がっていた鞘を取ると、直ぐさま剣を鞘に収めた。もはや、行き場の無い怒りや耐え難い理不尽は存在しない。暴威に染まった刃は無いのである。

 涼やかな金属音が響き、刀身がしっかりと鞘に収まる。もう、昨日みたいな馬鹿な事はしない。次から剣が抜かれるときは、それは彼女を守り、共に戦うときだけだ、と彼は肝に銘じる。

 感慨深げに竜の彫刻と眼を合わす。だが、瞳からの呼びかけは無かった。それは恐らく、夢斗の心中のもやや、精神の乱れが無くなったからであろう。

 剣を机の上に置く。少し音がしたが、それ以外は何も起きなかった。精神は平静を保っている。

 その時、背後から足音と呼びかけが聞こえた。

「夢斗。学校は?」

 振り向くと、そこには着替えを手にしたイブがいた。察するに、これからシャワーでも浴びるのだろう。

 しかし、そんな事にはさして気に留めず、彼は指摘された事だけに思いを巡らした。思えば、自分が学校を飛び出してから既に三日は経過している。訳の分からぬまま姿を消し、しばらく家に引きこもっていた自分に対し、学校では様々な紆余曲折が飛び交っているかも知れない。クラスメイトからの連絡も全て無視しているし、園美の反応も気になる。そんな事を思うと、これから支度をすることに気が引けた。

 逡巡する夢斗を見ていたイブは、少し視線を逸らして言った。

「一応、学校に人に断っておいた方が良いと思うんだ。少なからず、長引くと思うから」

「長引くって、どれくらい」

「正確には分からないけど、早くて一週間、長くて一ヶ月以上。何しろ、ソドル王国そのものが相手と言っても過言ではないから」

「ちょっと待った。ソドル王国が敵ってことは、少なからず国家レベルの戦いだろ。二人でどうにかなるの? それに、イブの国は滅んじゃったんだろ。国対国の戦争だったらまだ解るけど、たった二人でどうにかなるの?」

 なるはずは無い。こちらの勢力は今は無き国の姫と、未熟な青年だけだ。

 しかし、イブには何かしらの考えがあるようだった。

「そうね。でも、ワタシも馬鹿じゃないわ。自分がどこの誰と戦おうとしてるのかは知ってるし、自分と相手の力の差もわきまえてる。でもね、一つだけ望みがあるの」

「望み?」

「そう。たった一つだけど、その分何よりも強く輝く、たった一つだけの可能性……」

 顔を上げ、自信と希望に満ちた表情で夢斗と向き合う。眼光は柔らかで優しいとさえ感じれるが、決してそれだけの眼ではなかった。

「それは、一体……」

 その自信はどこから来るのか。その希望は何が裏付けなのか。そんな疑問を投げかけるようにイブを見るが、彼女はそれを素っ気なく無視した。無視と言うよりは、先送りにした感じだった。

「その事については、後でゆっくり話しましょう。今は、お互いの準備に専念すべきだわ」

 そう言って踵を返すと、彼女はバスルームへと向かった。

 イブが無策で、回答に詰まった挙げ句の先送りではないことは解った。それを踏まえ、夢斗は部屋のドアを閉め、学校に行く準備を始めた。


 放射状にもうけられた穴からは、無数の水泡が放たれ、それがなめらかな肢体に当たって落ちる。もうもうと立ちこめる湯煙の中で、イブは物思いにふけっていた。

「さて、思い通りにいくかしら……」

 彼女の身体から、昨夜の戦闘の傷は消えていた。元々は悪魔であり、魔力もある。その手の呪文を唱えれば、ある程度の傷ならほとんど一瞬で癒える。その分精神が疲弊し、後で無性にだるくなったりするのだが、幸いそのような事はなかった。

 その時、玄関の扉が開き閉まる音がした。夢斗が出かけたのだと判断すると、それがきっかけとなって、渦巻いていた思案の霧がいくらか晴れた。

「考えるのは後ね」

 そう言ってバスルームの戸を開ける。バスルームに立ちこめていた蒸気が一気に解き放たれ、洗面所の鏡を白く浸す。

 彼女はバスタオルを胴に巻き、胸元で縁と縁を軽く縛ると、しばし曇った鏡に映る自分と向き合う。濡れた髪が首筋や耳に貼り付き、全身が火照って赤らんでいる。細くしまった脚と腕。程良くついたバスト。ウエストのしまり具合はタオルの向こう側だったが、以前見たときの記憶が思い出される。どれも、さして変わってはいなかったが、ただ一つ、眼だけが違って見えた。ここに来てすぐより、少し生気が戻り活き活きとしているようだった。

「心配事はなさそうね」

 そう言うなりタオルを床に落とすと、いそいそと着替えを始めた。

 暫くして、着替えを終えた彼女は、ほのかな湯気をまとってリビングに現れた。

 リビングには暖かく柔らかな朝の陽光が降り注ぎ、室内を優しく染める。

 一息ついてソファに腰掛けると、これまでの事を思い出した。

 これまでの間、実に沢山の出来事が過ぎ去っていった。夢斗と出会い、共に戦い、想いを伝え、そして不釣り合いや行き違いも経験した。そしてまた、彼ともう一山越えようとしている。

 彼にはまた、普段は経験しえない様な苦労や迷惑を掛けてしまうかも知れない。しかし、その事を口に出した時、彼は戸惑いながらも理解し、協力するとさえ言ってくれた。それは彼の優しさか寛大さから来るものかは良く分からないが、それでもありがたかった。また裏切りがあるかも知れないが、その可能性は流石に低いだろう。あれほど深く悲しみ後悔すれば、それを繰り返そうとは思わないのが普通である。

「迷惑、掛けっぱなしだな……」

 伏し目がちにそう言った。

 もしかしたら、彼は魔界行きを断るかも知れない。それに対し、『しょうがない』と諦める覚悟もあった。その時は自分だけで帰り、転生を済ましてから人間という姿でまた会おうと決断する覚悟もだ。何より、ガロから呪符をもらった瞬間に、帰ろうという意思は固まっていた。それに夢斗が賛同するかどうかの問題だった。

「本当にゴメンね……」

 夢斗に対する申し訳なさから、自然と声が出てしまった。しかし、それを聞いた者はいない。魔界に行く時にそう言おうと、彼女は固く誓った。

「さて、夢斗が帰ってくるまでに準備をしなきゃ」

 ソファから勢い良く立ち上がり思い切り伸びをすると、魔界行きの支度を始めた。

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