第一章 第二話 邂逅
夢斗は走る。くり抜かれた記憶の置き場所を求めて。
そこがどこかは解らない、思い出せない。けど、何もしないよりはましだ。何より、自分の記憶がくり抜かれた事への気味の悪さから逃げたかった。だから、今、こうして走っている。
夢斗が走り出してから程なくして、路地裏の少し開けた空間に出た。
「はあ、はあ、はあ……」
両膝に手を付き、荒げた息を吐き出す。
ビルとビルに囲まれ、無機質な壁やパイプが支配する空間。そこに彼はいた。
「……」
夢斗はしばらくの間、そこに立ち尽くしていた。
ふと、月を見ようとして空を仰ぐ。しかし、月は見えず、変わりに得体の知れない生き物がビルの屋上に立ち、月の光を遮っていた。
「なんだ……、アレ……?」
息を呑む夢斗。ビルの屋上のそれは、彼を真っ直ぐに見据えているようだった。
「逃げなきゃ……」
言い知れぬ恐怖に圧倒される。繁華街の例の一行など問題にならないような気がした。夢斗は振り返って走り出そうとしたが、足が動かない。蛇に見込まれた蛙さながら、動くことが出来なかった。
瞬き一つ許されなくなった夢斗の眼には、謎の生き物が映る。
腰を曲げた二足歩行の生き物は、やたらと肩が張っており、頭部からは角らしき物が生えていた。腰を落とし、腕をだらりと下げ、首は不安定に揺れている。
次の瞬間、生き物の頭部から二つの光が放たれた。
謎の生き物は曲げていた膝を一気に伸ばし、夜空へと跳躍した。虚空に躍り出た生き物は、下げていた腕を大きく開き、鋭い爪を露わにした。
「あ……、ああ……」
夢斗は動くことが出来ず、その場で尻餅をついた。
生き物の爪が白く光り、二つの光が真っ直ぐに夢斗に向けられる。
二回の地響き。それが生き物の作り出したものだと認識するのに、さほど時間は要さなかった。
生き物は夢斗の目の前に着地。その衝撃で、足下の埃やごみが巻き上げられる。生き物の身長は夢斗より遙かに大きく、優に三メートルはある。二つの光が間近にあった。
夢斗はここにきて初めて、二つの光が生き物の眼であることを知った。
二つの光がより一層の輝きを見せ、生き物の爪が高く掲げられる。
「う……、うわああああ!」
夢斗は悲鳴を上げ、両腕で自らをかばおうとする。
そのおり、夢斗の頬を撫でる。一筋の風が吹いた。
夢斗は恐る恐る、固く閉じた瞼を開ける。すると、そこには着物の女性が、刀で生き物の爪を防いでいた。
「早く逃げなさい!」
女性の赤い眼が夢斗を捉える。
夢斗はいきなりの事に戸惑い、何も出来なかった。
「早く!」
女性は右足で、夢斗の事を軽く蹴飛ばした。
夢斗はそれで我に返り、素早く起きあがると女性と生き物から離れた。
女性は夢斗が離れたことを見届けると、おもむろに刀を一閃させ、生き物の右手首を切り落とす。
「ぎぎゃああああ!」
生き物は奇声を上げた。手首を失った腕の切り口からは、赤黒い血がダラダラと流れ落ちる。
女性はひるむことなく、再び刀を一閃。すると、今度は左肩から右の脇腹にかけて斬りつけた。手首の時と同じく、赤黒い血が切り口から溢れ出る。
「まだまだ」
女性が一歩踏みだして切り上げると、生き物の右腕は完全に無くなっていた。切り口からの出血は止めどなく、切られた腕はどさりと落ちる。
生き物は苦痛に身悶えしながら後ずさり、妖しげな光を放つ眼で女性を見た。直後、生き物は残りの腕で女性に襲いかかる。
女性はその一撃を半身でかわすと、生き物と一気に距離を詰めた。そして、再び一閃。
夢斗が女性と生き物が密着状態にあることを悟ったとき、生き物の胴体が斜めにずれ落ち、吹き出す血と共に月夜に照らされている光景を見ていた。
夢斗が女性の強さに圧倒されている間に、女性はずれ落ちた生き物の頭部に刀を突き立てる。頭部を貫かれ、生き物の眼から光が消え、それとほぼ同じくして刺した部分から血が飛び出る。
「何が……、どうなって……」
夢斗がそう言うのと、生き物の残りの体が倒れるのとは、ほとんど同時だった。




