第五章 第七話 不可解な強さ
イブとガロは至近距離で睨み合う。鍔迫り合いだ。
最初に動いたのはガロだった。その証拠に、イブは刀を抜いた位置から寸分も動いていなかった。
自分から刀を抜いたのに、随分と惨めな格好になってしまった、とイブは歯軋りしながらガロを睨んだ。
「ふむ」
ガロはとても小さく、言った本人しか聞き取れない位小さく洩らした。
「中々やるようだね。流石はイブ姫」
彼は後ろに跳んで、イブと距離をとる。
「これほどの手応えを感じたのは、アルバ様以来だ」
狼牙棒を高速で回旋させる。それと共に、足元の埃が舞い上がり、ガロの周りの空気の流れに従い、それを顕著に表す。体の正面、側面、頭上と順々に位置を変え、ある一点に達した瞬間、それを横薙ぎに振るい、静止させた。すると、先程まで気流に翻弄されていた埃が、余韻に浸って漂い出す。
「さあ、参られよ」
皺の奥に隠れた瞳でイブを睨んだ。
多く、武術にその身を投じる者は、戦いの直前や最中で、こうしたアクションをとる。これは相手への威嚇と、自分自身の戦意を高揚させるウォーミングアップを兼ねている。また、静止した武器をいきなり振り回すよりも、ある程度の勢いを付けた方が破壊力が増す。一見、些細で無駄とも見えるこの行為は、結果的には理にかなっているのだ。
ガロは悠然と得物を構える。
彼の準備は万端だったが、対するイブは動き出せずにいた。彼と一合目を打ち合った瞬間に、相手のレベルの高さを直に体感してしまったのだ。しかし、彼女の闘志と憤怒は収まらず、目の前の脅威に立ち向かう、という選択を下した。
イブは柄をぐっと握りしめると、ガロを睨み付けた。次の瞬間、彼女は一気に間合いを詰め、ガロに肉迫するや否や斬りつける。しかし、彼女の攻撃はいとも簡単に無力化された。先程と同じ様に、狼牙棒の先端が刀身を捉える。
ガロはイブの顔を下から覗き込むと、不敵な笑みを浮かべた。
「くっ……」
その笑みに、自分の全てを見透かされた様な気になったイブは、その場から素早く離脱し、次の一手を思案する。
しかし、ガロはイブに一刻の猶予も与えなかった。老人とは思えぬ程の勢いでイブに迫る。刹那、ガロの狼牙棒がイブの鼻先を掠めた。
「!?」
イブの顔全体に風圧がかかった。とっさに身を引かなければ、頭は粉々に砕かれていただろう。
ガロは攻めの手を休めなかった。返しの一撃が、再びイブを襲う。今度は彼女の下肢を狙っていた。どうやら、彼女の機動力を削ぐ為の攻撃である。
イブは跳躍でその一撃をかわすした。しかし、矢継ぎ早に次の一撃が襲い掛かる。縦一閃の打撃。際どい所で横っ飛びで回避し、着地の際、床を転がる。それは、柔道の前回り受け身に良く似ていた。即座に片膝をつくと、刀を構え次なる攻撃に備える。
「はぁ、はぁ」
ほんの僅かな間に、イブの息はかなり上がっていた。予想を甚だしく上回っていたガロの攻撃に意表をつかれ、必要以上の体力を消耗してしまったのだ。
ガロは片膝をついて息を荒げるイブを見下ろした。
「ふむ。そなたは中々の腕を持つようだか、その力を十分に発揮できていないと見える。怒りに我を忘れ、自分を見失っておる。それでは、私には勝てんよ」
冷静な口調で淡々と告げる。内容が今のイブの状態を、これ以上はない程的確に射抜いていたので、イブは更に苛立った。
「だから、何? アナタを殺すという考えは変わってないわよ」
歯を食いしばり、深紅の如く紅き眼でガロを下から睨み付ける。しかし、ガロは冷静を保ち、一切の動揺を見せず微動だにしなかった。かてて加えて、まるでイブを品定めしている様な目で見渡していた。
ややあって、ガロがおもむろに口を開いた。
「しかし、全力ではないとはいえ、私の連撃を全てかわすとは、そなたは相当の実力の持ち主。私も、全力で相対するより他なかろう」
「何を……」
イブは言葉に勢いを込めつつ、ガロに刀の切っ先を向けながらゆっくりと立ち上がる。
「私以上の武を持つ者は、今も昔も数限りない。その中で、どうして私の様な痩せぎすが最強と称されるようになったか、気になるかね?」
ガロはゆったりと身を包むローブを纏っていたので、彼の体系を正確に把握する事は出来なかった。しかし、それでも標準的な体格からすれば痩せているようにも見えた。
だが、彼の打撃力の高さは異常だった。彼の放った縦一閃の打撃はイブに当たらなかったが、そのかわりに、工場の床が大きくえぐれていた。まるで、浅く埋めた爆弾が爆発したような、そんなえぐれ方だった。
ガロの所業の痕跡に目をやるイブに向け、彼は不敵な笑みを浮かべた。
「フフ。イブ姫であれば、これの存在は知っているであろう?」
そう言って懐に手を伸ばすと、何かを取り出した。
「これであるよ」
「!? どうりで……」
懐から取り出された物は、明かり取りから注ぐ月光に照らされ、不可解な輝きを放っているようだった。
「呪符。自分の魔力を封じ込め、自由自在、千変万化な使い方を擁するという。極めて初歩的で、それ故に高度な使い方も可能……」
扇状に広げた呪符を持ち、流暢にそう言った。
「私はこの呪符の力により、あれほど素早く力強く戦えるのである」
すると、ガロは呪符を宙に放った。宙に舞うや否や、呪符はそれぞれが意思を持っているかの如く宙に浮き、ガロの周りを衛星の様に周遊した。
「さて、まだ終わりではないよ」
更なる戦闘が幕を開けた。