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第五章 第八話 既存の問題と新たなる問題

 夢斗はイブの息の根を止めるべく、彼女の追跡に徹していた。途中、彼女がこちらの追跡に気付いたり、繁華街への電車代をせびりに来る可能性があることを考えたが、『その時はその時で殺せばいい』と開き直り、更に歩を進める。

 家を出てから数分。駅に行く途中の十字路でイブを発見した。彼女は十字路の中央で立ち止まり、こちらに背を向けていた。

(しめた)

 と、確信する。

 このまま後ろから近付いて、心臓を一突きにしてしまおう、というプランが浮かんだ。

 そうなると早かった。柄をしっかりと握りしめると、切っ先をまっすぐイブに向け、迷うことなく走り出す。二人の距離は一〇メートル弱。ほんの四、五秒で到達しうる距離だった。

(死ねえ)

 彼はイブの死、そして不幸の元凶の消滅を確信する。目の前には無様にも無防備な背中をこちらに向けるイブがいる。足音が立っているかどうかは気にならなかった。仮に立っていたとしても、気付く前に殺せると信じていた。

 そのおり、突然彼女が動く。彼女が十字路の右の分岐に体を向けたのである。むこうの目立つアクションはこれきりで、そのまま道の奥を凝視して動かない。しかし、『気付かれた』と直感した彼は、とっさに電柱の陰に身を隠す。

(気付かれただと。そんな馬鹿な)

 夢斗の心中は激しく揺れ動く。

 彼女の戦いにおける感覚と、相手の気配を伺い知る能力は自分も良く知っている。それ故に、電柱に隠れざるを得なかった。その時のイブと言えば、ただひたすらに闇と対峙し、夢斗の存在や殺気は微塵にも感じ取っていなかった。

 心臓がこれまでになく激しく脈打ち、全身を激流の如き勢いで血が巡る。鼓動が一々頭蓋骨の中で木霊し、脂汗が額を満たす。言い知れぬ恐怖に襲われて、それが瞼をこじ開けている。

(クソ。なんて勘の良い)

 剣の柄と掌の間に汗が溜まり、蒸れ始めている。いざとなったら滑るかも知れない。しかし、気付かれた事に対するショックの方が大きく、その事に気を配る余裕は無かった。

 十字路の方からはイブの足音が聞こえる。彼女の靴底とアスファルトの擦れる音が、彼の恐怖を何十倍にも増長させる。

「……」

 あまりに切迫した恐怖に、心身共に沈黙する。

 しかし、足音は次第に遠ざかって行く。すると、緊張が一気に解け、思わずため息が漏れ、その場に力無くしゃがみ込んだ。

 足は震え、体中に汗のぬめりと冷たさを感じる。未だ、心臓の鼓動は収まらず、しつこくドクドクと脈打っていた。

 フルマラソンの直後のような余韻に浸るうち、足音は完全に聞こえなくなる。

 暫くして、ようやく落ち着きを取り戻した。脈拍は通常値に近くなり、汗もすっと引いていた。しかし、新たな感情が生まれつつあった。

「何で、イブに見付かることを怖がったんだ……」

 静かに呟く。

 その答えはすぐに出た。自分は心の奥底で、イブを殺したく無かったのである。

 だが、イブに対する激しい憎悪が、良心の答えを否定しそれに背を向ける。悪意の激しい呵責が容赦なく襲いかかる。先程の小さな呟きが、何度も何度もエコーしていた。

「チクショウッ」

 後悔。憎悪の呵責。僅かな良心。自分の中の真意。それら全てが葛藤し、どす黒い渦を巻くと、彼はそれに耐えられず、僅かな呟きと共にアスファルトに拳を突き立てた。

 呟きは闇に包まれる様に消え、拳の痛みがそれに反比例して増していった。


 呪符が戦闘に用いられてから、戦況は前にも増してガロに傾いていた。彼の呪符の扱い方は巧妙かつ芸術的な波があり、全てにおいて一切の隙が無かった。

「まだまだであるよ」

 そう言って、周遊する呪符を一枚手にすると、おもむろに放る。放たれた呪符は、流星の如く炎を纏うと空中で離散し、無数の火球となってイブに襲い掛かる。

(また!?)

 火球の直撃を避けるため、イブはコンプレッサーの陰に飛び込んだ。しかし、一つの火球が彼女をかすめ、服の裾が焦げた。慣性の法則に従って暫く床を滑ると、勢いが消えた所で先程まで自分のいた空間に目をやる。すると、残りの火球はそのまま飛び去り、空中で呆気なく燃え尽きた。

 物陰で安堵するもつかの間、新たなる刺客が彼女の前に現れる。一枚の呪符が別の機械に突き刺さるのを視認した直後、符に描かれた文字や模様の僅かなずれに気付く。

(これは? しまった!)

