第三章 第三話 秘密
前の話の前書きで「夢斗の成長」といった旨を書きましたが、「夢斗の心情の変化」といった方が適切であると、この話を書いてて思いました。皆様の心の中で書き換えて置いて下さい
夕日が沈むと、その日も赤い月が出た。
二人は満員電車に乗って、いつもの繁華街へと向かう。
「混んでるなぁ」
夢斗はそう呟くと、目の前に居るイブに目をやった。イブは夢斗と向かい合う形で密着しており、夢斗の鼻息がイブの前髪を撫でるほどに近付いていた。
イブはいつもと変わらぬ表情で、じっと降りる駅に着くのを待っていた。
(結構、キレイ系かな……)
夢斗はイブの顔を見下ろし、心の中で呟く。イブの顔は見れば見るほど端整であることがわかる。それは、見下ろす恰好になったとしても同じだった。
『え〜、間もなく〜、社王子前〜、社王子前で〜、ござい〜ますっ』
車内アナウンスがそう告げると、夢斗は手にしていたギターケースを握り直した。
赤い月が輝き、その光が刀身に映る。
ここは、昨日とはまた違ったビルの屋上。数メートル先には五頭の犬と二頭の鬼。
「難しいわね。援護は要る?」
イブは小首を傾げて夢斗に訊く。
「大丈夫。犬五匹くらいなら何とかなるさ」
夢斗ははきはきと答える。それは、自信の裏付けでもあった。
「そう。じゃあ、始めましょう……」
イブがそう言ったとき、目の前の鬼が斬られる。見事な抜刀術で鬼の左足を切断。
夢斗も遅れを取るまいと、犬に向かって一歩踏み出す。先頭の一頭に狙いを定め、左から切り上げる。
切った、と感じられない程軽い手応え。まるで薄布を裂いたようだった。
犬の右の前肢が斬られ、そこから血が溢れる。犬は足を失った事と激痛に驚き、がくりと姿勢を崩す。
「まだまだ!」
夢斗は無防備な犬に、容赦なく止めを刺す。
眉間を真正面から突く。突き立てられた剣は、脳幹を完全に貫き、犬の呼吸を止める。
「次だ」
次に飛びかかってきた犬を、剣を横薙ぎにふるって吹き飛ばす。
「次ぃ!」
間を空けず、三頭目に攻撃する。背中を横に大きく切り裂き、ひるんだ所で止め。そこに、二頭目が飛びかかる。まだ生きていた二頭目は、最期の力を振り絞って夢斗に突撃。夢斗はその一撃をしゃがんでかわすと、身を翻して体の側面をかっさばく。傷は心臓に達したのか、盛大に血が噴き出る。
「次!」
間髪入れずに襲いかかる四頭目。夢斗は、返す刀で四頭目に斬りかかる。四頭目の右半身に深く斬りつけると、止めを刺さずに五頭目を狙う。
「!!」
五頭目は既に夢斗に飛びかかっていた。
夢斗は五頭目の牙をしゃがんで避けると、五頭目が自分の頭上に来た所で、五頭目に半月斬で攻撃した。
五頭目の胴体は見事に輪切りにされ、夢斗は頭のから血を浴びる。
(臭くなるな、コレ……)
夢斗はそんな事を思いつつも、止めを刺さなかった四頭目を探す。
力無く倒れる四頭目を見つけると、迷うことなく頭に剣を突き刺す。程なくして四頭目も事切れる。
「お前で最後か」
夢斗は最後の一頭である五頭目を見つけると、剣を逆手に持って心臓を貫いた。輪切りにされたときに出尽くしたのだろうか、心臓を突き刺しても返り血は無かった。
「終わったな」
夢斗はそう言って辺りを見回す。
鮮血と五つの死体があった。
「イブ。こっちは完了だ。そっちはどう?」
夢斗が声を張り上げて言うと、イブは既に両手をかざしていた。
「終わっているわ。夢斗が三頭目を倒したときに」
呪文を唱え死体を処理。死体と血は完全に消え去り、そこは元の屋上に戻った。
「ずいぶん良くなったわ。不思議ね、前まではあんなにいい加減な戦い方だったのにね」
イブは刀をしまって言う。
「はは。イブのスパルタのお陰さ。ま、笑ってるほど愉快な物じゃないけどね」
夢斗はそう言って首を押さえる。ちなみに、入りが浅かったのだろう、右手の痛みは引いていた。
「ふふ。それはどうも」
イブは微笑んだ。夢斗と出会ってから初めて笑顔を見せた。
「イブ……!?」
イブの笑顔を間近で直視してしまった夢斗は、しばし声を失う。
「夢斗。アナタは十分強いわ。でも、まだまだな部分もあるけど」
イブは夢斗の手を取り、再び微笑む。その笑顔は、紛れもなく美しかった。
「……イブ……!?」
夢斗の心の中はイブの笑顔で一杯になり、言いようのない暖かさを全身に感じる。じんわりと染み渡るような暖かさ。それは心地良いもので、夢斗はそれにいつまでも浸っていたいとさえ感じた。
「……。うぅっ!!」
夢斗の鼻腔を例の臭いが襲う。それは、夢斗を現実に引き戻すのには十分すぎた。
「ごほっ。ごほっ。ヤバイ、ダメ」
臭いの元である犬の血は、夢斗の頭にある。臭いはその分いつもより強く、夢斗はその場で悶える。
「大丈夫?」
イブはまた夢斗に微笑みかけた。
「ムリ……!!」
夢斗は消え入りそうな声でそう答えた。
「イブは、この臭い、平気なの?」
「ええ、大丈夫よ」
「何者?」
「さあ、何者でしょう? これは夢斗にはまだ……」
イブは口籠もる。
「夢斗には……」
イブはなかなか次の一言と話そうとしない。
「……。夢斗、そこで待ってて。今から水を持ってくるわ」
イブはそう言って踵を返すと、近くの水道場へと歩き出した。
「オレには……、一体何なんだ?」
消え入りそうな意識の中で、夢斗はそう呟いた。
イブは水道場を見つけると、そこにあったバケツに水を注ぎ始めた。イブが蛇口をいっぱいまでひねると、冷たい水がすさまじい勢いで出てくる。
「夢斗には……、話すべきなのかしら……」
バケツの中で泡立つ水を見ながら、イブは静かにそう呟く。
イブは後ろを振り返る。そこから夢斗は見えなかった。
「言えるかしら……」
イブがそういうと、イブのシルエットが変形し始めた。
その時のシルエットが限りなく面妖であるとことを知るものは、本人であるイブ以外知り得ない事実であった。
バケツから水が溢れだしていた。水面には、面妖なイブと赤い月が歪みながら映っていた。
何やら後を引くような終わり方をしました。勘の良い方は、既にイブの存在を疑いまくってるかも知れません。申し訳無いですが、イブの秘密については、もっと後になってから解りますので、それまでは色々と山を張ってて下さい。それでは、また次回まで。