序章 第二話 出会い
「お疲れさまでしたー」
男はそう言いながら会釈し、搬入口のドアノブを回す。
「お疲れさまー」
程なくして返事が来る。中年男性の低くしゃがれた声。
男は再び会釈をしてドアの外に出た。
男は深夜の繁華街を歩く。
数分前にバイトを終え、今は最寄り駅まで徒歩で移動中だ。
「ふあ〜、今日は疲れた」
男はあくびしながら言った。
男の名は足達夢斗といい、高校三年生である。
夢斗は重い足取りで駅へと向かう。
「はああ〜あ。明日ガッコーだりいなあ……」
時刻は既に午後十二時を回っていた。労働基準法などお構いなしで、かなり遅い時間までバイトをしている。
夢斗はあくびをした拍子に、ふと、夜空を見上げた。
「……ん?」
月が赤く見えた。
「なんだこりゃ……」
彼は一旦立ち止まり、眼を何度かぱちくりしてから再び夜空を見上げる。目を細めてみたが、やはり月は赤かった。
「……。疲れてんな〜、俺。つーか、コンタクトが汚れてんだな」
夢斗は赤く見えた月を、自らの錯覚とコンタクトレンズの汚れと受け止め、さして気にもせず再び歩き始める。
彼がしばらく歩き始めて前を向くと、前方十数メートルの所にいかにもな風貌の数人組が見えた。数人の内のほとんどが渋めのスーツを身にまとい、残りの何人かはガラの悪い格好をしがに股で闊歩している。
「うわー、ヤクザ屋さんだよ〜。参ったな」
夢斗は彼等と面倒事になる事を恐れ、その場で迂回路を模索する。数秒間視線を左右に泳がすと、人一人入れる位の路地が目に入った。
「あそこだ」
夢斗は路地に駆け込み、側に積んであったビールケースの陰に身を隠す。身の安全が確保出来ると、好奇心でビールケースの隙間から外の様子を伺う。光り輝くネオンに照らされたヤクザ御一行様は、威圧的なオーラを放ち繁華街を闊歩する。
「怖い怖い。ヤベっ、もう電車が出る!」
夢斗が覗き込んだ時計のデジタル画面には『00:38』と表示されていた。電車が出るのは零時四三分。走れば、まだ間に合う距離である。
彼は路地裏を走り出した。以外とこの路地裏は、駅までの近道だったりする。
走り出してから程なくして、少し開けた空間に出てきた。
「ん。誰だ?」
夢斗の視界の先には、一人の女性が立っていた。
背格好は夢斗より少し低いくらいだろう。端整な顔つきに肩まで伸びた黒髪と、着物の襟元から覗くうなじが印象的だった。女性の腰には、何やら細長い物が二本、帯で挟むように差してあり、着物は赤と白のマーブル模様だった。
「珍しいな、こんな所に人が……。ウッ! 何だこの臭いは!」
女性との距離がかなり詰まったとき、夢斗の鼻腔を強烈な悪臭が襲う。夢斗はあまりの激臭に、思わず鼻を押さえその場にかがみ込む。
「!」
夢斗がかがんで地面を見た瞬間に、夢斗はこの世の物とは思えない光景を目の当たりにした。夢斗の足下には無数の肉片と、大量の鮮血がばらまかれていた。
「なんなんだよ……、これ……」
夢斗はあまりの無惨さに後ずさりする。そのおり、着物の女性が夢斗の方を向いた。
「誰?」
彼は声の方を見た。
直後、夢斗は更なる驚愕と出会うことになる。女性の着物の模様はマーブルなどではなく、返り血だったのである。その証拠と言わんばかりに、女性が手にしていた刀には、鮮血が滴っていた。赤い月に照らされた刀身は大量の鮮血を被り、てらてらと残虐な輝きを放っていた。
「君がやったのか?」
夢斗は気を失いそうなほど強烈な臭いに襲われながらも、やっとの思いで声を出す。
「そうよ」
女性は刀を一閃させ、まとわりついた血を払い刀を鞘に納める。手つきからして、相当な手練れである事が見て取れた。
「これは一体……、何なの……?」
夢斗は足下の死体を見渡す。ぶつ切りになって血溜まりに浸る死体は、原型を留めていない。
「アナタが知る必要はないわ。ここで私と会ったことは忘れなさい」
女性はすたすたと歩き始め、夢斗の眼前に手のひらをかざした。
「え?」
夢斗が不思議に思っている間に、女性は何やら呟き始めた。
「ここでのことはわすれよう」
「ウヨレス……ワハトコ……ノデココ」
その後、一瞬の閃光が夢斗の視界を真っ白にさせる。網膜に、ちりちりと焼き付くようだった。
「!?」
夢斗が閃光にひるみ目を開けると、そこは女性と出会った路地裏だった。ただ、その時の時刻は既に午前六時過ぎで、周りの死体と血飛沫は片付けられており、彼女の姿もなかった。
「な、何だったんだ?」
夢斗はひたすら立ち尽くすだけだった。
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