 それが二枚重ねの呪符であることに気付いた瞬間、身を翻して走り出す。刹那、背後で竜巻が発生し、彼女の体を宙へ軽々と舞い上がらせた。

 機械に突き刺さった呪符は、さしずめ二枚目の移動と意識の陽動を兼ねた物。そして、一枚目の符に貼り付いた二枚目が、攻撃用の符。物陰に身を潜める敵には、一度懐まで潜り込ませてからの一撃が、非常に有効に働く。ガロは、それを知り、狙っていたのだ。

 風に煽られ、空中で何度もきりもみしながら、イブはガロの姿を探す。すると、彼はまた新たな呪符に手を伸ばし、それをイブに向けて放つ、正にその瞬間だった。扇状に呪符を持つと、すぐさま横薙ぎに一振り。五枚の呪符が直線と曲線の軌道を交互に描き、迷うことなくイブに迫る。

 彼女は呪符の一枚一枚が、鋭利な刃物になっていることを直感した。しかし、空中で竜巻に弄ばれているため、身動きが全く取れない。きりもみしながらの視認だったため、放たれた呪符が五枚であることすら疑わしい。だが、この際枚数などどうでも良かった。今現在の危機的状況の打破に精一杯だからだ。

(なんとかしないと……)

 突如、風が止んだ。呪符の効力が切れたのか、それとも飛来する呪符の攻撃の妨げになるからか。事情は様々であったが、とにかく風が止んだ。

 しかし、その瞬間、五枚の呪符が一斉に、示し合わせかの様にイブに牙を剥いた。

 ガロを見ながら落ち始めていたイブに、呪符の襲来は確認できたが、それを避けるために身を動かす時間は無かった。四肢や胴体を情け容赦なく呪符が通過し、鋭い痛みが走る。

「痛っ……」

 彼女が正真正銘身を切る痛みに喘いだ直後、固い床に叩きつけられる。

「ううっ……」

 続けざまに襲ってきた激痛に表情を歪め、自然と苦悶に満ちた声が漏れる。

 重く鈍い痛みの後に、鋭い痛みが思い出した頃に再来した。腕と脚、それと左の脇腹から、血の感触が伝わる。傷は深く無かったが、その分鋭い痛みがいつまでも響いていた。彼女と僅かに遅れて、愛用の刀が落ちる。いつの間にか手放してしまったのであろう。刀は刃の方を下に向けて落ちてきたので、床にざくりと突き刺さる。位置は、数メートル先。手を伸ばしても到底届く距離ではなかった。

 彼女は刀の突き刺さる音で我に返り、固い決意の元、意識だけははっきりさせる。体中がずきずき痛むが、まだ命に関わるレベルでは無いことに気付く。臥したまま拳を握りしめ渇を入れると、傷ついた脚を庇うようにしてゆっくりと立ち上がった。目の前には、呪符と狼牙棒を構えるガロがおり、二人の中間地点に刀が刺さっていた。

 二つを交互に目をやる彼女に、ガロが語りかける。

「そなたの強さはわかったよ。そなたでは私を殺すことはできない」

 左腕の傷口を抑えながら、彼女は黙ってそれを聴いていた。そして、数秒おいて口を開く。

「だったら、それがどうしたと言うの……。ワタシをこれから殺す……?」

「それはあり得ぬ。私に弱者をいたぶる嗜好は無い」

「じゃあ、どうする気?」

「帰るとするよ。私の故郷に」

 そう言った後、彼の周りの呪符の周遊速度が速まり、徐々に彼の周りに膜を張るように包み込んでゆく。

「そうだ。そなたにこれを渡しておこう。そなたも故郷に帰りたいであろう」

 直後、イブの前に一括りの呪符が現れた。呪符は暫く彼女の眼前にて浮遊し、その後魂を抜かれたかの様に床に落ちる。

「では、ご機嫌よう」

 次の瞬間、ガロの体は無数の光に包まれ、幾つもの閃光を放つ。イブはまぶしさのあまり瞼を閉じるが、目の前の光景を自分の経験と重ね合わせた。きっとこれが次元転換の光、と確信しつつ、顔を腕で覆った。それでも、瞼越しの閃光は明るく、暗闇の世界を朝焼けの様に照らす。

 ややあって、朝焼けが元の暗闇に戻った所で、彼女はゆっくりと瞼を開けた。目の前に老司祭の姿は無く、自分の刀と残された五枚の呪符があるだけだった。傷口は相変わらず痛みを電気信号に変えて脳に伝え、鮮血を滴られるが、今の彼女はそれを無視した。そして、いつしか煙の様に消えた殺意とそのあっけなさに、ただひたすら呆然とする。

「はあ……」

 深くため息をつく。重圧やプレッシャーから解放された時のようなリラックスしたため息。 しかし、ぬぐい去れない不安もあった。目の前の残された呪符や、夢斗の事。祖国の現状など不安因子は様々で、先程のため息は一過性のため息であることに気付く。確かに、あの男はここから居なくなった。しかし、死んだわけではない。それに、仮に殺せたとしても、それからが解らない。冷静になって考えても、糸口が見付からない。

 俯き渋い顔であれこれと思案するが、考えることさえ億劫になる。いっそ、ここに横たわり、朝まで一眠りしたいと思った。しかし、起きたら起きたで別の問題がやってくる。結局、自分は何から何まで、不安と問題に苛まれるしかないのだ、とそう痛感した。

「どうしよう……」

 自然と零れた言葉。正に、今のイブの心情をストレートに表していた。

 その時、また新たな問題が発生した。

 工場の入り口に見覚えのある男。

「え?」

 とにかくここから離れよう、と思っていた彼女が振り返った瞬間に、その男が視界に飛び込んできたのだ。

 学校の制服。少し乱れた感じの髪。そして何より、自分の家の家宝の剣。

「夢斗……」

 信じられない訳ではなかったが、それでも意外性は一番だった。双眸を大きく見開き、痛む体を引きずって彼に歩み寄る。

 二人の距離が縮まり、互いの顔が判別できそうな位になると、俯きがちだった夢斗はゆっくりと顔を上げた。

 邪念と殺意に満ちていた。

「なんで……?」

 彼は刀身の剥き出しになった剣を振りかざし、一気に走り出して彼女に斬りかかった。

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